宝幢院 北区赤羽3-4-2
赤羽駅東口から北へ歩き、宝幢院の門を入ってすぐ右に六地蔵が祀られていた。
下の台にはそれぞれ元文6(1740)~寛保2(1742)の銘がある。右脇には赤羽根村、
6基のうち4基が中央に「女中念佛供養尊」左脇に講中敬白などと刻む。
まっすぐに本堂に向かうと参道の右に庚申塔 寛文10(1670)が立っていた。
三猿が浮き彫りされ、その下に施主数名の名前が刻まれている。
中央に「奉造立庚申供養二世之処」その両脇に年号。さらに施主敬白と続く。
ちょこんと腰掛けた素朴な三猿がとてもかわいい。
参道の途中を右に入ると、植え込みの前に二基の庚申塔が並んでいた。
右 庚申塔 延宝8(1680)地蔵菩薩立像 舟形光背の右脇「奉待庚申供養成就処」
左脇に年号。下部に薄く二鶏。さらにその下に三猿が彫られていた。
左 庚申塔 寛永16(1639)板碑型。下部には蓮の花が線刻されている。
中央上部に阿弥陀如来立像。脇に山王廿一社と刻まれる。中国の道教を起源と
する庚申信仰は、日本においては神道の猿田彦神や山王信仰などと結びついたり
したものらしい。庚申塔の主尊も青面金剛が定着するまでは、阿弥陀如来や
地蔵菩薩や観音菩薩など、いろいろな主尊が彫られていたようだ。
阿弥陀如来にお仕えするかのように二猿がいる。その下 右に岩渕赤羽根村、
中央 宝幢院裕真、続いて左に年号が刻まれていた。
通用門の手前、左側に道標 元文5(1740)が立っていた。それぞれの側面に
東 川口善光寺道 日光岩付道・西 西国富士道 板橋道・南 江戸道 と刻む。
当時、ここ宝憧院の前で板橋道と日光・岩槻道が合流したということで、
重要な道標だったのだろう。
大満寺 北区岩淵町35-7
赤羽岩淵駅のすぐ北、岩淵不動尊として知られる大満寺の境内、参道の右の
小堂の中に庚申塔 宝永3(1706)が祀られていた。
青面金剛立像 合掌型六臂。足元に丸い邪鬼と三猿。願文などは見られない。
梅王寺 北区岩淵町30-11
大満寺のさらに北、正光寺の裏に梅王寺がある。塀の右端の前に庚申塔が
忘れ去られたかのようにポツンと立っていた。
庚申塔 文化9(1812)全体に風化のために字が読みにくい。正面中央「庚申」
右側面に年号。左側面 是より志茂むらミち?台の正面に「講中」と彫る。
八雲神社南路傍 北区岩淵町22-17
八雲神社の南、東側路傍、住宅の塀の前に三基の石塔が並んでいる。
三基とも表面は風化が見られるが、きれいな生花が供えられていた。
右 庚申塔 寛保3(1743)中央に「奉造立庚申供養塔」脇に年号。下部に三猿。
中 庚申塔 元禄6(1693)上部に梵字と日月雲。中央「奉待庚申供養二世安楽処」
脇に年号。さらに数名の名前が刻まれている。下部には大きめの三猿を彫る。
左 巡禮供養塔 天保15(1844)正面 奉順禮 西國・秩父・坂東 出羽三山・身延山
その次の字はうまく読めない。下の台の中央に大きく右下村と彫られているが、
下村は志茂村と思われ、右 志茂村ではないだろうか。塔の右側面には年号。
左側面には當宿内安全也と彫られていた。
志茂庚申堂 北区志茂4-30-11
地下鉄志茂駅付近で北本通りから斜め右に分かれてゆく細い道は荒川近くを通り
岩淵までつながっている。その途中、西蓮寺の入口にお堂が立っていた。
お堂の前の茂みの中に手水鉢 大正6(1917)正面に三猿が浮き彫りされている。
扉越しにお堂を覗く。庚申塔 青面金剛立像 合掌型六臂。ほぼ溶けかかっている。
造立年等、詳細はまったくわからない。
がんばって下部を写してみた。邪鬼ははっきりしないが三猿は確認できた。
青面金剛の下の左手はどうやらショケラを持っているようだ。いままで
見てきた中で合掌型の青面金剛がショケラを持つ場合、上左手が一番多く
たまに上右手を見かけた。下左手にショケラはかなり珍しいと思う。
西蓮寺
庚申堂の横を東に入ると西蓮寺。その手前の塀の前に六地蔵が並んでいた。
六体の像は微妙に大きさが違う。特に右から2番目のお地蔵様はかなり細身だ。
ふと見ると右下にお地蔵様がいらっしゃる。これが本来の六地蔵の1体なのか?
などとも考えてみる。六つの台のほうはほぼ同じ印象を受けるのだが・・
左から二番目の台に宝暦9(1759)の銘があった。一番右の台には武州豊嶋郡
岩渕領下村想講中 願主 是心と刻まれている。「想」は「惣」の当て字か?
山門の先の塀の前の小堂の中にも六地蔵など多くの石仏が並んでいる。
静かな表情の六地蔵。規模などもほぼ揃っている。造立年は見当たらない。
足元の台が新しい。古い台に銘文などがあったのかもしれない。
一番右の塔の右側面に武州豊嶋郡岩淵領下村 惣念佛講中と刻まれていた。
その奥に庚申塔 宝暦7(1757)舟形光背 主尊は馬頭観音だろうか?
馬頭観音立像 六臂。上の手に斧と法具?下の手には鈴と念珠を持っている。
台の正面に三猿。平凡に見えるがなかなか愛嬌のある表情だ。庚申などの
文字は見られないが、やはりこれは庚申塔だろう。
地蔵菩薩立像が4体続く。左から2番目の丸彫の像と一番右の舟形光背の像は
いずれも造立年などの詳細は不明。一番左と三番目の像の台には三猿が見える。
左 庚申塔 享保5(1720)地蔵菩薩立像。蓮台の下の台の正面に三猿。
三猿の彫られた台の右側面には8名、左側面に5名、合わせて13名の名前を刻む。
お地蔵様の右体側には年号。左体側には「奉待庚申供養為二世安楽也」とある。
三番目 庚申塔 元禄15(1702)地蔵菩薩立像。こちらもお地蔵様の右体側に年号。
左体側には「奉待庚申講二世」と彫られている。下の台の正面に三猿。
こちらの三猿はほぼ溶けていて様子がわからない。右側面に5名、左側面に4名、
合わせて9名の名前が刻まれていた。