薬師堂跡 緑区東浦和1 [地図]

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東浦和駅の南200mほど、見沼代用水西縁にかかる吉場橋の北角地にお堂が
立っている。

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お堂の中 薬師如来坐像 元禄6(1693)300年以上たつとは思えないほど美しい。

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お堂の脇に納経回國供養塔 正徳2(1714)正面に奉納大乗妙典六十六部回國諸願成就
右下に見沼 大間木村と見える。

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その右に弁財天塔 嘉永元年(1848)辮財天女廟と彫られていた。

吉場橋北三差路 緑区東浦和1 [地図]

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上の薬師堂から30mほど北へ歩くと右側に石塔が祀られていた。

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正面の彫りが読みにくいが華見堂供養の文字が見える。享保4(1719)上部には
地蔵菩薩坐像が彫られていた。右側面に大みや道の文字が見える。左側面は
塀が迫っていて確認できない。道標だったのだろう。施主三十七人

 

 

明神神社 緑区東浦和2 [地図]

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大北釈迦堂の前の道を南に向かう。武蔵野線を超えると右手に明神神社の鳥居が
見えてくる。参道の左側に庚申塔が見える。

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庚申塔 宝暦7(1757)青面金剛立像 合掌型六臂 側面に井沼方村講中と刻む。

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邪鬼は仰向けで腹部に青面金剛の足を受け、三猿はすっかりくつろいでいる。


井沼方薬師堂 緑区東浦和2 [地図]

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明神神社から南へ坂を下り信号を超えると右手に薬師堂の門。これまで何回か
訪ねたのだがいつも鍵がかかっていて入れなかった。半ば諦めていたのだが
たまたま読んだ本の中にこの薬師堂のことが取り上げられていて、お彼岸の
間は鍵が開いていると書いてあった。この春のお彼岸を待って3月21日にやっと
中に入ることができた。門を入って右側に石仏が並んでいた。

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奥に立っているお堂に向かう道の右の一角には多くの石仏が立っていた。

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地蔵菩薩立像 宝永2(1705)光背に奉造立大菩薩念佛講中為二世安楽と刻まれている

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お堂に向かう道の左側に大型の二基の石仏が並んでいた。奥には墓地が拡がる。

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阿弥陀如来坐像 宝永3(1706)台に大和尚の文字が見える。住職の墓石のようだ。

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その隣に庚申塔 延宝4(1676)青面金剛立像 右手に羂索、左手にショケラを持つ。
二臂の青面金剛は珍しい。腰のところに虎の顔が見える。

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一般の墓地は南側にも拡がっている。その中に立派な重制の石塔が立っていた。
台には三界万霊と刻まれ、寛政5(1793)の銘が見える。

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上部には大日如来、聖観音菩薩、地蔵菩薩の坐像が美しく彫られていた。

大北釈迦堂 緑区東浦和3 [地図]

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東浦和駅から北へ向かいすぐの信号のある交差点で左折して500mほど歩く。
一度坂を下りやがて急な上りになるが、その上りきった交差点で右折すると
すぐ大北釈迦堂に着く。門を入った左手に石塔が並んでいた。こちらの石塔は
題目塔 寛政10(1798)片岩にヒゲ題目「南無妙法蓮華経五千部成就」と刻む。
下部には講中の文字が見える。

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その奥に題目塔 天保2(1831)中央に南無妙法蓮華経、右に上行日蓮大菩薩
五百五十遠忌、左に無邉光日使大士一百五十遠忌。台には大きく檀中の文字。

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奥の墓地に入ってすぐ左に石仏が並ぶ中 聖観音立像 寛文9(1669)古い石仏だ。

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さらに墓地の奥、個人のお墓に宝筐印塔 慶安2(1649)対になっているようだ。
相輪が発達していて隅飾が外反している。江戸初期のものにしては美しい。

 

 

富士見坂通り北路傍 緑区東浦和3 [地図]

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東浦和駅から県道235号線を北に進み二つ目の信号のある交差点を左折する。
この広い道が富士見坂通りで、反対に東に折れると清泰寺方面に向かう。
富士見坂通りを西に500mほど進み、T字路にぶつかる少し前の北側路傍、
雨除けの下に庚申塔が祀られていた。。

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庚申塔 寛延4(1751)笠付の文字塔 左側面に大牧村講中十人と刻まれている。

 


清泰寺 緑区東浦和5 [地図]

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東浦和駅の北500m、清泰寺に西から入る道の角あたりに石塔が並んでいた。

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右に馬頭観音の文字塔が並ぶ。明治、大正、昭和と揃っている。

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小堂の中、六地蔵の隣に立っていたのは地蔵菩薩立像 元禄9(1696)

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蓮台の中央に日待供養之所。右に大牧村、左に奉加百七十五人と刻まれる。

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境内に入る直前の左側 十一面観音塔 安政5(1858)正面に十一面観世音塔
右側面には出羽三山・西國坂東秩父供養塔と刻まれていた。正面右脇に
足立坂東台六番目とある。清泰寺のご本尊は木造十一面観音立像(秘仏)
後ろには小型の庚申塔が並んでいる。

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境内に入る。庚申塔の文字塔がまるで庭の石材のように使われている。

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ブロック塀の前にもびっしりと庚申塔が並んでいた。全部で350基あるという。

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境内の西側に並ぶ庚申塔の前に甲子供養塔、年代等は不明の文字塔

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その隣、庚申塔 万延元年(1860)自然石に隷書体で三百庚申塔と刻む。

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ブロック塀沿いに一列に文字塔が並ぶ中に庚申塔 天明3(1783)が立っていた。
青面金剛立像 六臂 右手に鈴、左手にショケラを持っている。右側面には
奉待庚申五拾度供養塔と刻まれている。上の文字塔の文字と合わせて考えると
天明3年に50基、万延元年に300基、全部で350基の庚申塔ということだろう。

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本堂近く、鐘楼の前に地蔵菩薩坐像 宝暦8(1758)台座に六十六部日本回國
奉納大乗妙典供養塔と彫られていた。


氷川神社西路傍 緑区東浦和5 [地図]

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東浦和駅から北に向い初めての信号機のある交差点で右に曲がり、またすぐ
左折すると突き当りに赤い小堂があった。現場はコの字型の路地の角。
普通は入り込むような道ではないのでここは盲点になっていた。

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庚申塔 安永2(1773)青面金剛立像 合掌型六臂 光背右下に大間木村講中十六人

西谷自治会館 緑区東浦和5 [地図]

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東浦和駅前の広い通りを北へ300mほど行き、右に折れてすぐまた左折する。
しばらく歩くと左側に西谷自治会館がある。入り口近くに石塔が並んでいた。
琴平・天満天神塔 明治18(1885)彫りが薄くなっていて読みにくい。

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左隣には弁財天塔 文化6(1809)正面に辮財天と彫られたシンプルな文字塔

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奥の墓地の前に庚申塔 安永5(1776)青面金剛立像 合掌型六臂が立っていた。
邪鬼は正面向きM字型、三猿はいまひとつはっきりしない。左側面には
大間木村西ヶ谷戸 願主 澤野武大母と刻まれていた。

吉場墓地 緑区東浦和5 [地図]

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清泰寺のすぐ北に吉場墓地がある。清泰寺と隣接している真裏の墓地である。
門を入ってまっすぐ歩いて行くと右手に庚申塔が立っていた。

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庚申塔 明和元年(1764)青面金剛立像 六臂 左手に鈴、右手にショケラを持つ。
青面金剛は恐そうな顔をしているが全体に線が細くおとなしい印象を受ける。
ほっそりとした足の下の邪鬼もまるで腰をもんでもらっているかのようで
満足そうな表情をしている。下の台には勧化三拾人と刻まれていた。