板橋区若木・中台

にりんそう公園南西三差路 板橋区若木1-7

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西台から環八を越えた東の地域が若木になる。若木1丁目と上板橋3丁目の境の道の三差路の小堂の中に庚申塔が祀られていた。その脇に「かみなか庚申塔 1803年建立」という看板が立っている。

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庚申塔 享和4(1804)正面に「庚申塔」右脇に年号。はっきり享和四 子年と刻まれていて、看板とは1年のずれがある。下のほうには右から 新田前 中臺村講中 拾人と刻まれていた。塔の両側面は堂の隙間からわずかに見える程度で、しっかりした写真は撮れなかったが、資料によると右側面 右 にしたい とくまる、左側面 左 ねりま 大山みちと刻まれているという。

 

延命寺 板橋区中台3-22

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環状八号線の若木三丁目交差点から若木通りを南へ向かうと急な登り坂が続く。坂を登りきったあたりで斜め左に細い道を降りてゆくと右手に延命寺の山門があった。すぐ東隣には日大豊山女子高校。山門を入り併設する幼稚園の脇を通り抜けると左手奥にお寺の墓地がある。墓地の入り口はきれいに整備され左右に石塔が整然と並んでいた。


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右のほうには唐破風笠付の石塔が三基。手前後ろに宝篋印塔が見える。奥には無縁仏が集められていた。

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宝篋印塔 享保17(1732)塔身部の四面にそれぞれ梵字を刻まれている。

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基礎部正面「萬人講中」とあり、その両脇には造立年月日が刻まれていた。基礎部左側面に武州豊嶋郡中臺村。あとの二面には願文。三段になった基壇の一番上、正面中央に庚申講中六人という文字が見えるが、願文の中に「庚申供養」などの文言はなく、この宝篋印塔を「庚申塔」としていいかどうかは難しい。

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三基の石塔はいずれも立派な唐破風笠付角柱型の庚申塔。その規模もほとんど同じで、一見して似たような印象を受ける。右 庚申塔 天和3(1683)両側面には蓮の花が彫られていた。

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正面、二段に彫り窪めた中に青面金剛立像六臂。右手に剣、左手にはショケラではなく羂索を持っているようだ。右脇「奉造立青面金剛一結之衆中二世安樂所」左脇に年号。その下に中臺村庚申講衆と刻まれている。

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青面金剛の足下には丸々と三猿が彫られていた。三猿の下の部分には十数人の名前が見える。

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真ん中 庚申塔 元禄8(1695)こちらも両側面に大きく蓮の花が彫られていた。

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日月雲青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。右脇「奉造立青面金剛二世安樂所」左脇に造立年月日。その下には中臺村講中と刻まれている。

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青面金剛の足下には平たくなった邪鬼。脇に二鶏、下に三猿を彫る。三猿の下には九名の名前が刻まれていた。

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左 庚申塔 享保2(1717)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。この庚申塔の笠だけは相輪付。

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足の両脇に比較的しっかりと二鶏。足下に頭を右にした邪鬼。その下に三猿が彫られている。

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塔の左側面に年号。右側面「奉建立庚申待講中二世安樂所」両側面の下部には合わせて12名の名前が刻まれていた。

 

 


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墓地へと向かう道の左側には二十数基の石塔が並んでいた。手前半分は地蔵菩薩像が多い。

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左から 地蔵菩薩立像 延宝3(1675)光背上部に阿弥陀三尊の梵字。光背右脇「奉造立地蔵菩薩念佛供養」左脇に年号。その下に結衆十四名。願主は個人名。足下に数人の名前が刻まれていた。江戸時代初期の作だが錫杖、宝珠とも大きな欠けもなく、文字も比較的読みやすい。

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隣 念仏供養塔 年代不明。立派な唐破風笠を持つ角柱型の石塔。正面、途中から剥落が進んでいるが、阿弥陀三尊の梵字の下「奉唱念仏・・・・」以下は読めない。右脇に有縁無縁六親眷属、左脇は削れているがここに造立年月日が刻まれていたのではないだろうか。

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塔の右側面に三州賀茂郡高橋村と見える。今の愛知県の地名のようだ。ただ、正面下部右端には武州中臺村とはっきり刻まれている。

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次は丸彫りの地蔵菩薩立像 寛政3(1791)真ん丸な お地蔵さまらしい顔立ちをしている。

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台の正面「奉建立地蔵尊為二世安樂也」右脇に造立年月日。左脇に願主 飯田氏。ここの石仏の多くにその名前が見られる。有力な檀家なのだろう。



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続いて一つの石塔にそれぞれ三体の地蔵菩薩像を彫り、二基で合わせて六地蔵という珍しい六地蔵菩薩 天保2(1831)左の塔の台に造立年月日が刻まれていた。施主はこれもやはり飯田氏。

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その隣 馬頭観音塔 天保14(1843)塔の左側を中心に白カビが多く文字が読みにくいが、中央に「馬頭観世音」両脇に造立年月日。

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塔の右側面には 西 練馬 ふじ 大山道と刻まれている。

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左側面 東 岩渕 川口道。さらに裏面には南 板橋道と刻まれていた。

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その奥には中央に大きめの地蔵菩薩立像を配し、両脇に三体ずつの地蔵菩薩像を並べた六地蔵菩薩。

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中央に頼もしげな地蔵菩薩立像。こちらは塔にも台にも文字が見当たらなかった。

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左の三体。それぞれの台に地蔵名や戒名などが見えるが、右の台には金剛幢地蔵とあり、脇に向臺講中廿三人と刻まれている。

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こちら右の三体、一番右の台に願主 善光、真ん中の台に本村講中十六人と刻まれていた。


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墓地へ向かう道の左側、奥のほうには三基の庚申塔が並んでいる。庚申塔に続く四基の石塔はいずれも個人の墓塔だった。

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左から丸彫りの地蔵菩薩立像。下の台の正面に宝暦10(1760)から明和6(1769)の命日と戒名が刻まれていて、講中などのものではないが立派な立ち姿が印象的だ。

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三基の庚申塔の内、左 庚申塔 貞享5(1688)唐破風笠付の角柱型。正面彫り窪めた外に日月雲。中に青面金剛立像 合掌型六臂。

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右脇「奉造立青面金剛二世安樂諸願成就所」左脇には造立年月日。その下に武州豊嶋郡中臺村と刻まれていた。

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足下に邪鬼が情けなくうずくまる。その下に二鶏、三猿。三猿の脇、枠の所に庚申講施主とあり、三猿の下の部分に十名の名前が刻まれている。

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中央 庚申塔 享保20(1735)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。青面金剛は蛇を頭にいただき、厳しい顔で立っている。光背右下、これより左へ、ねりまへ十八丁と比較的大きく刻まれていた。光背にこういう形で道案内を入れるのはあまり見ない。光背左下に造立年月日。台の正面には中臺村 かふ中 十五人と刻まれている。

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邪鬼は仰向けになって踏み敷かれていた。その下には三猿を彫る。二鶏は見当たらない。

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右 庚申塔 宝暦3(1753)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。

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丸顔の青面金剛はなんだかふくれっ面をしているように見える。両脇に中臺村 講中と刻む。足もとには二鶏が彫られていた。

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足下の邪鬼は正面向きで大きな顔。頭のてっぺんを踏まれている。青面金剛と同じく丸顔でこちらもふくれっ面だ。その下に三猿が彫られているが、小さいながらも三者三様に自由なポーズが面白い。

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塔の右側面「奉建立青面金剛念願成就」その下に五名の名前が刻まれていた。

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左側面には造立年月日。こちらも下部に七名の名前が刻まれている。

 

中台中学校西五差路 板橋区中台1-48

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環状八号線から若木通りを南へ向かい、急な坂道を登りきったあたり、中台交番前交差点を左折した先の五差路の角に小堂が立っていた。この地点から写真右の道は中台交番前交差点を経て若木小学校、左に進むと中板橋駅方面、北に進むと日大豊山女子高を通り高速中台I.C.付近へ、また、すぐ東には中台小学校がある。

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小堂の中 丸彫りの地蔵菩薩立像 天明4(1784)笠をかぶった姿が珍しい。

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下の台の正面は表面が削れ字も薄くなっていて読みにくい。右脇は講中九十四人。その下は文字かどうかわからない。中央は主要な部分が欠けているが途中に地蔵と見える。「奉建立地蔵菩薩」だろうか?左脇には造立年月日が刻まれている。

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台の左側面 左 下板橋道。右側面には 右 練馬道 五町と刻まれていた。

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小堂の左脇に二基の石仏が並んでいる。きれいなお花とお水が供えられていた。

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右 馬頭観音立像 寛政12(1800)合掌型六臂。顔のあたりは損傷が目立つが、頭上には馬頭がはっきりと見えている。

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塔の左側面 左 江戸道。その下に造立年月日を刻む。

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右側面 右 練馬道 大山道。その下に東叡山御領 武州豊嶋郡中臺村と刻まれていた。

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左 庚申塔 嘉永5(1852)青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。力士のようにたくましい体躯。足下の邪鬼は土下座をしているようだ。日月が無いのは珍しい。上部の一部は欠損か?下の大きな台の正面には三猿が彫られている。

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塔の左側面には大きな字で いたばし 前野道。

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右側面 こちらも大きく 西 ふじ 大山 練馬道。

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正面に三猿が彫られた台の左側面に年号。右側面には武州 願主とありその下に名前が刻まれているようだが、台の下部は土の中に埋もれていて全部は読めなかった。