岩槻区仲町・城町

秋葉神社 岩槻区仲町1-1-12


岩槻駅南口から広い道をまっすぐ国道16号線方面に向かう。岩槻駅入口交差点で県道2号線を横切り、さらに500mほど進むと道路左側に曹洞宗のお寺、千手院があり、その隣に秋葉神社があった。秋葉神社の入口はこの広い道路ではなく、裏の細い道のほうになる。入口右側のブロック塀の前に庚申塔が立っていた。


庚申塔 文化3(1806)塔の正面 日月雲「庚申塔」


塔の右側面に造立年月日。左側面には杦(杉の異体字)並町講中と刻まれている。

六地蔵堂 岩槻区仲町2-9-17


秋葉神社の入口から前の細い通りを越えてまっすぐ進むと少し広い通りに出る。駅から国道16号線に出る広い道路とほぼ平行に走るこの通りが、おそらく駅付近から仲町を抜けて府内、飯塚方面に向かう旧道だったのではないだろうか。この道沿いには古いお寺跡、神社などが点在している。国道16号線に出る200mほど手前の変則的な五差路の角に六地蔵堂があった。


入口左側、小さな社の奥に石仏が並んでいる。


左 庚申塔 正徳3(1713)日月雲の下を彫り窪めて 青面金剛立像 合掌型六臂。後上左手にショケラをかかげる「岩槻型」である。塔の上部に唐破風を付けるが、石塔の上に唐破風笠を乗せるのではなく、石塔の上部を彫り出している形。最近では浄国寺参道左など、岩槻にきてから時々見かける。これも地域性だろうか。


頭に青面金剛の両足を乗せた正面向きM字型の邪鬼。正面向きの三猿。二鶏はその下にしっかりと彫られている。向き合う二鶏の間に男女五十二人、雄鶏の右に林道六番町、雌鶏の左に林道杉並通と刻まれていた。


左側面に造立年月日。右側面には「奉造立庚申供養尊」と刻まれている。


その隣 如意輪観音坐像 宝暦5(1755)大きな舟形光背に二臂の如意輪観音坐像を浮き彫り。右脇に大きな字で「奉供養為二世安樂」さらにその右にやや小さく願主 林道杉並同行四十五人、左脇には造立年月日が刻まれていた。


続いてその右 地蔵菩薩立像 嘉永元年(1848)丸彫りの立像だが、頭部が無く、錫杖宝珠ともに欠いている。石塔の破損が自然の成り行きか、人為的なものかはわからないが、痛ましいことだ。


像の背面に造立年月日が刻まれていた。下の台はかなり深く埋まっていて銘などは確認できない。


正面のお堂の左側にも古い石塔が並んでいた。大地震の時だろうか、倒れたままになったものもある。


手前から 庚申塔 承応2(1653)江戸時代最初期らしい板碑型の文字塔で、下部には蓮の花を彫り、邪鬼、三猿などは見当たらない。


中央 五文字の梵字の下に「奉祥待庚申會供養石塔二世安樂攸」中ほど両脇に造立年月日。その下は右が武州岩付、左は普利衆生。さらにその下に七名の名前、最後に護持施主等敬白と刻まれていた。


続いて六字名号塔 慶安4(1651)やや小型の板碑型の石塔。文字は比較的きれいに残っているが部分的に白カビが目立つ。下部に彫られているのは開花した蓮の花だろうか。


中央「南無阿弥陀佛」両脇に造立年月日。その下はカビのために読みにくい。いくつか名前が刻まれているが、その中にカナ文字が多く見られ、女性の講中かもしれない。


その奥に倒れていたのはこちら、六字名号塔 安永3(1774)梵字「キリーク」の下に「南無阿弥陀佛」その下に薄く蓮の花を線刻。両脇に造立年月日。右下に堂守□□□、左下に新福寺村 俗名とあり個人名が刻まれていた。

 

浅間神社 岩槻区仲町2-10


六地蔵堂から200mほど歩き仲町交差点で国道16号線に出る。左折して歩道を進むとすぐ左手、コンクリート造りの建物の上に浅間神社があった。歩道脇に一の鳥居が立ち、神社らしい朱色の階段を登って倉庫?の屋上で参拝というのは不思議な光景だ。


朱色の階段の下に三基の板碑型の庚申塔が並んでいた。雰囲気は良く似ているが、中央の庚申塔は三猿の位置が違っている。


左 庚申塔 寛文12(1672)板碑型の石塔の正面を彫り窪めて三猿をその中に収めている。


中央 梵字「ウン」の下「奉供養庚申家門繁昌二世安穏攸」上部両脇に造立年月日。右下に武州埼玉郡岩付弥勒寺、左下に法印権大僧都宥仙と刻まれていた。


正面向きの三猿の下には七人の名前が刻まれている。


中央 庚申塔 寛文11(1671)板碑型の石塔の正面を彫り窪め、中には文字だけで、三猿はその下に彫られていた。


塔の中央に「奉蔵立庚申供養之事」ちょっと珍しい。両脇に造立年月日。下部には二段にわたって合計21人の名前が刻まれている。


下部に正面向きの三猿。三猿の下の部分は狭く、文字は見当たらなかった。


右 庚申塔 延宝5(1677)やはり板碑型。三猿の位置はこちらが一番高い。


中央 梵字「ウン」の下「奉拝講三王庚申待」庚申信仰が山王信仰と結びつき、山王権現の使者=猿、山王=三王=三猿ということだろうか。右脇に造立年月日。左脇には二世諸願成就所と刻まれている。


正面向きの三猿の下にひらがな3文字の名前が七つ、女性だけの講中か?

岩槻公園南住宅入口 岩槻区城町2-2


六地蔵堂のあった交差点から東へ向かう。国道16号線の北を平行して走るこの道は県道80号線で、やがて元荒川を越え、南平野から方向を変えて千葉県の野田市へと向かう主要地方道になる。元荒川の橋から150mほど手前、左折してすぐ右手の住宅の入口に石塔が並んでいた。この道をそのまま北に向かうと岩槻城跡、岩槻公園の中央を通って県道2号線に出る。


左 馬頭観音塔 天保9(1838)塔の正面に「馬頭観」土深く埋まっていて文字が全部は読めない。


塔も右側面は無銘。左側面に紀年銘が刻まれていた。


その隣 地蔵菩薩立像 安永7(1778)こちらは個人の供養塔。


続いて 地蔵菩薩坐像 安永7(1778)頭部は補修されたもの。台の正面「奉造立地蔵菩薩」両脇に造立年月日。その下も両脇にわたって「講中」だろう。


右側面 右 のじま道 一リ、左側面には 左 ぢおんじ道 一リと刻まれていた。


一番奥に馬頭観音塔。塔の正面 梵字「カン」の下に「馬頭観世音」紀年銘は見当たらない。左側面には個人名が刻まれている。