富士見市鶴馬・鶴瀬東

富士見江川あすなろ橋北路傍 富士見市鶴馬2-22-15

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みずほ台から県道266号線を川越方面へ向かう。途中、下り坂を降りきったあたりの信号を斜め右に入ってゆくと富士見江川にかかるあすなろ橋を渡り、諏訪、大室方面へと抜けてゆくことになる。橋のすぐ先の左側路傍に庚申塔が立っていた。

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庚申塔 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。唐破風笠付の角柱型。風化が進み像の表面ははっきりしない。足の両脇に二鶏を線刻。足下には邪鬼がうずくまり、さらにその下にシンプルな三猿を彫る。

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塔の右側面 上部の梵字は一部薄くなっているが「ウーン」か?その下に「奉造立庚申 一尊」

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左側面も上のほうが削れている。その中に四とあり、干支が丁卯となると寛永4(1627)貞享4(1687)延享4(1747)文化4(1807)のいずれかになる。富士見市のHPでは延享4年としているが・・・その脇には入間郡鶴馬村下郷 講中と刻まれている。

来迎寺 富士見市鶴馬2-1-49

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あすなろ橋の先、上り坂を登りきった先に来迎寺の入り口があった。まっすぐ本堂へ向かう参道の両側に小堂の屋根が見える。

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右側の小堂の中には石地蔵と二組の六地蔵が並んでいた。

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右 地蔵菩薩立像 文化11(1814)なかなかおしゃれないでたちの延命地蔵。きりっとした顔立ちが印象的だ。

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台の正面 中央に「先祖代々一切精霊」両脇に二つの戒名。台の左側面に造立年月日。施主は個人名が刻まれていた。

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中央 六地蔵菩薩立像 天明3(1783)像の大きさは揃っていて統一感がある。

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台の正面 右から造立年月日、2番目に講中□拾人、勧化中□人、3番目には「奉納西雲山來迎寺」

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続いて「奉建立六地蔵尊」隣に「念佛三千万遍供養」最後に武州入間郡鶴馬村 領主とあり二名の名前、さらに同心四人と刻まれていた。

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左 六地蔵菩薩立像。こちらのほうはいずれの台も「・・・居士、・・・大姉」となっていて、そのいくつかには紀年銘も見えるが、命日と思われ、造立年月日ははっきりしない。命日は天明年間で、隣の六地蔵とそんなに時代が離れているとは思えないのだが・・・

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参道の左側 地蔵菩薩立像 享保8(1723)丸彫りの大きな延命地蔵。

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蓮台の下、中央に「奉造立地蔵尊念佛講供養」その右脇に造立年月日。さらに右に施主 女人六拾人。中央左脇に武州入間郡鶴馬村、その左下に勧化下郷中と刻まれている。

 

三光院墓地 富士見市鶴馬1-1

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諏訪氷川神社の南、急な坂を下り突き当りを右折して少し進むと右手に三光院墓地がある。入口から六地蔵が見えるがこちらは最近の新しいものだった。

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その先に卵塔が並び、さらにその奥、宝篋印塔まで江戸期の石塔が並んでいる。

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大きな木の下 地蔵菩薩立像 宝暦12(1762)丸彫りの大型の延命地蔵。

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蓮台の下の台、正面中央に「奉造立地蔵菩薩為二世安樂」両脇に渡って上部に天下泰平・日月晴明、下部に台明山 三光院。さらにその下の大きな台の正面には願主、施主十名の名前が刻まれていた。

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台の左側面は確認できない。右側面に造立年月日。その脇に武州川越領鶴馬村谷ツ。鶴馬の「鶴」は実際は雨かんむりの付く旧字だが、機種依存文字ということでうまく表示できないようだ。

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地蔵像の台の裏、狭い空間に隠れるように庚申塔が立っていた。

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庚申塔 延宝8(1680)中央に「奉造立庚申供養二世安樂所」両脇に造立年月日。さらに左に施主敬白。その下に三猿が彫られているが、真ん中の猿は顔のあたりが破損している。

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三猿の下に文字が見える。一部はっきりしないが施主、4,5名の名前だろうか。

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続いて丸彫りの六地蔵菩薩立像 明和6(1769)三体の頭部が欠けている。

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台の銘は、右から造立年月日、2番目に鶴馬村願主 慈休、3番目に奉納 台明山 三光院。

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4番目に「奉建立六地蔵尊」5番目は同村谷□柿沢中、最後の台には「□心願供養」と刻まれていた。

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宝篋印塔の左脇、前後に寄り添うように二基の角柱型の石塔が並んでいる。手前 普門品供養塔 文化3(1806)正面「奉造立普門品供養塔」両脇に造立年月日。

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塔の左側面には谷津 柿沢講中と刻まれていた。

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後ろ、百ヶ所供養塔 明和7(1770)正面下部に「奉納 秩父・西國・坂東百ヶ所供養塔」

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正面上部は舟形に彫り窪めた中、蓮台の上に聖観音菩薩の坐像を彫る。

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塔の右側面下部に鶴馬村谷ッ。左側面には願主とあり三名の名前が刻まれていた。

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いちばん奥に宝篋印塔 天明2(1782)屋根型の笠を持つ大きな宝篋印塔だが、こちらは個人のもののようだ。

 

鶴瀬駅東 県道266号線路傍 富士見市鶴瀬東1-1-17

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県道266号線の鶴瀬交差点と鶴瀬駅前交差点の真ん中あたり、西側の住宅のブロック塀の中に二基の石塔が並んでいた。

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左 石祠の中 馬頭観音坐像 文化8(1811)三面六臂 剣、法輪、斧、棒を持つ。小型だがしっかりした彫りで、馬頭もはっきりしている。

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台の正面には願主二名の名前があり、続いて谷津、柿澤、下郷 講中と刻まれていた。

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石祠の左側面に造立年月日。右側面に「奉造立馬頭觀世音菩薩」台の右側面には武州入間郡 鶴馬村と刻まれている。

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右 庚申塔 元禄16(1703)いくつか深い穴も見受けられ、全体に傷が多い。

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はなはだ読みにくいのだが、正面中央「奉庚待供養為二世安樂也」だろう。供養の「供」二世の「二」がちょうど穴にかかってしまっている。富士見市のHPの庚申塔のページにはこの石塔は載っていないが「庚待供養」という表現は他の庚申塔でもいくつか見たことがあり、三猿は見当たらないもののこれも庚申塔と思われるのだがどうだろうか。両脇には造立年月日が刻まれている。

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下部も損傷が激しい。中央は信心、左は敬白だろう。その下にいくつか文字が見える。はっきりしないが施主数名の名前ではないだろうか。

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塔の右側面は狭く確認できない。左側面には武州入間(馬?)郡鶴馬村と刻まれていた。