西川口駅南路傍 川口市西川口3-15
西川口駅西口からまっすぐに西に向かい、最初の信号のある交差点を左折する。
やがて広い通りに出る。これを渡って少し歩くと、右手の角に庚申塔があった。
享和2(1802)唐破風笠付 青面金剛立像
剣・ショケラ持六臂。凝った作りの笠。
表面の状態は良くないが、彫りは厚みがあり本格的だ。
足元に邪鬼。丸顔で右手だけ前に伸ばしている。下の台の正面
三猿が素晴らしい。
三者三様の個性的なポーズ。真ん中の聞か猿は帽子をかぶり肩に御幣を担ぐ。
塔の右側面
真ん中に年号。両脇 右 前川道 左 善光寺道と刻まれていた。
左側面
左 わらび道。その下に講中 三十人。
阿弥陀堂墓地 川口市西川口3-20
さらに南に歩く。三丁ほど先を右折して次を左折するとその角に墓地があった。
墓地の北西の隅に庚申塔。その左下に小さく見えているのも庚申塔のようだ。
庚申塔
文化10(1813)日月雲の下「庚申塔」塔の右側面には年号。
下の台の正面、線香立ての陰になっていたが法被を着た三猿が彫られていた。
台の左側面 右
わらび道。右側面 横曽根村講中二十二人。願主個人名を刻む。
左
庚申塔 土に埋もれているのか途中で折れているのか、見えているのは
「庚申」だけ。側面に文字があるがよくわからなかった。
西福寺 川口市西川口3-24
墓地の前を南に歩くと右手に西福寺がある。本堂の左手に小堂が立っていた。
年代不明の六地蔵に囲まれて丸彫の地蔵菩薩立像
享保3(1718)
下の台には年号。続いて横曽根村
地蔵講中と刻まれている。
吉祥院 川口市南町2-6-8
川口駅西口からまっすぐ西に15分ほど歩くと北側に吉祥院の入口がある。
門柱の外
右側に寺標 文化3(1806)正面に「四國八十八箇所寫六十七番」
横曽根村
吉祥院と彫られている。左側面に年号。右側面は壁との間が
狭くてうまく見えなかったが、下青木
龍泉寺江十五丁、続いて、當所
大光寺まで貳丁と読める。龍泉寺は今も青木にあるが大光寺は不明。
私の読み違いかもしれない。
門を入ると長い参道の両側に石塔が並んでいた。右側には二基の石塔。
左側にも二基の石塔が並ぶ。三体の地蔵菩薩が浮彫りされた石塔は左右で一対。
参道左の方の石塔の右側面「奉彫六地蔵石像二基」そのあとには長い願文。
この願文は参道左の石塔の右側面から左側面に続いていて、さらに参道右の
石塔の右側面、左側面まで続いている。この写真では當國横曽根村と見える。
参道右の石塔の左側面
長い願文の最後に元禄7(1694)の銘が刻まれていた。
一石六地蔵は結構見かけるが、二基の石塔で六地蔵というのは初めて見た。
参道右
五智如来石塔 寛文11(1671)笠付の六面塔である。
塔の上部に如来像を浮彫り。その下、「奉造立五智如来」「同如意輪尊像」
裏の面を覗いてみる。なるほど、如意輪観世音坐像が彫られていた。
参道左奥
順禮供養塔 文久元年(1861)正面に 奉順禮 西國秩父坂東百ヶ所
光明真言百万遍供養塔。脇に小さく武州足立郡横曽根村と刻まれている。
左側面 東
江戸 千住などの文字が見える。西 中山道 わらび道だろうか?
山門をくぐり境内に入ると、鐘楼堂の前にも多くの石塔が並んでいる。
一番手前には
弘法大師一千年忌供養塔 天保5(1834)が立っていた。
その隣には釣鐘供養塔
文政10(1827)側面に横曽根村 世話人3名の名前がある。
その奥
丸彫重制の地蔵菩薩立像 昭和2(1927)巡礼記念碑となっている。
続いて板碑が四基並んでいた。右から見てゆこう。
阿弥陀三尊種子板碑
永正元年(1504)上部に阿弥陀三尊の種子。下方中央に
「道性禅門」脇に年号を刻む。
二番目
阿弥陀図像 夜念仏板碑 延徳二年(1490)上部 蓮座上に来迎阿弥陀像。
燭台・香炉・花瓶の三具足の下、中央に「夜念佛供養結衆」その脇に年号。
周りには12名の名前が刻まれていた。
続いて十三仏種子板碑
紀年銘剥落。最上段に胎蔵界大日の種子「アーンク」を
大きく彫り、その下には四列三段に、残り十二仏を刻む。中央に前机・三具足
その両側に「道祐門」多数の名前。向って右端に「奉庚申待供養」
左端
阿弥陀一尊種子板碑 弘安9(1286)蓮座上に阿弥陀如来の種子「キリーク」
下方中央に紀年銘、左右には一対の花瓶を刻む。
その奥に二基の石仏。右の地蔵菩薩像は個人の供養塔であった。
大日如来立像
寛文12(1672)智拳印を結ぶ金剛界大日如来はやさしい表情。
像の裏、真ん中に「奉造立□□光明真言□也」「□□結衆□□衆生二世安楽所」
右脇
武州戸田之郡横曽根邑?別當 正福寺 同主 九拾人 敬白などと読める。
横曽根神社北西角 川口市南町1-15
横曽根神社の角、雨除けの下に庚申塔が祀られていた。
庚申塔
天保3(1832)日月雲 青面金剛立像 剣ショケラ持ち六臂。全体に深く
はっきりした彫り。ショケラは合掌している。
足元の邪鬼はここでも仰向けで頭が右側。腹と頭を踏まれていて、
邪鬼は青面金剛の足を必死で抑えようとしている。その下に三猿。
両側の二猿が外を向いているのは珍しい。
左側面に「南講中」右側面に年号。この角度からは像の厚みがわかる。
本覚寺東路傍 川口市宮町8
横曽根神社から北に歩き南町交差点の直前で左に入り次の交差点を右に
曲がると左手に小堂が立っている。幟には「宮町庚申塔」とあった。
庚申塔
享保13(1728)日月雲 青面金剛立像 剣ショケラ持ち?六臂。
面長の青面金剛。しかし顔のあたりは潰されていてはっきりしない。
光背右に施主
拾三人。左に為男女菩提也と刻まれている。
足元の邪鬼の顔が面白い。その下には三猿が彫られていた。
飯仲小学校北路傍 川口市仲町2
宮町あたりから川口駅方面に向かう「オリンピック通り」の飯仲交差点を
北に曲がる。はじめの交差点の角、小堂の中に庚申塔が祀られていた。
庚申塔
元禄12(1699)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。四角い顔だが
はっきりしない。後右上手に持っているのは蛇だろうか。
足元には大型の邪鬼が彫られていた。その両脇には二鶏。さらに三猿と続き、
その下に十数名の名前が刻まれている。
妙仙寺交差点角 川口市川口2
川口駅西口からまっすぐ西に向かうと妙仙寺交差点の北東角に庚申塔がある。
左側面に文字は見えない。右側面も上部剥落のため造立年などはわからない。
左脇に臺講中とだけ読むことができたが、臺は地名だろうか。
川口西公園北隅 川口市川口4-1
川口駅西口は文化施設や高層住宅が多く立ち、周辺の整備が進んでいる。
西口を出て線路沿いを北に向かうと気持ちのよい川口西公園が広がっている。
最も北にある「錦町広場」その北西の隅、生垣に囲まれて小堂が立っていた。
堂の中 庚申塔
安永3(1774)日月雲 青面金剛立像 鈴ショケラ持ち六臂。
足元に邪鬼。その下に三猿。両方とも表面が磨耗していてはっきりしない。
鈴持ちの青面金剛はひさしぶりに見た。青面金剛の足が異様に細い。
小堂の右手に大きな猿田彦大神塔
安政(1857)が立っている。
塔の右側面に大きな文字で年号が刻まれていた。
左側面中央 東
こしかや道 西 うきま道 南 か己くち道 北 己らび道と刻む。
下部には、これも大きく飯塚村と刻まれていた。
塔の裏には講中四十四人。世話人十名の名前があり、川口宿石工文治朗と続く。
川口労働基準監督署西墓地 川口市川口2-10
川口駅西口を出て南に向かう。線路近くに労働基準監督署があり、その西隣に
ブロック塀に囲まれた墓地。門を入ってすぐ右手に石仏が並んでいた。
地蔵菩薩立像
享保16(1731)下の台に「奉念佛供養」と刻まれている。
その奥には
庚申塔 文化6(1809)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。
足元の邪鬼は正面向き。ぺしゃんこに踏み潰されている。猿と鶏は見えない。
右側面に年号。左側面には 飯塚村
青木善院と刻まれていた。
さらにその奥
猿田彦大神塔 安政(1857)川口西公園の石塔とそっくりである。
塔の右側面に年号。左側面は地名などがなく、飯塚村とだけ刻まれていた。
裏に回る。こちらは川口西公園の石塔と全く同じ内容だ。
最勝院東路傍 川口市飯塚1-14
川口市飯塚にある最勝院。その東にある路地を北に入ると正面に石塔が見える。
猿田彦大神塔
安政(1857)両側面と裏面も上の墓地のものと全く同じ構成だ。
以下、写真だけ見ていただこう。
飯塚3丁目公園南墓地前 川口市飯塚4-6
最勝院から西へ歩く。飯塚3丁目公園交差点から南に向かうと墓地がある。
そのブロック塀の前に二基の石塔が立っていた。
猿田彦大神塔
安政(1857)四基の石塔を同時に奉納したということだろう。
川口西公園の石塔だけ道標になっていたが、あとの三基は同じ内容だ。
その隣 庚申塔
弘化3(1846)主尊として猿田彦像が彫られている。
下の台の正面に三猿を彫る。三猿の下、施主10名ほどの名前が刻まれていた。
原町小学校南空き地 川口市飯原町6
最勝院の前の道を西に歩き、原町小学校のすぐ手前の細い道を南に入ると
荒川の土手付近でT字路に突き当たる。右手の空き地に小堂が立っていた。
左に個人の戒名が刻まれた地蔵菩薩像。その右に庚申塔が並ぶ。
庚申塔
宝暦7(1757)日月雲 青面金剛立像 剣ショケラ持ち六臂。上部を欠き
表面は風化のためか丸みをおびている。
足の両脇に薄く二鶏。邪鬼は仰向けで頭を踏みつけられていた。下部に三猿。
真ん中の言わ猿は薄くはっきりしない。右の聞か猿は右手に御幣を持っている。
塔の右側面
上部に「庚申」その下に武州足立郡戸田領 横曽根村 講中三拾人。
左側面には年号。その下
井塚新原南?原町の南だろうか。願主 遠山氏。
錫杖寺 川口市本町2-4-37
天平12(740)開基という古刹。いつ訪れても境内は手入れが行き届き気持ちよい。
山門の奥、参道の左側には幟が並んでいる。
山門を入ってすぐ左、小堂の近くに多くの石仏が集められていた。
小堂の左側に庚申塔が三基。右から庚申塔
文政2(1819)日月雲 青面金剛立像
剣・ショケラ持ち六臂。大きめな邪鬼の背中を踏む。下部に三猿。鶏は見えない。
上部、日月が光背から飛び出している。
塔の右側面に年号。□州四天王寺庚申堂講中と彫る。大阪の四天王寺だろうか?
願主
個人名。石工名まで刻まれていた。
隣 庚申塔
享保10(1725)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。
邪鬼・三猿。青面金剛の周りに「庚申」「供養」「講中」と刻む。
塔の右側面に年号。左側面に文字は見当たらない。
その左
石塔の後に庚申塔 造立年不明 一猿のみ浮彫りにされているが
面が磨滅していて文字などは確認できない。
小堂の中には「鋳物の町」川口らしく鋳造の地蔵尊像が祀られていた。
小堂の奥には二体の石仏が並んでいる。左
聖観音立像 正徳3(1713)右手が
欠けていた。地蔵菩薩立像は銘が見当たらず詳細は不明。
参道の左側は見所が多い。川口天満宮。ご神体は菅原道真の自作だという。
隣、鐘楼の前に福禄寿堂。長頭で経巻と杖を持った木像が安置されていた。
次は弘法大師像。たくさんの赤い幟に囲まれ、思わず手を合わせたくなる。
さらに右と対になった大きな石灯籠
寛延4(1751)が立っていた。
その先に十三仏が一同に揃う。朝早い時間でもいつもお花が供えられている。
参道の先には本堂。屋根や賽銭箱など、あちこちに葵の紋章が目に付く。
本堂の左側に二基の石柱が立っている。手前
昭和9年 奥 天保5年の弘法大師
一千百年忌供養塔、一千年忌供養塔。右側面には願文が刻まれていた。
参道の東側に地蔵堂がある。その前の植え込みの中に八面塔が立っていた。
正面に金剛界大日如来坐像。周りに六地蔵が彫られている。
裏には胎蔵界大日如来坐像。竿部に昭和52年の銘があった。両界大日如来と
六地蔵が共に彫られている八面塔はあまり例が無いようだ。
岩槻街道本町交差点北東路傍 川口市本町2-11
岩槻街道と産業道路の交差点 本町交差点の北東路傍、ブロックに囲まれて
石塔が並んでいた。正面に上半分を欠いた庚申塔が見える。
右脇に 猿田彦大神塔 年代など詳細はわからない。
正面右 庚申塔 大正9(1920)青面金剛立像 合掌型六臂。日月が無いケース。
邪鬼がちょっと変わっている。左側面 石工と大工の名前が刻まれていた。