西区三条町

三条町自治会館防災倉庫前 西区三条町233[地図]


県道57号線、大宮南高校を過ぎたあたりを左折して細い道を100mほど進むと、交差点の角に三条町自治会館がある。敷地の隅の防災倉庫の前に二基の石塔が並んでいた。


小堂の中 庚申塔 宝暦7(1757)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 青面金剛立像 合掌型六臂。石塔の丈が短く上部に日天・月天がない。


風化が進み像全体が摩耗、、青面金剛の顔もはっきりしない。持物は矛・法輪・弓・矢か?


足元の狭苦しい空間に赤子のような邪鬼と正面向きの三猿。二鶏はいない。


塔の左側面に信心道俗男女と刻まれているがこれは初見。「仏に帰依する僧俗男女」という意味か?続いて三条町村とあり、その下に三名の名前が刻まれていた。


右側面中央に「奉造立庚申像一軀」両脇に造立年月日が刻まれている。


その隣 敷石供養塔 天保3(1832)角柱型の石塔の正面「 石供養塔」上部が欠けていて完全ではないが「敷石」だろう。両脇に造立年月日が刻まれていた。


塔の右側面 右上に三条町村中。左脇にセハ人とあり、その下に三段に12人の名前が刻まれている。


左側面、右上が一部欠けて銘は不完全だが、江戸連雀丁か?東光院の宝篋印塔と同じく、ここでも江戸の商人の名前が出てくる。その下に中林村 セハ人とあり三名の名前が刻まれていた。

上敷共同墓地 西区三条町393[地図]


三条町自治会館の前の道を西に150mほど進むとT字路にぶつかる。ここを右折すると、道路左側の交差点角に墓地があった。


入口から入ってすぐ右側に三基の石塔が並んでいる。


右 四国移霊場標石 天保4(1833)角柱型の石塔の正面「弘法大師」右脇に阿波國法林寺移 足立八十八箇所 第九番。塔の右側面に造立年月日。左側面に三条町村 安養院立之と刻まれていた。
 

中央 廻国供養塔 安永8(1779)角柱型の石塔の上に蓮台に立つ丸彫りの地蔵菩薩像。蓮台の上に白カビが雪のように積もっている。


角柱型の石塔の正面中央「奉納廻國供養佛」上部両脇に天下和順・日月清明。右下に願主 道閑、左下に同行 浄圓。右側面に造立年月日。


左側面に勧化村々爲二世安樂也と刻まれていた。


左 不明塔。角柱型の石塔は風化が甚だしく、どの面も剥落、左右両側面の下部に人名と紀年銘らしきものがかすかに残っているが、いずれも読み取ることは難しい。


その奥、ブロックの小堂の中に丸彫りの六地蔵塔が祀られていた。銘は見当たらないが、全体の様子から昭和以降のものと思われる。


六地蔵塔の正面、東向きに大きな地蔵菩薩塔 享保6(1721)が立っていた。大きな四角い台に反花付きの台を重ね、重厚な敷茄子・蓮台に丸彫りの地蔵菩薩坐像。坐像にもかかかわらず2mを超す立派な地蔵菩菩薩塔。


下の四角い台の正面に銘が刻まれている。右端に「信心道俗男女」先ほど三条町自治会館前の庚申塔で初見としたのだが、何か出典があるのだろうか?続いて「奉造立地蔵菩薩一軀」さらに四行に渡って回向文。続いて造立年月日。左端に三条町□□と刻まれていた。


お地蔵様は左手に宝珠を持つが、右手は施無畏印。なぜか足のつま先だけが欠けている。


なにげなく裏に回ってみると背中に妙なものが付いていた。蓮の花?これも今まで見たことがない。なんだろう?