加倉(西)交差点南の三差路 岩槻区谷下74向



国道16号線の加倉(西)交差点から南に入り500mほど進むと道路西側、三差路の角に石塔が立っていた。この道路は綾瀬川沿いに横根方面に向かうことになる。



庚申塔 元禄12(1699)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。光背右、白カビの中「奉造立庚申二世安樂所」光背左に造立年月日が刻まれていた。



塔の下部もすっかり白くなっている。足下にM字型に腕を張る大きな頭の邪鬼。その下に可愛く三猿。その横にちょこんと二鶏を彫る。三猿の下の部分には谷下村 同行 拾三人と刻まれていた。

妙見橋北路傍 岩槻区谷下329南



谷下公民館からさらに南へ300mほど進むと道路右手の路傍に唐破風笠付角柱型の庚申塔が立っていた。後ろは綾瀬川の土手道。



庚申塔 弘化2(1845)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。二匹の邪鬼の頭を踏んでいる。




下の台の正面に岩槻独特の奔放な三猿。



塔の右側面に造立年月日。台の右側面に十数名の名前。



塔の左側面に谷下村講中。台の左側面にも十数名の名前が刻まれていた。

 

横根庚申塚 岩槻区横根482



国道16号線の加倉(西)交差点から綾瀬川沿いに南に向かう道を進み、妙見橋の先1kmほど、道路右側の工場の事務所の脇に四基の石塔が並んでいる。手前から三基が庚申塔だった。



南向きに二基。右 庚申塔 文化6(1809)角柱型の石塔の正面 日月雲「庚申塔」下の台の正面に三猿。左の言わ猿は身をよじらせて、右の見猿は足を投げ出す。岩槻の三猿は一筋縄ではいかない。



塔の右側面に造立年月日。左側面に武州埼玉郡岩槻領横根村上講中と刻まれている。



左 庚申塔 享保6(1721)角柱型の石塔の正面を彫り窪めて、その上に日月雲。中に青面金剛立像を浮き彫り。塔部は白カビが多く、下の台には銘が見当たらない。



青面金剛立像 合掌型六臂。頭上には蛇の頭。後上左手にショケラを掲げる。



正面向きの邪鬼はかなりひしゃげていて腕のM字が崩れている。その下、別室に正面向きの三猿、さらにその下に二鶏が彫られていた。



塔の左側面に造立年月日。左下に施主 横根村中。塔の右側面上部に梵字「バン」その下に「奉造立供養青面金剛像一躯二世安樂祈所」敬白と刻まれている。



東向きに 庚申塔 宝暦5(1755)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。青面金剛はとがった三角形の髪型。



二鶏は比較的高い位置。雄鶏は邪鬼の足に止まっている。頬杖をつき青面金剛を見上げる大型の邪鬼はふてぶてしい。その下の三猿は両脇が内を向く形。



塔の左側面に造立年月日。右側面には庚申講十二人 念佛講中 横根村と刻まれていた。

北辰神社 岩槻区横根2383



浮谷にある目白大学のすぐ西に北辰神社がある。朱塗りの一の鳥居の奥に小さな二の鳥居、その奥に民家のようなサッシのある建物が拝殿になる。



拝殿の右側、うっそうとした竹林の前に境内社があり、その横に庚申塔が立っていた。現場は昼なお暗い状況で、なかなかうまくピントが合わせられない。



庚申塔 明和4(1767)角柱型の正面を彫り窪めて、その中に日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。



彫りは厚みがあり、躍動感がある。頭上に蛇。頭には羽根の付いた被り物を付け、口をへの字にした三眼の青面金剛は正面をにらみつける。腕、足の細部まで丁寧な表現で衣装も立体的。



腰にショケラがしがみつく。足下には二匹の邪鬼。頭の側面を思い切り踏みつけられ、これは苦しいだろう。下部に二鶏、三猿もしっかりと彫られていた。



塔の左側面と下の台に銘は見当たらない。右側面に造立年月日。施主は個人のようだ。

養福寺跡墓地 岩槻区横根2341付近



北辰神社の入口から西に向かうと道は曲がりくねりながら下り坂になる。途中右手の奥にさびれた感じの墓地があった。廃寺になった養福寺の墓地らしい。墓地の前に庚申塔がポツンと立っている。



庚申塔 明和4(1767)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。白カビが多い。造立年も一緒、青面金剛の足の構え、腕を出して頭を踏まれる二基の邪鬼、三猿の構図など、先ほどの北辰神社の庚申塔と似通ったところも見られる。



こちらの二鶏は青面金剛の足の両脇に彫られている。左の邪鬼が頭の側面を踏まれて頭を傾けているのに対し、右の邪鬼は頭頂部を踏まれながらも何か余裕の表情で微笑みを浮かべていた。塔の右側面に造立年月日。左側面には横根村下講中と刻まれている。

 

円福寺 岩槻区柏崎827



柏崎小学校の西200mほどのところに円福寺の入り口がある。砂利道を登ってゆくと山門の左側に石塔が並んでいた。



 左から2番目 庚申塔 安永5(1776)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。青面金剛の顔は風化のためか、のっぺらぼうで様子ははっきりしない。



足の両脇にしっかりした二鶏。足下の邪鬼は大型でユニークな恰好。三猿は両脇が内を向く。邪鬼と中央の猿の顔もはっきりしないが、青面金剛の顔と同じく風化のためか、もしくは人為的なものなのか、どうなのだろう?



塔の右側面に造立年月日。左側面に施主 柏村中と刻まれていた。



 その隣 庚申塔 元禄8(1695)駒形の石塔の正面を彫り窪めて、その上に日月雲、中に青面金剛立像を浮き彫り。合掌型六臂で後上左手にショケラを持つ「岩槻型」邪鬼は正面向きM字型、その下にやはり正面向きの三猿。「岩槻型」のスタンダードな構図といえるだろう。



 塔の右側面「奉供養庚申為二世安樂也」その下に柏村。左側面には造立年月日。その左下に同行三拾三人と刻まれていた。

柏崎小学校西路傍 岩槻区柏崎711の西



円福寺の山門からまっすぐ南に歩き、舗装路を横切りまっすぐ続く細い未舗装路に入ってゆく。この道を進むとやがて柏崎小学校の南に出る。途中、左手は塚のようになっているが、そのふもと、道路脇に庚申塔が立っていた。



庚申塔 天保11(1840)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。武将のような髪型の青面金剛。衣装の裾が跳ね上がり、足下には二匹の邪鬼の頭。寛政期から天保期の庚申塔でときどき見かけるタイプの青面金剛像。その地理的、時代的分布はどうなのか興味深い。下の台の正面にはハッピ(ちゃんちゃんこ?)のようなものを身にまとった三猿が三者三様のポーズをとっている。



塔の右側面に造立年月日。左側面には柏村講中と刻まれていた。

 

城南小学校西 県道324号線路傍 岩槻区真福寺30



県道324号線、城南小学校の西の信号交差点のすぐ南、道路西側にあるゴルフ練習場の角の所に庚申塔が立っていた。



庚申塔 文政2(1819)角柱型の塔の正面 日月雲「庚申塔」台の正面に岩槻独特の妖艶なポーズをとる三猿が彫られている。



塔の右側面に造立年月日。その横に 北 いわつき道。台の右側面には講中とあり、十名の名前が刻まれていた。



塔の左側面 中央に真福寺村、両脇に 南 江戸ミち 西 めうけん道。台の左側面には九名の名前が刻まれている。

久伊豆神社 岩槻区真福寺414



ゴルフ練習場の角から西に向かう。400mほど先の右側に久伊豆神社の入り口があった。入口から二の鳥居まで、長い参道が続いている。



二の鳥居をくぐると、正面の拝殿の左脇に四基の石塔が整然と並んでいた。左端の自然石の石塔は明治20年建立の猿田彦大神塔 。



右 庚申塔 貞享2(1685)江戸時代初期の板碑型三猿庚申塔。彫り窪めた中に梵字「ウン」日月雲に続き中央に「奉供養庚申講家門繁昌二世安樂所」上部両脇に造立年月日。下部両脇に同行 拾人。下部に素朴な三猿を彫る。



その隣 庚申塔 享保14(1729)ここにも「川口型」庚申塔があった。こうなると「川口型」という表現は適切ではないのかもしれない。



塔の正面中央を彫り窪め、その上に日月雲。中に青面金剛立像 合掌型六臂。独特な髪型と腕の処理。つり目三眼で牙の生えた青面金剛。どくろの首輪をし合掌して立つ。彫りは細部まで美しい。



 むすっと寝そべった邪鬼。正座した足のほうに細い手をまわし、あまり見たことがない姿勢をとっている。二鶏は比較的大きめで邪鬼と三猿の間に彫られていた。三猿は左右が内向きだが左は足を投げ出し、右が正座と、ちょっとアレンジされていてこれも面白い。



塔の右側面「奉造立供養庚申青面金剛尊像一躯」さらに現當悉地 成辨祈処。



塔の左側面に造立年月日。その下には真福寺村庚申待講中、結衆女中貳拾人祇白と刻まれていた。



その左 庚申塔 嘉永5(1852)角柱型の塔の正面 日月雲「庚申塔」台は二段になっている。



上の台の正面に三猿。それぞれラフな格好で座る。左の言わ猿は片手で中央の聞か猿を指さす。この形は岩槻ではいくつか見かけた。石仏巡りを始めた頃、この形の三猿を大宮区か、北区で初めて見た覚えがある。岩槻石工の仕事だったのだろう。見沼区片柳で巡り合えた田中武兵衛作の芸術的な庚申塔など、いろいろな地域に岩槻の石工の優れた仕事を見ることができる。



塔の右側面に造立年月日。左側面に武州埼玉郡真福寺村。台の両側面に合わせて三十名ほどの名前が刻まれていた。

 

浮谷神社北西路傍 岩槻区浮谷1153付近



浮谷神社の北を通る道を西に向かい、200mほど先で一度左に曲がりすぐまた右に曲がるカーブ付近、道路左側の路傍に小堂が立っていた。



庚申塔 寛政12(1800)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。寛政期らしく細密な彫りで青面金剛の衣装の裾は跳ね上がっている。足下には正面向きに二匹の邪鬼の頭。続いて二鶏、三猿が彫られていた。三猿は両脇が外向きという変わった構図。塔の側面は隙間が狭く写真は撮れない。両側面に渡って造立年月日があり、左側面にはさらに数名の名前が刻まれていた。

杉田電線西路傍 岩槻区浮谷2324付近



県道324号線を真福寺のほうから南に下ってきて、浮谷に入って少し行くと右側に杉田電線という大きな工場がある。その南を通る道を工場の敷地に沿って西に向かい100mほど歩いてゆくと、道路右手の住宅のブロック塀のところに石塔が頭を出していた。



庚申塔 正徳6(1716)板碑型の三猿庚申塔。日月雲の間に梵字「ウン」中央に「奉造立庚申供養」右脇に造立年月日。左脇には浮谷村願主とあり、二名の名前が刻まれている。

目白大学北路傍 岩槻区浮谷137向



県道324号線をさらに南に進み、目白大学入口から斜め右に入る。200mほど先の信号交差点を左折してすぐ、左手のツツジの植え込みの中に石塔が立っていた。



山王大権現塔 享保14(1729)荒彫りの角柱型の石塔の正面、上部に日月雲、中央に「山王大権現」その下に三猿を彫る。もともと猿は山王大権現の使いとされ、庚申信仰は、三猿との関連から山王信仰との結びつきがみられると言う。このような三猿を彫った「山王大権現塔」も広い意味で庚申塔ということができるのだろう。



背面にも銘が見えるが、ツツジの枝が張っていて近づくことができず確認はできなかった。

西光院 岩槻区浮谷2677



県道324号線の目白大学入口付近から細い道を東に入ると、道路左側に西光院がある。その入り口の塀の前に庚申塔が立っていた。



庚申塔 元禄12(1699)舟形の光背に合掌型六臂の青面金剛立像を浮き彫り。全体に白カビが目立つ。光背右脇「奉造立庚申供養」左脇に造立年月日。



青面金剛の足が妙に生々しい。足元に正面向きの邪鬼。その下に三猿だが、右の見猿は一部欠損。両脇に二鶏。さらにその下の部分に浮谷村 同行男女 十三人と刻まれていた。