岩槻区黒谷

普慶院 岩槻区黒谷1292


浮谷の常福寺の東、200mほど先の交差点を左折してしばらく行くと、突き当りに普慶院がある。山門を入り正面に本堂。参道左には宝塔が立っていた。


宝塔 宝暦6(1756)屋根型の笠を持つ。塔身部四面にそれぞれ梵字が刻まれている。


基礎部正面中央に「奉造立寶塔一基」その両脇に造立年月日。残りの三面には願文が刻まれていた。


本堂の左側が墓地になる。その入口付近、雨除けの下に三基の石塔が並んでいた。


左 地蔵菩薩立像 延享元年(1744)沙弥、沙弥尼とあり、出家者の墓石になるのだろう。


中央 一石六地蔵塔 享保4(1719)舟形の光背に六地蔵菩薩立像を浮き彫り。中央付近が特に白カビが目立つ。


光背右脇「奉造立供養六地蔵尊像一躯二世安樂處敬白」左脇に造立年月日。その下に木下結衆男女廿六人と刻まれていた。


右 六地蔵塔 天明91789)唐破風笠付きの角柱型の石塔の三面にそれぞれ二体ずつ地蔵菩薩立像を浮き彫り。正面下部右に造立年月日。続いて二つの戒名。左側面の下部にも一名の名前が刻まれている。


左側面の下部に西國・秩父・坂東百カ所とある。順礼供養塔の意味もあるようだ。

妙円寺 岩槻区黒谷1263


普慶院に入る交差点を東に直進してまた150mほど行くと、左手に妙円寺がある。この道をさらに東に進むと和土小学校の横に出ることになる。境内の右手前が墓地になっていて、その入り口に六地蔵が祀られていた。


六地蔵菩薩立像 享保7(1722)横長の台石の上に丸彫りの六体の地蔵菩薩立像。像の大きさ、蓮台の様子などもそろい、カビや大きな欠損も見られず気持ちがよい。


六体が乗る横長の台の正面にたくさんの銘が刻まれていた。戒名、命日や多くの名前の中に、尾ヶ崎惣村志男女、當村勧化志男女、下新井村志之男女、高曽根村中志男女、岩槻惣町信心男女などの文字も見える。


台の左の部分には「為大乗妙典書寫」などとあり、最後に造立年月日が刻まれていた。

 

和土小学校東路傍 岩槻区黒谷905向かい


和土小学校の南を通る道を東に150mほど歩くと道路左側、バス停の脇に石塔が立っていた。周りを木々に囲まれ、奥のほうにポツンと立っているので見逃しやすい。


山王大権現塔 宝暦6(1756)塔の正面に「山王大権現」その下両脇に二鶏。さらにその下に三猿を彫る。庚申塔に三猿は一般的だが、山王信仰において猿は神使とされ、このような山王信仰と庚申信仰が結びついた石塔をいろいろなところで見ることができる。


塔の右側面 上部に造立年、その下に施主として六名の名前が刻まれ、左側面にも同じく六名の名前が刻まれていた。

黒谷久伊豆神社 岩槻区黒谷


和土小学校の東400mほどの道路左側に久伊豆神社がある。一の鳥居のすぐ手前、参道右脇に石塔が立っていた。


猿田彦大神塔 大正7(1918)脇に「甲申様」と書かれた立て札がある。塔の正面「猿田彦大神」その両脇に文字が見えるがカビの中でうまく読み取れなかった。


下部に「み申 きか申 いハ申」とあり、文字で三猿を表したもののようだ。これも庚申塔の一つのあり方なのだろう。


塔の右側面「和戸村指定村社久伊豆大神」左側面には造立年月日。その下に崇敬者中と刻まれていた。裏面にも多く文字が見えるが白カビが多く読み取りにくい。中央に「南埼玉郡和土村大字黒谷」まわりの文字は地名らしい。かすかに三里などと見え、道標の役割を果たしていたのだろう。

 

光善院 岩槻区黒谷1853


黒谷にある和土小学校の東、久伊豆神社の隣に光善院の墓地がある。入口左のブロック塀の裏に石塔が並んでいた。ブロック塀の陰になる関係で写真を撮る場合、光線の状態が非常に悪く、しかも基本的に逆光になり、何回もトライしたがあまり満足な写真が撮れなかった。


入口近くから 庚申塔 明治4(1871)塔の正面に大きく「庚申塔」


塔の左側面は無銘。右側面に造立年月日。その下に村中安全と刻まれている。


その裏にある石塔はブロック塀と庚申塔に挟まれ、正面から全体を写すことができない。両側面は無銘。正面上部に馬頭観音らしき坐像を浮き彫り。その下は欠けている部分がありはっきりしないが、「文」・・文化か文政だろう。さらにその右下に施主という文字が残っていた。


その右に庚申塔 享保4(1719)角柱型の石塔で上部に笠があった痕跡がある。日月雲に続き正面を彫り窪めた中に合掌型六臂の青面金剛立像 。白カビが多く顔などの様子はよくわからない。


下部も白カビが多い。足下に邪鬼は頭を左にしてうずくまり、その下に正面向きの三猿。二鶏の姿は見当たらなかった。


塔の左側面に造立年月日。その下 庚申待講中、黒谷邑女中都合三十八人。右側面は状態が悪く判読が難しい。資料によると「奉造立供養青面金剛像一躯為二世安樂也 結主敬白」と刻まれているという。


その奥 庚申塔 宝暦12(1762)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。こちらも白カビが多い。足下に邪鬼と両側の猿が内を向く構図の三猿。やはり二鶏はいない。


両側面も白カビに覆われていた。左側面、上部に薄く造立年月日。その下は名前のようだがはっきりしない。右側面はさらに厳しい状態で文字らしきものは見えるが判読はできなかった。


続いて 馬頭観音坐像 文化5((1808)上部に馬頭観音坐像を浮き彫りにしているが風化が進み細部ははっきりしない。その下に造立年月日。右脇に黒谷村 施主とあり、左脇に個人名。こうやって見ると先ほどの庚申塔の裏に立っていた石塔と類似点が多く、二基は兄弟塔のように思われる。


右端の石祠は 天神宮 天保3(1832)正面、梅の木の下に菅原道真の坐像。右側面に造立年月日。左側面に黒谷村と刻まれていた。


境内を進むと左側が墓地になる。その入り口付近に石仏が集められているが、その多くは個人の墓石だった。上半身だけ地上に丸彫りの石地蔵が土の中深く埋められている姿は不気味だ。


左に六地蔵塔 享保4(1719)上の写真で見えるように塔の上に本来あるはずの笠を欠き、その代わりに蓮台が乗っている。右下に埋まる石地蔵の蓮台だろうか?塔の正面に六体の地蔵菩薩立像を浮き彫り。塔全体に白カビが目立つ。


塔の左側面に造立年月日。その下に黒谷村念佛講中。右側面には「奉造立供養六地蔵尊像為二世安樂也 結主敬白」と刻まれていた。


さらに進むと参道の左側に大きな宝塔 元文3(1738)が立っている。屋根型の笠を持ち、塔身部の四面には梵字。基礎の正面中央「奉造立寶塔一基」その両脇に造立年月日。残る三面には願分が刻まれていた。

遍照院墓地 岩槻区黒谷1782向かい


久伊豆神社の前はT字路になっている。ここから南に向かい少し歩くと、右手に遍照院の跡地?がある。その先の左手に遍照院の墓地があった。


入口右脇 丸彫りの地蔵菩薩立像 正徳4(1714)蓮台から一番下まで、台は五段になっていて塔全体では2m近い。白カビは多いものの大きな欠損もなく、お地蔵さまは穏やかな表情で佇んでいる。


敷茄子の下の台の正面に戒名と僧名が刻まれていた。右側面には願文。続いて施主は個人名。左側面「乃至法界 平等利益」その脇に造立年月日が刻まれている。


入口左側、ブロック塀の前に二基の石塔が並ぶ。左 念仏供養塔 寛文6(1666)蓮の花の彫られた台の上に寛文期らしい板碑型の石塔。


正面を彫り窪めた中に梵字「キリーク」その下に「奉念佛講供養為後生善処一結之諸衆諸願成就之処」右脇に造立年月日。左脇 武州埼玉郡□□江岩付領之内黒谷村。下部に16の名前が刻まれていた。


右 六地蔵塔 明和6(1769)笠付の角柱型の石塔の三面に二体づつ地蔵菩薩立像を浮き彫り。正面上部には阿弥陀如来坐像も彫られている。


台、塔の側面に銘は無く、塔の裏面に紀年銘などが集中的に刻まれているが、ブロック塀との隙間が狭すぎて全部の文字を読み取ることはできなかった。資料によると「奉造立供養六地蔵尊石碑一基為講中當爾世安樂」と刻まれているという。

県道214号線路傍 岩槻区黒谷2004の東


久伊豆神社の前から東に向かい、県道214号線(笹久保通り)との交差点に出る。この交差点の北西の角に石塔が立っていた。


猿田彦大神塔 文化11(1814)塔の正面 日月雲「猿田彦大神」その下に小さく「こ」と見えている。資料では「こしがや」らしいのだが、塔の下部は土に埋まり全体を確認できない。


塔の右側面に造立年月日。その脇に「いはつき道」


左側面には「と井戸ミち」その下に世話人一名の名前。脇に黒谷村講中二十八人と刻まれていた。

薬師堂 岩槻区黒谷2050隣


上の猿田彦大神塔のあたりで県道214号線を横切り、南に向かう道を入ってゆくと、その先に薬師堂がある。階段を登りきった右側に二基の大きな舟形光背型の石仏が並んでいた。


手前 阿弥陀如来立像 宝永5(1708)光背上部に梵字「キリーク」その下に円形の頭光背を持った阿弥陀如来立像。光背右脇「法界聖霊二親菩提 敬白」左脇に造立年月日。その下に了覚禪明と刻まれていた。


奥に地蔵菩薩立像 元禄9(1696) 梵字「カ」の下にしっかりとした立ち姿の地蔵菩薩立像。古いためカビなどは多いが彫りは厚く美しい。光背右脇「奉供養念佛講成就攸」その下に願主個人名。左脇に造立年月日。その下には敬白 施主四十八人と刻まれている。

 

野孫神社西の宅地 岩槻区黒谷2230北


野孫神社の北を東西に走る道を西に向かって歩いてゆくと小さな川を越え、その先にある用水路の向こうで道は左にカーブしてゆく。このカーブの所にある住宅の庭に庚申塔が立っていた。



庚申塔 元禄14(1701)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。大きな駒形の庚申塔。個人宅にあるものだが風化が少なく彫りもくっきりと残っていて美しい。

 

しかめ面をした三眼の青面金剛は首にドクロの首輪をかけている。光背右「奉寄進庚申待二世安樂」左脇に造立年月日。


足の両脇にきれいな二鶏。足下にぬらりひょんのような邪鬼。正面向きの三猿は彫りが細かい。三猿の下の部分には「おたけ」から始まり十一人の名前が刻まれていた。