南区鹿手袋

寶泉寺 南区鹿手袋6-3[地図]


志木街道の別所沼の西、中浦和駅の少し手前の交差点を斜め左に入って四谷方面に向かう道路沿い、武蔵野線を越えて200mほど先の交差点の角を入ったところに寶泉寺の山門が立っていた。


境内に入ってすぐ左側、ブロック塀の前に石塔が並んでいる。左端の宝篋印塔は昭和年代の新しいもの、基礎の正面に「先祖代々」となっていて個人の家の供養塔だった。お寺の有力な檀家さんなのだろう。


庚申塔 寛文9(1669)宝珠を乗せた唐破風笠付角柱型の石塔。台の正面には蓮の花が彫られていた。この庚申塔はさいたま市指定有形民俗文化財で、境内にたてられた解説板によると、同じ寛文9年造立の庚申塔が桜区道場の金剛寺、栄和の重円寺にもあることから、江戸時代初期に荒川左岸のこの地域に庚申信仰が広まったことがわかるということだった。


塔の正面を二段に彫りくぼめた中、上部に素朴な三猿。塔の両側面にも蓮の花が彫られている。


三猿の下の部分、銘はやや薄くなっていた。阿弥陀三尊種子の下「奉念庚申供養爲二世安樂也」続いて本願 浄静。右脇 武刕足立郡與野郷鹿手袋村。左脇に造立年月日。最下部、両脇に同行 九人敬白と刻まれている。


その隣 庚申塔 宝暦6(1756)四角い台の上、唐破風笠付角柱型の石塔の正面を深く彫りくぼめて、その中に日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


頭上は一部破損。面頬をつけた野武士のような顔立ちの青面金剛。持物は矛・法輪・鏑矢・弓。足元には大型犬のような邪鬼が横たわる。こちらも顔のあたりが傷つけられているようだ。二鶏も三猿も見当たらなかった。


塔の左側面 武刕足立郡與野領鹿手袋邑、その横に庚申講發起とあり一名の名前。さらに結衆男女四十八人。


右側面中央に「奉彫刻青面金剛」、両脇に造立年月日が刻まれていた。


続いて小堂の中 丸彫りの六地蔵立像。昭和58年に100人余りの檀信徒が協力して造立されたもの、厚い信仰心が現在にまで残されている。


その脇に大型の地蔵菩薩立像。紀年銘は見当たらず造立年はわからないが、古くから寶泉寺の境内にあったものだという。


風化のために顔ははっきりしないが、大きな傷はなく比較的美しい状態を保っていた。石質や像の様子から考えて、造立は享保から宝暦あたりかと思うのだがどうだろう?もちろん確証はないのだが・・・


像の正面、下部に薄く銘が残っている。□□與野領鹿手袋村 施主 講中。こちらは村の人たちが力を合わせて造立した「講中仏」だった。

 

JR武蔵野線南路傍 南区鹿手袋4-17[地図]


寶泉寺の西の道路を中浦和方面に進み、武蔵野線の手前を右折して東に向かう。150mほど先、信号交差点の手前の道路左側に庚申塚があった。階段の左脇に石塔が立っている。


雨除けの下 馬頭観音塔 天明5(1785)舟形光背に慈悲相二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。塔の上部と顔のあたりが一部欠けていた。光背右脇に「馬頭觀音」その下に鹿手袋村。左脇に造立年月日。その下に施主は個人名が刻まれている。


小堂の中 庚申塔 寛政11(1799)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。なお両側面の銘は堂内が暗いうえに堂の壁板との隙間が狭すぎて写真は撮れなかった。左側面はライトをあててやっと確認、中央に左 よの。その右脇に武刕足立郡與野領鹿手袋村。左脇に女人講 廿八人。右側面は銘が刻まれているのがやっとわかる程度、造立年月日などが刻まれているらしい。


小堂の中はやはり薄暗い。江戸時代後期らしく彫りは細かく技巧的。発達した瑞雲に日天・月天。顔の周りに波打つのは衣装の一部か?右手に太い剣を持ち、左手は足を折り曲げ腰のあたりにすがりつくショケラの髪をむんずとつかむ。持物は矛・法輪・弓矢と普通だが、上のほうの腕の付き方がちょと不自然。以前どこかで見たことがあるような気がする。


腰衣の紋様は独特。衣装のすそが跳ね上がり、その上にちょこんと二鶏。足元の邪鬼は二匹?三猿は両端が内を向く形だが、片手使いか?中央の猿はツタに絡まれているように見える。さて、10年前この庚申塔を取材したときは、さほど貴重なものとも思えず、おざなりに紹介したのだが、今回久々に見て驚いた。当時は何も知らなかったのだが、細部がその後岩槻区で見た庚申塔とそっくりで、これはもしかしたら岩槻石工の作品?いままで見沼区以外で岩槻石工の作品をほとんど見たことはなく、その意味では大変貴重な庚申塔といえるだろう。石仏研究の大先輩である五島さんが岩槻石工の作品に大変詳しく、以前いただいた資料をあらためて見てみると、この庚申塔をあの田中武兵衛の作品ではないかと推理されていた。見沼区片柳で田中武兵衛の二基の青面金剛庚申塔を初めて見たときには、その素晴らしさに感動したものだ。それがこんなに近くにあったとは、本当なら「灯台もと暗し」もいいところだ。

参考までに岩槻区の庚申塔をあげておこう。


岩槻区箕輪、久伊豆神社の庚申塔 寛政10(1798)腰衣の紋様、跳ね上がった衣装のすその上の二鶏、三猿の様子までよく似ている。




こちらが見沼区片柳で初めて見た田中武兵衛の銘のある青面金剛庚申塔 文化7(1810)下部の邪鬼、二鶏、三猿にいたるまで、細密な彫り。独創的で素晴らしい庚申塔だった。