大宮区天沼町

産業道路浅間町交差点東の信号交差点角 大宮区天沼町2-724[地図]


産業道路の浅間町交差点から東へ向かい150mほど進むと、交差点の南東の角のブロック塀の前に石塔が立っていた。


庚申塔 天明3(1783)駒型の石塔の正面 日月雲の下「庚申塔」両脇に造立年月日。右下に下天沼講中、左下に願主代善と刻まれている。

観音前バス停西住宅 大宮区天沼町2-881-1[地図]


産業道路の浅間町交差点から東へ向かう道は、やがてゆるやかにカーブして北へ向かうことになる。そのカーブの最後の信号交差点を斜め左に入り、北西に100mほど進むと、道路左側にある住宅の前に石塔が並んでいた。ただし、この方向からアプローチすると石塔は手前のブロック塀の陰になるために、見逃しやすいから注意が必要だ。右の小さな石塔は墓石だった。


庚申塔 享保2(1717)四角い台の上、上部を凝った形に処理した角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、上部に卍と法輪を並べ、中央に「庚申供養塔」最下部に蓮華が彫られている。


塔の右側面に造立年月日。


左側面に武刕足立郡上天沼村と刻まれていた。

天沼神社 大宮区天沼町1-390[地図]


先ほど信号交差点から北へ向かった道は、やがて天沼中央通りの天沼一丁目交差点に出る。その100mほど手前の信号交差点を右折、170m先の右手に天沼神社の裏口があった。境内に入ると社殿の左脇に境内社と石祠が並んでいる。


石神社 延享4(1747)石祠の正面に「石神社」


祠の右側面に造立年月日。その左に明治十二卯年再建。左側面に上天沼村と刻まれていた。

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こちら10年前の写真。この時は石祠の前に二本のしゃもじが置かれていた。石神様が咳止めの神様で、ここにお供えされたしゃもじでよそったご飯を食べると咳が止まるという言い伝えがあるらしい。咳が止まった後にお礼として新たなしゃもじを奉納したという。


社殿の右側にも二基の石祠が並んでいる。うっそうとした木々の下、昼間でも薄暗くクリアな写真は撮れなかった。


左 大六天社 延享4(1747)祠の正面「大六天社」社殿左側の「石神社」と造立年が同じ、石祠の屋根も同じデザインで、おそらく二基は一緒に造立されたものだろう。


祠の左側面に造立年月日。右側面に上天沼村。施主もやはり石神社と同じだった。


右 疱瘡神塔 寛延元年(1748)こちらは造立年が一年違い。祠の正面に「疱瘡社」


祠の右側面に造立年月日。左側面に下天沼村 講中と刻まれていた。

大日堂 大宮区天沼町1-387[地図]


天沼神社の東隣に大日堂がある。本堂の左脇に小堂が立っていた。


小堂の中 六地蔵菩薩塔 大正13(1924)像のサイズ、蓮台・敷茄子の様子などよく揃っている。


全身を包む衣装のために像の様子はよくわからないが、六体ともに丸顔で目をあけた表情が人間のようで親しみやすい。


台の正面に多くの名前が刻まれ、左端には「大正十三」と紀年銘の一部が見える。


六地蔵の小堂の奥に、もうひとつ小堂が立ち、中には多くの板碑が集められていた。


小さな板碑に囲まれて中央に大きな板碑 建治2(1276)鎌倉時代の造立。中央、蓮台の上に梵字「キリーク」その下に造立年月日が刻まれている。


本堂の右手前 地蔵菩薩塔 享保14(1729)二段の四角い台の上、厚い敷茄子と蓮台に立つ丸彫りの地蔵菩薩塔。右手の錫杖は欠けてしまったのか鉄製の錫杖を握っていた。


上の台の正面中央に「講中」とあり、右から上天沼村 十九人 堀ノ内村 七人。左のほうに願主 當山現住 宥寛。右側面に造立年月日が刻まれている。この規模の丸彫りの地蔵菩薩塔は享保期のものが多い。


墓地の南東の一角に大きなシイノキが立っていた。横に解説版が設置され、その脇に石塔が立っている。


地蔵菩薩塔 造立年不明。解説板によるとこの地蔵菩薩像はシイノキの根元から掘り出されたもので、安産にご利益があるとの言い伝えがあり、このシイノキは「子宝のシイ」と呼ばれ親しまれたという。丸い光背を負った地蔵菩薩坐像は愛嬌のある顔立ちでそれなりの歳月を経てきたもののように見える。その下の「子宝のしい」と刻まれた石塔はおそらくそう古いものではないだろう。紀年銘は見当たらなかった。