朝霞市根岸台の石仏

金剛寺 朝霞市根岸台3-4-3

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金剛寺は朝霞駅から花の木交差点に向かうバス通りの根岸台第4分団交差点から
斜め右に入り、下り坂に差し掛かるあたり、左側にある。入口には寺導が立ち、
長い参道の先、仁王像を両脇に茅葺の山門が美しい。車道から少し入っただけで
とても静かだ。手入れがゆきとどいた境内には、ゆったりと時が流れる。

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参道に入ってすぐ左に小堂があり、三基の石塔が並んでいた。。山門付近の景色に
目を取られてうっかり見逃すところだった。

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左 普門品読誦塔 天明7(1787)正面 梵字「サ」の下「奉讀誦普門品為二世安樂也」

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塔の右側面には年号。左側面下部に講中 根岸邑 拾四人と刻まれていた。

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中央 馬頭観音菩薩坐像 宝暦2(1752)合掌型二臂。首の辺りに断裂跡があり光背の
一部を欠く。光背右に「□□畜得樂也」と読める。左上には年号が刻まれていた。

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右 普門品読誦塔 元治2(1865)正面 梵字「サ」の下「奉讀誦普門品為萬民豊樂也」

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塔の右側面に年号。左側面 連經講中拾二人と刻む。上部に明治四十などの文字が
見えるが、正面の文字とも明らかに違っていて、後刻されたものだろう。

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参道を進むと山門手前左側に築山があり、石塔に「朝霞高尾山」と刻まれていた。
頂上に石祠が立ち途中には烏天狗の立像がある。資料ではその階段脇に庚申塔が
あるということで楽しみにしていたのだがなかなか見つからなかった。

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境内に入り、本堂の左側、大きな椎の木の先に六地蔵。その奥に墓地が広がる。

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六地蔵菩薩立像 昭和59(1964)新しいものだが、うっそうとした薄暗い林を
バックに、荘厳な雰囲気が感じられた。

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墓地の東端にひっそりと地蔵菩薩立像 大正8(1919)が立っていた。

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下の塔の正面「為無縁一切精霊菩提」左側面に年号。右側面十数名の名前を刻む。

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高尾山階段脇の庚申塔があきらめられず、何度か訪ねたが見つからなかった。
あきらめかけた頃、お寺のかたがみえたので事情を話し、庚申塔の場所を
教えていただいた。境内東の道路脇、平成16年にこちらに移動されたという。

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庚申塔 宝暦13(1763)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。風化のため
ショケラはほとんど溶けかかっている。右側面に年号が刻まれていた。

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足元に二鶏・邪鬼・三猿がそろう。目鼻立ちははっきりしないがかわいい。


大日堂 朝霞市根岸台2-10

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根岸台にある柊塚古墳歴史広場の道路を挟んだ向かい側、高台の上に大日堂が
あった。入口の階段を上りきったところに六地蔵が並んでいるのが見える。

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六地蔵菩薩立像 明和5(1768)よく見ると七体のお地蔵様だった。六地蔵+1
葉っぱの陰で見にくいが右から3番目のお地蔵様が少し小さい。その持物も
4番目のお地蔵様と同じく右手に錫杖、左手に宝珠でダブっている。おそらく
この3番目のお地蔵様があとから加えられたのだろう。

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右から2番目の台の正面に年号。新座郡根岸村 念佛講中 願主 妙順と続く。

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右から4番目の台には武州新座郡根岸村、大きく「念佛講中」左脇に臺村。
残りの台にはそれぞれ戒名が刻まれていた。

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奥に進むとお堂があり、その右手は小さな墓地になっている。堂の左手前に
ポツンとお地蔵様が立っていた。

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地蔵菩薩立像 享保4(1719)バックが明るく顔が見えにくい。

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蓮台の下の丸い敷茄子の右側に年号。正面に「奉造立地蔵尊」左側には
武州新座郡根岸村と刻まれていた。

馬頭観音堂 朝霞市根岸台5-10

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東朝霞公民館の北東、五差路の真ん中に馬頭観音堂が立っていた。

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堂の中、中央には聖観音菩薩が立ち、周りに多くの石塔が並んでいる。

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聖観音菩薩立像 天和2(1682)左手に蓮のつぼみを持ち、右手は与願印。
涙を流しているかのように見える。光背右「奉造立歸命月天使」光背左
「現當二世安樂所」その下の両脇に造立年月日が刻まれていた。

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右後 馬頭観音立像 文化13(1816)三面合掌型六臂。彫りははっきりしている。

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塔の左側面に年号。その下に左 引又道とある。右側面 堂の隙間からのぞくと
こちらには大村右根岸道と刻まれていて、道標になっているようだ。

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聖観音菩薩像の後に隠れるように馬頭観音立像 文化13(1816)三面合掌型六臂。
こちらはかなり風化が進んでいて顔などもはっきりしない。

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塔の左側面に年号。その下に左 引又道。右側面 大村右根岸道・・・
どうもおかしい。この二基の馬頭観音像は同じ文化13年の銘を持ち、全く同じ
内容ではないか?それにしては状態が違いすぎる。もう一度右の馬頭観音塔を
調べると裏面に昭和四十六年再建と刻まれていた。どうも本来の馬頭観音塔が
風化が激しくなったためにこれを再建して奉納したということのようだ。

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左側には全部で六基の文字塔が縦に重ねて並べられていた。ほとんど隙間がなく
写真は撮れない。先頭の塔は大正13(1924)後の五基の塔には明治12(1879)から
大正15(1926)の銘が刻まれている。