久伊豆神社 岩槻区加倉4-28-6



東武野田線の南、大宮方面から岩槻を通り春日部方面へ向かう県道2号線。加倉北交差点で東北道の下を抜け、坂道を登りきったあたり、道路右の交差点の角に久伊豆神社がある。長い参道の先、拝殿の左脇に記念碑と並んで二基の庚申塔が立っていた。



左 庚申塔 享保13(1728)唐破風笠付角柱型。正面、日月雲の下、中央を彫り窪めた中に青面金剛立像 合掌型六臂。さらに後ろの手にショケラを持つ「岩槻型」ショケラを持つ手はいろいろなパターンがあるが、こちらは下の左手。後ろの二組の腕は左右対称ではなく、左右がちぐはぐな付き方。頭上に大きな蛇をいただき眼窩の窪んだ青面金剛は不機嫌そうだ。



足の両脇にはっきりとした二鶏。足下には正面向きで青面金剛と似た風貌の邪鬼。その下にこれも正面向きに三猿を彫る。その下の部分は見にくいが真ん中付近の文字は施主だろう。塔の左側面に造立年月日。右側面「奉造立青面金剛像為二世安樂也」両側面とも下部に六名の名前が刻まれていた。



右 庚申塔 元禄15(1702)唐破風笠付角柱型。こちらのほうがサイズは一回り大きい。塔の正面、日月雲の下、彫り窪めた中に日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。これも「岩槻型」ショケラを吊るしているのは上左手で、こちらはよく見る形。頭上に蛇をいただいた青面金剛はやはり似たような顔立ちの邪鬼の頭を踏んでいる。



邪鬼は肘を横に張って正面向き。その下にこれも正面向きの三猿。三猿の横に二鶏という構成。三猿の下に十数名の名前。さらに下の大きな台の正面には卍と法輪が彫られていた。塔の左側面に造立年月日。その脇に小さく岩築領加倉村。右側面「奉造立庚申供養為二世安樂也」両側面とも下のほうに十数名の名前。正面の三猿の下の名前も合わせると50名近い講になる。

浄国寺 岩槻区加倉1-25-1



久伊豆神社から東へ50mほど歩くと道路左側に浄国寺の入り口がある。参道の左側、植え込みの前の開けた一角に三基の庚申塔と馬頭観音の文字塔が並んでいた。



左 庚申塔 元禄3(1690)上部に唐破風の笠を彫り出し、正面を凝った形に彫り窪めて中に青面金剛立像を浮き彫り。青面金剛の足の両脇に二鶏を配し、足下に正面向きで腕を横に張った邪鬼。その下にこれも正面向きの三猿。下部正面には市宿町とあり、その両脇に十人の名前が刻まれていた。



笠のすぐ下に日月雲。猿のような風貌の青面金剛は合掌型六臂で、後ろ左手にショケラを持つ「岩槻型」小さなショケラは足を折り曲げもがいている。



塔の右側面は隙間が無く確認はできなかったが造立年月日が刻まれているという。左側面には「奉供養庚申一座諸願成就」と刻まれていた。



その隣 庚申塔 元禄元年(1688)舟形光背に日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂を浮き彫り。足下に正面向きの邪鬼と三猿。二鶏は邪鬼と三猿の両脇に線刻されている。



構成は左隣の庚申塔と良く似ていて、四角い顔の青面金剛は、こちらも後ろ左手に足を折ったショケラを持つ「岩槻型」光背右下に造立年月日。左下には市宿庚申結衆廿二人と刻まれていた。



続いて庚申塔 元禄9(1696)一部に欠損はあるが立派な唐破風笠付の角柱型の石塔で重厚感がある。元禄年間のそれぞれタイプの違った庚申塔が三基集まっているというのも楽しい。



塔の正面 日月雲 青面金剛立像。かなりのつり目で恐い顔をしている。こちらはショケラを持たないノーマルな形の合掌型六臂。青面金剛の足の両脇に二鶏を線刻。足下には正面向き、青面金剛と同じようにつり目の邪鬼。



さらに正面向きの三猿。台の正面 中央に市宿町とあり、まわりに多くの名前が刻まれていた。塔の両側面には全く同じ銘が刻まれている。これも珍しい。中央、上から梵字「ウン」続いて「奉造立庚申塔一基諸願成就處」上部両脇に造立年月日。右下 武州埼玉郡、左下岩附市宿町、最下部には施主敬白。

洞雲寺 岩槻区加倉4-21-1



 浄国寺の100mほど東、交差点付近から細い道を右に入ってゆくと洞雲寺の入り口に着く。古い山門の左側に無縁仏が集められていた。その中央付近に庚申塔が立っている。



無縁仏の中、最前列中央に庚申塔 元禄7(1694)破風付の角柱型石塔で日月雲の下を彫り窪めた中に 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。「岩槻型」で上左手にショケラを持つ。写真で見るように横の石塔にぴったりとくっついていて側面はほとんど見えないが左側面の上のほうに元禄の「元」だけがのぞいている。資料によると右側面に「為奉造立庚申供養現世安全也」となっているがこちらは確認できない。



足の両脇にしっかりとした二鶏。正面向きの邪鬼と三猿。その下の部分には十数人の名前が刻まれていた。

 

西光寺 岩槻区本町2-3-23



洞雲寺の入口から県道2号線を東に進み、児童センター入口交差点を過ぎてすぐ、道路右側の細い路地を入るとその先に西光寺の入り口があった。



 境内に入ってすぐ右側に墓地があり、その入り口付近に無縁仏が整然と並んでいる。後列の両端の石塔が庚申塔だった。



右 庚申塔 享保6(1721)前の石塔との間隔が狭く、正面からは写真が撮れない。上部に日月雲。中央「奉供養青面金剛」両脇に造立年月日。下部に三猿を彫る。



シャープな造形の三猿。存在感があり美しい。三猿の下の部分に市宿町 講中 〆拾六人と刻まれている。



左 庚申塔 延宝8(1680)板碑型。枠の外に日月雲。中央 梵字「ウン」の下「奉供養庚申二世安樂」両脇に造立年月日。



下部に丸みのある三猿。両側の猿が中を向く形をとっている。三猿の下にひらがなで三文字の名前(女性の名前と思われる)がいくつか刻まれていた。

大龍寺 岩槻区本町5-3-18



県道2号線岩槻駅入口交差点から春日部方面に歩いてゆくと、渋江交差点の200mほど手前に大龍寺の入り口がある。参道の右側、六地蔵塔と大きな寺導の間に唐破風笠付角柱型の庚申塔が立っていた。



庚申塔 享保10(1725)正面、日月雲の下を彫り窪めた中に 頭上に蛇を乗せた三眼の青面金剛立像 合掌型六臂。後ろの上左手にショケラを持つ「岩槻型」足の両脇に二鶏。腕をM字型に張る正面向きの邪鬼とやはり正面向きの三猿。岩槻ではオーソドックスな構図だ。



塔の左側面「奉安置庚申尊像為現生安穏後生善處」



塔の右側面「兼城邑巷陌結縁四衆平等利濟」とある。「世の中の全ての人にあまねく良いことがありますように」というようなことか。その横には造立年月日が刻まれていた。



入口から50mほど奥にある山門をくぐると正面に大きな本堂が立っている。この本堂の左側を進むと裏にある広い墓地の入口に出ることになる。



墓地の入口の左側には小堂が立っていた。手前の二基の地蔵菩薩立像は個人の供養塔。



右から二番目 庚申塔。正面は剥落が多く、銘も像の様子もはっきりしない。「岩槻市史」に載っている写真を見ると、青面金剛は六臂で剣とショケラを持っている。昭和59年発行なので30年ほどしか経っていないのにこれほど風化が進むものなのか。これも資料によるしかないが、左側面に文政6(1823)の紀年銘が刻まれていたようだ。



右 庚申塔 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。塔の各面にも台にも銘が見当たらない。



彫りは細かく写実的。腰から下の部分がそっくり剥落している。腰のあたりに足を折り曲げた大きなショケラ。足下には獅子のような邪鬼。裾が跳ね上がった青面金剛の衣装、邪鬼の様子、石質などから考えると、その造立は寛政期以降ではないだろうか。

秋葉神社 岩槻区仲町1-1-12



岩槻駅南口から広い道をまっすぐ国道16号線方面に向かう。岩槻駅入口交差点で県道2号線を横切り、さらに500mほど進むと道路左側に曹洞宗のお寺、千手院があり、その隣に秋葉神社があった。秋葉神社の入口はこの広い道路ではなく、裏の細い道のほうになる。入口右側のブロック塀の前に庚申塔が立っていた。



庚申塔 文化3(1806)塔の正面 日月雲「庚申塔」



塔の右側面に造立年月日。左側面には杦(杉の異体字)並町講中と刻まれている。

六地蔵堂 岩槻区仲町2-9-17



駅から国道16号線に出る広い道路の東をほぼ平行に走る通りが、駅付近から仲町を抜けて府内、飯塚方面に向かう旧道だったのではないだろうか。国道16号線に出る200mほど手前の変則的な五差路の角に六地蔵堂があった。参道左側、ブロック塀の前に石塔が並んでいる。



左 庚申塔 正徳3(1713)石塔の上部を唐破風笠風に彫り出している形。日月雲の下を彫り窪めて 青面金剛立像 合掌型六臂。後上左手にショケラをかかげる「岩槻型」である。



頭に青面金剛の両足を乗せた正面向きM字型の邪鬼。正面向きの三猿。この構図は「岩槻型」の定番と言えそうだ。二鶏はその下にしっかりと彫られている。向き合う二鶏の間に男女五十二人、雄鶏の右に林道六番町、雌鶏の左に林道杉並通と刻まれていた。



左側面に造立年月日。右側面には「奉造立庚申供養尊」と刻まれている。



 正面のお堂の左側にも古い石塔が並んでいた。一番手前 庚申塔 承応2(1653)江戸時代最初期らしい板碑型の文字塔で、下部には蓮の花を彫り、邪鬼、三猿などは見当たらない。



中央 五文字の梵字の下に「奉祥待庚申會供養石塔二世安樂攸」中ほど両脇に造立年月日。その下は右が武州岩付、左は普利衆生。さらにその下に七名の名前、最後に護持施主等敬白と刻まれていた。

浅間神社 岩槻区仲町2-10



六地蔵堂から200mほど歩き仲町交差点で国道16号線に出る。左折して歩道を進むとすぐ左手、コンクリート造りの建物の上に浅間神社があった。歩道脇に鳥居が立ち、神社らしい朱色の階段を登って倉庫?の屋上で参拝というのは不思議な光景だ。



朱色の階段の下に三基の板碑型の庚申塔が並んでいた。雰囲気は良く似ているが、中央の庚申塔は三猿の位置が違っている。



左 庚申塔 寛文12(1672)板碑型の石塔の正面を彫り窪めて三猿をその中に収める。



中央 梵字「ウン」の下「奉供養庚申家門繁昌二世安穏攸」上部両脇に造立年月日。右下に武州埼玉郡岩付弥勒寺、左下に法印権大僧都宥仙と刻まれていた。



正面向きの三猿の下には七人の名前が刻まれている。



中央 庚申塔 寛文11(1671)板碑型の石塔の正面を彫り窪め、中には文字だけで、三猿はその下に彫られていた。



塔の中央に「奉蔵立庚申供養之事」両脇に造立年月日。下部には二段にわたって合計21人の名前が刻まれている。



下部に正面向きの三猿。三猿の下の部分は狭く、文字は見当たらなかった。



右 庚申塔 延宝5(1677)やはり板碑型。三猿の位置はこちらが一番高い。



中央 梵字「ウン」の下「奉拝講三王庚申待」庚申信仰が山王信仰と結びつき、山王権現の使者=猿ということらしい。右脇に造立年月日。左脇には二世諸願成就所と刻まれている。



正面向きの三猿の下にひらがな3文字の名前が七つ、女性だけの講中だろうか?