景元寺 大宮区北袋町2-379[地図]
県道35号線、産業道路の北袋町二丁目交差点から東に入り、180m先を左折すると、路地の突き当たりに景元寺の入口がある。
入口右脇 地蔵菩薩塔
文化8(1811)白カビに覆われた丸彫りの地蔵菩薩立像。角柱型の石塔の側面に戒名と命日が刻まれていて、こちらは墓石だった。
境内に入ってすぐ左側に小堂が立つ。小堂の中には前後に二組の六地蔵菩薩塔が並んでいた。
前列
舟形光背型の六地蔵菩薩塔寛政12(1800)風化が著しく進み一部剥落、左から2番目の光背に造立年月日。3番目の光背右脇に㣺袋村と刻まれている。
後の丸彫りの六地蔵菩薩塔
万延2(1861)こちらも顔が削れていて右端は特に大きく破損。足元の大きな台の正面に施主 新堀とあり、その右サイドに造立年月日が刻まれていた。
後列の中央
名号塔、おそらく両サイドに並ぶ丸彫りの六地蔵と同時に建立されたのだろう。片岩の中央に「南無阿彌陀佛」右脇に観世音、左脇に下から読んで大勢至とあり阿弥陀三尊を表すのだろう。その下に「極楽往生を おし□る
地蔵尊 心六体 建立新堀」
小堂の左、前列に三基、その後ろに六基の石塔が並んでいた。
前列右 順礼供養塔
文化元年(1804)二段の四角い台の上に角柱型の石塔。
正面、阿弥陀三尊種子の下「奉納 羽黒山 湯殿山 月山
百ヶ所觀世音供養塔」
塔の右側面に「願似此功徳 普及於一切 我等與衆生
皆共成佛道」左側面に造立年月日。さらに武刕足立郡大宮領北袋村。
上のほうの台の正面に願主 五名の名前が刻まれている。
中央 馬頭観音塔
安永7(1778)舟形光背に忿怒相二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。塔の右側面に造立年月日。
頭上の馬頭はくっきり明快。三眼の馬頭観音は馬口印を結ぶ。光背右脇「馬頭觀音大士」施話人
圓教大徳。左脇に念佛講中二十七人 北袋村と刻まれていた。
左 馬頭観音塔
文久2(1862)二段の四角い台の上に角柱型の石塔、神社の権現造りの屋根を模した笠を持つ。上の台の正面に施主 新堀。
塔の正面に草書体で「馬頭觀世音菩薩」脇に小さく文字のようなものが見えるが銘だろうか?
右側面に和歌?やはり草書体でうまく読めない。
左側面に造立年月日。その横に爲㣺袋邨・・・・こちらもうまく読めなかった。
後列の六基の石塔は馬頭観音塔。右から2番目だけが像塔で残りの五基は文字塔。左から3番目は倒れている。五基の造立年は弘化3(1846)から昭和9(1934)、いずれも施主は個人。
右から2番目が唯一の像塔。馬頭観音立像
寛政11(1799)光背右脇「爲馬頭觀音」左脇に北袋村 源助と刻まれている。
北袋公園西路傍 大宮区北袋町2-412-2[地図]
産業道路の北袋町二丁目交差点のすぐ北の交差点から東に入ってすぐ、道路右側の駐車場の隅に小堂が立っていた。
小堂の中 庚申塔 元禄12(1699)大きな舟形光背に日月雲 青面金剛立像
合掌型六臂。
上部、尾を引く瑞雲に抱かれた日天、月天。青面金剛の頭上に見えるのは人面か?右上手は絡みつく蛇をつかみ、左上手に柄の長い矛、下の手に弓矢を持つ。光背右脇「奉供養
庚申講 爲二世安樂」左脇に造立年月日。その下に㣺袋村道行拾七人。
足元にどんぐりまなこの邪鬼が横たわり、その両脇に二鶏。その下に正面向きに座る三猿が彫られていた。