浦和区 神明・岸町

阿弥陀堂 浦和区神明2-7[地図]


JR武蔵浦和駅から田島通りを東へ向かい、1kmほど先、上り坂をのぼりきったあたりの信号交差点を右折、二つ目の交差点で左折して道なりにしばらく進むと、道路左側に阿弥陀堂があった。


お堂の左手前に三基の石塔が並んでいる。右端の石塔は墓石だった。


左 地蔵菩薩立像 元文5(1740)四角い台の上の角柱型の石塔の上に蓮台に立つ丸彫りの地蔵菩薩像。


錫杖の先は欠けているが、納衣など細部の彫りは比較的きれいに残っている。


角柱型の石塔の正面に「奉建立地蔵尊」両脇に造立年月日が刻まれていた。


その隣 地蔵菩薩立像 寛文8(1668)舟形光背に地蔵菩薩立像を厚く浮き彫り。静かで落ち着いたたたずまい。


光背右脇に念佛講中同行十四人。左脇に造立年月日が刻まれている。


お堂右手前、道路側のフェンスの前に石塔が並ぶ。その多くは墓石だった。


後列左から3番目 不動明王 元文6(1741)舟形光背に不動明王立像を浮き彫り。右手に剣、左手に羂索を持った不動明王。江戸時代後期の成田山不動明王のようなダイナミックな造形と構図とは違い、全体におとなしい表現。足が短いのか、なにかに腰掛けているのか?立像なのか坐像なのか?微妙な感じ。光背右脇に大きく「奉造立不動明王一軀」左脇に造立年月日。その下に願主 二十五人と刻まれていた。

神明共同墓地 浦和区神明2-22[地図]


田島通りの神明坂を降りきったあたり、北へ入って次の交差点の北東の角に墓地があった。


墓地に入ってすぐ右手、雨除けの下、二段の四角い台の上に異様に白い丸彫りの地蔵菩薩立像 明治34(1901)像は最近再建されたものだろう。


銘はひどく薄く読み取るのに苦労する。上の段の正面、上部横に「子 養」中央縦に「地蔵尊」いわゆる子育て地蔵だろう。右側面に造立年月日。


下の台の正面、横に「當 所」中央縦に「講中」と刻まれている。

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10年前取材したときは地蔵塔の横にこの名号塔 安政4(1857)が立っていたが、現在は見当たらない。信州善光寺念仏講によって造立された名号塔で、台の正面にも「村講中」とあって貴重な供養塔だと思ったのだが・・・

稲荷神社 浦和区岸町5-4[地図]


県道213号線、岸町公民館の前の信号交差点から200mほど南を右折、西に進むと右手に稲荷社がある。祠の左脇に自然石の石塔が立っていた。


庚申山二神塔 造立年不明。上部に庚申山。その下に「佐田彦大神」「大宮比大神」と二つの名前が刻まれている。庚申山はおそらく地名だろう。「佐田彦神」は伏見稲荷で祀られる神で、猿田彦神の別名という説があるという。「大宮比神」は伊勢神宮内宮の守護神「宮比神」だろうか。猿田彦神の妻であるアメノウズメノミコトの別名という説があり、この二柱を祀ったものと考えたい。


左端の銘は小さく読みにくい。御山内 靈神 總□ 大林真婦桃世大靈。なんとかここまで読めたが残念ながら意味は分からない。


ごく薄くなっていて気が付かなかったが、背面にも銘が刻まれているようだ。ところどころ読めるが全体が確認出来たら造立年など詳細がわかるだろう。今回は時間がないので見送りということで、宿題としたい。

起志乃天神社 浦和区岸町5-8-9[地図]


岸町公民館前交差点のすぐ南を右折して西へ200mほど進むと、右手に起志乃天神社があった。鳥居の先、左奥に拝殿が見える。


拝殿の右脇奥に五基の石塔が並んでいた。


左端 庚申塔 宝暦12(1762)粗彫り角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、中央に「青面金剛」両脇に造立年月日。


塔の左側面は無銘。右側面に岸村講中。その下に世話人とあり三名の名前が刻まれている。


続く三基は神塔。右端 猿田彦大神塔 造立年不明。粗彫り角柱型の石塔の正面に大きく「猿田彦命」台が土中深く埋まっているためか他に銘は見当たらなかった。