岩槻区相野原・古ケ場

県道65号線西墓地入口 岩槻区相野原122付近

DSC_0778.jpg
県道65号線の相野原交差点のすぐ南、西側の道路脇の小さな墓地の入口、石段を上った先に石地蔵が立っていた。

DSC_0779.jpg
地蔵菩薩立像 享保7(1722)舟形の光背中央に地蔵菩薩像を浮き彫り。風化のためか目鼻立ちははっきりしない。光背右脇に造立年月日。左脇に相野原村講中と刻まれている。

ゴルフ練習場西路地交差点 岩槻区古ヶ場702付近

0DSC_0749.jpg
さらに南に歩くと右側にゴルフ練習場のネットが見えてくる。手前を右に入り細い道を進むと、交差点の左手前の角に石塔が立っていた。写真左の道が県道65号線から入ってきた道、右の道もその先は県道65号線に出る。

1DSC_0753.jpg
普門品供養塔 文政11(1828)塔の正面上部、蓮座の上に梵字「サ」その下に「普門品供養塔」

DSC_0759.jpg
下の台の正面には西とあり、右から かうのす、よしみ、左のほうには願主 若者中と刻まれていた。

DSC_0755.jpg
塔の左側面に古ヶ場村、その脇に左 かすかべ道。台の左側面には助力とあり十二名の名前が刻まれている。

DSC_0550.jpg
塔の右側面に造立年月日。その脇に右 志おんじ道。台の右側面には左側面同様に助力とあり、こちらは十一名の名前が刻まれていた。

古ヶ場中央の交差点 岩槻区古ヶ場639南東

0DSC_0739.jpg
先ほど入ってきた道をまっすぐに西のほうに向かうと、ちょっと複雑に道が交差する交差点に出る。左の角のところに石祠と石塔が立っていた。写真左の道が県道65号線から入ってきた道、写真右のほうはさらに細い道路になる。

1DSC_0528.jpg
右 道標 享和元年(1801)正面上部に阿弥陀如来坐像。その下に左 志おんじ道と刻まれている。

1DSC_0530.jpg
塔の右側面に造立年月日。左側面には施主 古ヶ場村とあり、個人名が刻まれていた。

DSC_0746.jpg
左脇の石祠のなか「天満宮 八幡宮」の文字が見える。右側面に寛政8(1796)の紀年銘。左側面には願主とあるが、下の部分は土に埋まっていて確認できない。

 

古ヶ場中央交差点三角地角 岩槻区古ヶ場639付近

0DSC_0715.jpg
前回紹介した道標のある交差点のすぐ先、三方向から道路が交差してできた三角地点の角に三基の石塔が並んでいた。写真左の道路のすぐ先に道標があり、右の道路は県道65号線に並行して上野方面を進むことになる。

1.5DSC_0716.jpg
右 庚申塔 文化9(1812)塔の正面上部に日月雲。中央に「庚申塔」台の正面に三猿が彫られていた。

1DSC_0719.jpg
塔の左側面に古ヶ場村中。台の左側面は一部土に埋もれているが、左 志おん(じ)、かす(かべ)だろう。

1DSC_0722.jpg
塔の右側面に造立年月日。台の右側面には右 いわつき、向 かうのす よしみ。

2DSC_0724.jpg
中央 道標 享保17(1732)塔全体を白カビがおおい尽している。資料によると上部に浮き彫りされているのは観音菩薩坐像ということだが、頭上に宝冠のように見えるのは阿弥陀如来の化仏のようでもあり、一面二臂の坐像は観音様とも思われるが、本当のところははっきりしない。両脇には造立年月日が刻まれていた。

2DSC_0516.jpg
像の下に西 かうのすみち、さらにその下には右から古ヶ場村、続いて五名の名前が刻まれている。

2DSC_0726.jpg
両側面も厚く白カビに覆われている。左側面 左 ちおんじ道、右側面には 右 いわつき道と刻まれていた。

3DSC_0730.jpg
左 庚申塔 明和8(1771)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。

DSC_0512.jpg
ショケラは足を折り曲げ合掌。むき出しになった青面金剛の足は以外に細く見える。足の両脇に二鶏を薄く彫り、足元には邪鬼、三猿と続く。

3DSC_0733.jpg
塔の右側面に造立年月日。左側面には武州埼玉郡古ヶ場村、脇に願主隆賢と刻まれている。

古ヶ場路傍地蔵 岩槻区古ヶ場585付近

0DSC_0227.jpg
庚申塔のある三角地点から北西に道なりに進むと左手の道路脇の雨除けの下、石地蔵を乗せた石塔が立っていた。

1DSC_0230.jpg
塔の上に地蔵菩薩坐像 寛政7(1795)左膝を立てて坐る丸顔の延命地蔵。錫杖、宝珠を持つ手の彫りは細かく、また欠けた所もなく見事に残っている。

2DSC_0232.jpg
塔の正面中央 梵字「ア」の下「一切聖霊」その両脇に二つの戒名とそれぞれ明和、天明の命日が刻まれていた。右側面に造立年月日。左側面には施主 古ヶ場村とあり二名の名前、世話人は黒濱村とある。黒浜は江ヶ崎同様、現在は蓮田市になるが、古ヶ場・江ヶ崎、黒濱は当時ひとつの生活圏として成り立っていたのだろう。

市境路傍 岩槻区古ヶ場589北西

DSC_0218.jpg
さらに先に進み坂道を下ってゆくと広々とした水田風景が広がっていた。道路左に石塔が立っているが、この地点から向こうは蓮田市の江ヶ崎になる。

DSC_0221.jpg
道標 寛延4(1751)正面上部に従是東とあり、その下に岩附通道、慈恩寺道と並べて刻まれている。下部中央に大きく江ヶ崎村願立。その右脇 發願□□念、左脇に近郷遠村加助力。どうやらこの石塔の造立主は江ヶ崎村のようだ。

DSC_0222.jpg
塔の左側面に左 加う乃すみち、右側面には右 きさいみち、その下に小さな字で造立年月日が刻まれていた。

 

永福寺埋墓 岩槻区古ケ場2-6

DSC_0566.jpg
県道65号線の慈恩寺入口交差点から西に向かい道なりに進むと右手、コカ・コーラの大きな工場の手前に永福寺の埋墓があった。写真奥に見える自治会館のあたりから写真左に立っている「両墓制」の説明板までが埋墓。説明板の左に石塔が立っていた。

DSC_0556.jpg
馬頭観音塔 天保9(1838)塔の正面 崩した文字で「馬頭観世音」右側面に造立年月日。左側面、上部が欠けているが古ケ場村 講中と思われる。

DSC_0557.jpg
埋墓はところどころに石塔は見えるものの、個人の供養のための墓石などが無いため、実に殺伐としている。この土の下のたくさんの遺骨が埋まっているかと思うと足を踏み入れる気にもならない。中央に合掌したお地蔵様を浮き彫りにした石塔がポツンと立っている。

DSC_0565.jpg
望遠レンズを使って撮ってみた。地蔵菩薩立像 宝暦13(1763)角柱型の石塔の正面上部を舟形に彫り窪め、その中に地蔵菩薩立像を浮き彫り。下部は梵字「ア」の下に浄圓沙弥位。その両脇に造立年月日。塔の左側面に 施主 古ケ場村中と刻まれている。

永福寺詣墓 岩槻区古ケ場11の北

0DSC_0568.jpg
詣墓は埋墓の東100mほどのところにある。永福寺じたいはこちらの墓地のほうにあったらしい。前回紹介した古ケ場中央の庚申塔の立つ三角地から南に向かい、県道65号線の慈恩寺入口交差点から西に入る道路を越えて少し先の右手、ブロック塀の向こうに墓地が見えてくる。

1DSC_0572.jpg
ブロック塀の中に庚申塔 天保9(1837)塔の正面 大きく「庚申塔」下部には薄い彫りではっきりは読めないが何人かの名前が刻まれているようだ。

1DSC_0570.jpg
塔の左側面 西よしミ かうのす道、その下にそれぞれ七里 六里。さらにその下に古ケ場村と刻まれていた。

1DSC_0571.jpg
右側面に造立年月日。その脇に東 かすかへ道 一り半と刻まれている。

2DSC_0007.jpg
小堂の左に並ぶ三基の石塔。左 達磨大師立像。台は深く土中に埋まり、像のほうにも銘がなく詳細はわからない。

3DSC_0013.jpg
隣 地蔵菩薩坐像 享和2(1802)正面上部に地蔵菩薩坐像を浮き彫り。その下に「奉造立地蔵尊為二世安樂也」両脇に造立年月日を刻む。

3DSC_0578.jpg
右側面には梵字「ア」の下に戒名、続いて古ケ場村願主とあり、個人名。左側面 村々助力面々為二世安樂也。きれいなはっきりした文字で刻まれていた。

4DSC_0014.jpg
その奥に六地蔵塔 正徳5(1715)三面にそれぞれ二体の地蔵菩薩立像。合わせて六地蔵。

4DSC_0016.jpg
正面 天蓋の下に浮き彫りされた二体の地蔵尊像の間に「奉造立六地蔵大士石像」その下に 為父母菩提也、右脇に施主 関根半左衛門、左脇には古ケ場村とあり、同妻と刻まれている。

5DSC_0021.jpg
小堂の中 丸彫りの地蔵菩薩立像 昭和28(1953)二重の台の上に大きな丸彫りの延命地蔵。上の台の正面「南無地蔵大菩薩」

DSC_0022.jpg
台の左側面に長い祈願文が刻まれていた。それによるとこちらには享保3年(1746)関根半左衛門夫妻によって建立された石地蔵があったが、風化破損がはなはだしく、再建の話が出ていた。そんなおり昭和27年に古ケ場村在住の八人のご婦人たちが日光参拝の帰りに列車の激突事故に巻き込まれて亡くなるという思いもかけない悲劇が起こり、部落一同は相談してこの地蔵尊像を再建し故人たちの成仏を祈ることにしたということである。

5DSC_0025.jpg
台の背面に事故で亡くなった八人の女性たちの名前と戒名が刻まれていた。右側面には發願人総代、村助役、世話人などとあり、合わせて十名の名前。さらに造立年月日が刻まれている。

6DSC_0596.jpg
その奥の祠の中 不動明王塔。片岩の上部に梵字「カンマン」その下に「成田山」左下に小さく古ケ場村講中と刻まれている。見えるのは正面のみで背面は確認できず詳細はわからない。

7DSC_0602.jpg
墓地の中ほどまで進むと歴代住職の墓地があり、その脇に四基の石塔が並んでいた。左奥に地蔵菩薩坐像を浮き彫りにした石塔が見える。

DSC_0605.jpg
百ヶ所供養塔 文化3(1806)合掌型の地蔵菩薩坐像の下「奉納秩父・西國・坂東百箇処供養」両脇には造立年月日が刻まれていた。

DSC_0606.jpg
塔の右側面には三つの戒名と命日が、左側面にもまた戒名と命日が刻まれている。