関町の石仏

青梅街道関町一丁目交差点西 練馬区関町南3-1


千川通りが青梅街道と合流する関町一丁目交差点から西へ20mほど、道路南側歩道の奥に小さな神社があり、拝殿左脇に石塔が並んでいた。


左端 大乗妙典六十六部供養塔 享保3(1718)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、梵字「バク」の下に「奉納大乗妙典六十六部供養所」上部両脇に造立年月日。右下に武州豊嶋郡、左下に上石神井村 願主 西岸と刻まれている。


その隣 庚申塔 元禄3(1690)唐破風笠付きの角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


日月雲は線刻。右脇「庚申待結衆二世安樂所」左脇に造立年月日。


足元には例によって三猿だけが彫られていた。その下の部分に10名の名前が刻まれている。奥に三基の石塔が並んでいるが二つは銘が確認できず詳細不明、あとは石地蔵だが個人の墓石だった。

関のかんかん地蔵 練馬区関町東1-18


青梅街道の関町交番前交差点から200mほど東、道路北側に小堂があり、中には三体の石仏が並んでいた。


右 丸彫りの胎蔵界大日如来坐像 享保14(1729)重厚な蓮台、正面に凝った彫り物を施された大きな敷茄子が目を引く。
 

長い宝冠をかぶり、上品でふくよかな顔立ちの大日如来は法界定印を結ぶ。


敷茄子の下の塔部正面、3行の銘が見えるが薄くなっていてほとんど読めない。資料によると中央「奉納大乗妙典二世安樂処」ということだが、最後の文字は「處」で、その上はさっぱり読めず、右脇にかろうじて享保十四と見えるくらいだった。


中央 丸彫りの地蔵菩薩立像 正徳元年(1711)通称「かんかん地蔵」大きな蓮台、敷茄子を持ち総高2mを超す堂々たるお地蔵様だが、石でたたけば願い事がかなうといわれ、長い間たたかれ続けたためか、像も台もかなり傷んでいる。右手の錫杖の下の部分も、宝珠を持つはずの左手も欠けていた。


敷茄子の下の六角形の台もくぼみ穴があったり傷も多く、銘はかなり薄くなっている。正面に文字らしいものは見えるがこちらはうまく読めない。その右の面、右のほうから武州 豊嶋郡 小関村。


左の面、左のほうに十月と見え、右のほうが造立年なのだろう。資料によるとここに正徳元年とあるらしいのだが私には確認できなかった。


左 勢至菩薩坐像 寛保元年(1741)唐破風笠付き角柱型。


正面上部にくっきりと梵字「サク」中央 赤い前掛けのかげになり確認できないが勢至菩薩は合掌して蓮台に立っているものと思われる。顔は風化の為に削れていてのっぺらぼう。


塔の右側面に造立年月日、左側面に武州豊嶋郡関村と刻まれている。


下の台の正面には右から田中氏 講中 拾四人と刻まれていた。

 

最勝寺 練馬区関町東2-10


西武新宿線の北側の線路沿い、武蔵駅の300mほど東、ふみきりの近くに最勝寺の入り口があった。正面に本堂、左側が庫裏、その間から西に進むと墓地になる。


墓地に入ってすぐ左手、北面して並ぶ六基の墓石。左から明暦4(1658)寛文3(1663)元禄2(1689)延宝2(1674)慶安2(1649)寛文2(1662)の紀年銘が刻まれている。江戸時代初期の板碑型の墓石がこのように六基そろうのは珍しいので六地蔵とされていると資料には説明されるが、どうしてそう判断できるのかはちょっと理解できない。六基の墓石はいずれも下部に蓮の花が彫られていた。


左から3番目。中央に未敷蓮華を立てて、これが地蔵菩薩の立ち姿を表しているということらしい。


個人の墓地の中にも古い石仏が多い。変わったところでは墓地中央の列のなかほど、西向きに文殊菩薩坐像 正徳3(1715)舟形光背の左脇に紀年銘が見える。墓石として文殊菩薩はかなり珍しいと思う。


墓地の北西、一番奥の個人の墓地に北向きに立つ薬師如来立像 天和2(1682)舟形光背上部に梵字「バイ」お腹の前に薬壺を持つ。他に延宝3(1675)の不動明王立像があるということだったがこちらは見つけることはできなかった。

本立寺 練馬区関町北4-16


武蔵関駅北口から石神井川を越えて西に向かうと、すぐ先の右側に本立寺の入口がある。日蓮宗の寺院であり、山門前両脇にいくつか題目塔が並んでいた。山門をくぐると、正面の階段の先に立派な本堂が見える。その階段手前の両脇に石塔が集められていた。右脇、高いところに大きな聖観音菩薩立像、その前に地蔵菩薩像などが並ぶが近くで見ることはできない。いずれも比較的新しいもののようだ。


参道左側にはちょっと変わった面白い石仏が並んでいた。


左から 行者像 明治21(1888)杖と笠を手にした旅姿だが、日蓮宗のお寺なので身延山参詣の姿だろうか。


その隣 魚籃観音菩薩立像。銘はなく造立年など詳細は不明。下部に魚の入った魚篭を持つ。


続いて帝釈天立像 明治44(1911) 上部を駒型に彫りくぼめた中に帝釈天立像を浮き彫り。下部に「諸天晝夜常爲法故而衛護之」


塔の右側面「大願成就」左側面には造立年月日が刻まれていた。


その隣 庚申塔 昭和12(1937)丸みのある舟形光背に日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。邪鬼、二鶏は見当たらず、下の台の正面に三猿が彫られている。


昭和の庚申塔はいたって珍しい。三眼で坊主頭?の青面金剛、上の左手は普通は宝輪を持つものだが、なにか布のようなものを握りしめているように見える。全体に今まで見たきた青面金剛とはだいぶイメージが違っていた。


その後ろ 地蔵菩薩立像。薄い舟形の石塔の正面に円形の頭光背を持つ福笑いのようなお顔の地蔵菩薩立像を半浮き彫り。これも大変珍しい形。蓮台の上に立ち錫杖・宝珠を持つ。残念ながら銘は確認できなかった。