長蔵新田町会会館 川口市長蔵2-28
戸塚安行駅から東へ歩き、戸塚安行駅東交差点の先の細い道を右に折れると
右手に長蔵新田町会会館がある。門を入ると正面に小堂と石塔が並んでいた。
小堂の中、地蔵菩薩立像
享保16(1731)立派な錫杖を持つ。
台の正面
梵字(カ)の下「奉造立地蔵菩薩尊像」両脇に年号。
さらにその脇に武州下足立郡赤山領長蔵新田と刻まれていた。
台の両側面には合わせて20名程の名前が見られる。
小堂の奥に三基の石塔が並ぶ。右から庚申塔
延宝9(1681)日月雲 青面金剛立像
合掌型六臂。上部が屋根のような形になっているのが面白い。左脇上部に年号。
右脇に「二世安樂祈所」と刻まれる。
足の下に三猿。邪鬼と二鶏は見当たらなかった。足の左脇にも文字が見えるが
村名だろうか?いまひとつはっきりしない。
隣に阿弥陀如来立像
天和2(1682)全体を白カビで覆われている。
光背左に年号。右には「奉造立阿弥陀佛二世安樂攸」と刻まれていた。
左
正面は完全に崩落していて正体不明。右側面に文化12(1815)の銘が見える。
安行藤八墓地
川口市安行藤八800付近
戸塚安行駅の出口の前の東西に走る広い道の一本南の道。小さな川沿いの遊歩道を
東に5分ほど歩くと右手に墓地がある。その一角に石塔が集められていた。
庚申塔
元文元年(1736)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。なかなか味わい深い
表情をしている。目の前の石塔に隠れて下部は見えにくい。
脇から覗き込む。足元には邪鬼と三猿。足の両脇に薄く二鶏だろうか?
塔の左側面に年号。右側面には武州赤山領藤八新田と刻まれていた。
持宝院 川口市安行805
戸塚安行駅から南に歩き、花山下東交差点で右折すると10分ほどで外環道に出る。
この安行西交差点を左折して外環道沿いに100mほど、小高い所に山門があった。
山門脇の案内板には「安行八景
俳句と持宝院」境内には句碑が一つ立っている。
山門を入った左側、子育て地蔵尊像の向こうに石塔が並んでいた。
南側の塀際に庚申塔 地蔵菩薩立像
寛文12(1672)光背右「奉造立地蔵尊為庚申供養
逆修菩提也」と刻まれていた。
光背左に年号。その下、赤山之住人とあり一結之男女だろうか。読みにくい。
西側、墓地の前に八基の石塔。左から地蔵菩薩立像
宝暦11(1761)光背右に
大きな字で「奉供養地蔵尊」と刻む。光背左に年号。その下に講中三十三人。
不動明王坐像
宝永3(1706)光背左に年号。右に文字が見えるが読みとれない。
馬頭観音立像
天保9(1838)合掌型二臂。右側面に年号。左側面に施主名を刻む。
馬頭観音立像
文化12(1815)合掌型二臂。右側面に年号。左側面 安行村。
阿弥陀如来立像
寛文4(1664)彫りが薄く文字が読みにくい。光背左に年号。
馬頭観音立像
正徳4(1714)光背右「奉造立馬頭観音造一體講中」
光背左「結衆七十人現當二世安樂祈所」下の台に年号。台の正面、
施主等赤山領安行邑と刻まれていた。
庚申塔
天和元年(1681)正面 日月雲の下に「奉精修庚申一□三ヶ年願望成就?
二世安樂之所」右脇に武州足立郡安行村。左脇に年号。下部に三猿を彫る。
庚申塔
文政2(1819)日月雲の下「庚申塔」下の小さいほうの台の正面に二鶏、
さらにその下の大きめな台の正面に三猿が彫られていた。塔の右側面に年号。
左側面には武州足立郡安行村講中と刻まれている。
三猿の彫られた台の両側面にはそれぞれ10名ほどの名前が刻まれていた。
花と緑の振興センターバス停裏 川口市安行1015
花と緑の振興センターのバス停の裏、道路の角のところに小堂が立っていた。
庚申塔
年代不明。全体に溶けかかっていて文字などが読めない。
中央に三猿。右脇にかすかに「文」と見え、左脇に正月十八日か?板碑型の
様式から考えると寛文年間だろう。三猿の下にも文字があり人名と思われる。
花と緑の振興センター奥路傍 川口市安行988付近
上の小堂のところから南西に向かって歩くとすぐ、右手の空き地に庚申塔が
立っていた。野ざらしの石塔はあたりの風景に溶け込んでいる。
庚申塔
享保2(1717)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。
足元に正面向きの邪鬼。続いてひよこのような二鶏。三猿は下の台の正面に
彫られていた。
塔の右側面に年号。左側面「武州赤山領安行邑結衆□□」と刻まれている。
裏面は状態がいい。梵字の下「奉造立青面金剛庚申結衆二世安樂攸」と刻む。
興禅院 川口市安行領家401
戸塚安行駅から南に歩き外環道を越えた先、「花と緑の振興センター」の向かいに
興禅院の参道の入口がある。境内は梅、桜、彼岸花、紅葉、紫陽花、石楠花など、
様々な季節ごとの花が咲き、その静かな空間はとても心地よい。
山門の右手、ほうきを手にした可愛い小僧さんの像が出迎えてくれる。
山門の左手前、中央に普門品供養塔を挟んで二基の庚申塔が立っていた。
左から庚申塔
元禄7(1694)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。白カビの中
光背左に年号。光背右には「奉造立庚申尊像為二世安樂也」と刻む。
下部に二鶏・邪鬼・三猿が揃う。三猿の下には十数名の名前が刻まれていた。
中央
普門品供養塔 天保12(1841)下の台の正面に大きく「講中」
塔の右側面に年号。左側面には赤山領領家村と刻まれている。
右 庚申塔
宝暦8(1758)日月雲 青面金剛立像 左手に鈴、右手にショケラを持つ。
六臂だが後ろの二組の腕が直角に曲がる「川口型」彫りは細かい。
足元に邪鬼と三猿。見猿だけ反り返っているのは面白い構図だ。
塔の右側面「奉造立尊像一體講衆二十二人助志惣村中為二世安樂也」
左側面には年号。その下に赤山領領家村と刻まれていた。
山門を入って正面に本堂。その左手、庭木の中に大きな石塔が立っていた。
大きな板碑型の石塔に線刻されているのは観音菩薩像。昭和のもののようだ。
左手奥に墓地が広がっている。その入口にお地蔵様が立っていた。
地蔵菩薩立像
享保16(1731)台に「講衆并惣村中 同志施入供養 為二世安樂也」
右側面に 右
江戸道 左側面には 左 草加道。さらに裏面には年号。その脇に
武州足立郡赤山領領家村と刻まれている。四面揃うとなかなかに賑やかだ。
その後ろの小堂の中、ひっそりと六地蔵菩薩。揃いの前掛けで並んでいた。
付近にはいくつもの石塔が立っている。地蔵菩薩立像
万治2(1659)個人の供養塔。
長い錫杖を持つ。江戸時代初期らしい佇まいだ。
墓地中央の歴代住職の墓地あたりで左に曲がると、大きなスダジイの樹の下に
お地蔵様が見える。
スダジイに抱かれるように地蔵菩薩立像。元禄年間のものだという。
一体いつからこうしているのだろう?不思議な光景だ。
安行中学校東の交差点角 川口市安行領家
安行原を通り鳩ヶ谷方面に向かう県道328号線沿い、安行中学校の東、
信号のある交差点の角の小堂の中に庚申塔が立っていた。
庚申塔
安永3(1774)日月雲 青面金剛立像 鈴・ショケラ持ち六臂。光背両脇に
天下泰平と刻む。このあたりでは鈴持ちは珍しくは無い。
足元にはブルドッグのような顔の邪鬼と三猿が彫られていた。
塔の右側面に「奉建立庚申塔」脇に年号。下に領家村中と刻む。左側面は
上部に講中とあり、その下には15名の名前が刻まれている。
安行原交差点西路傍 川口市安行原2477
県道328号線安行原交差点の西150m程のところで斜めに右に入る道に進む。
2分ほど歩いた先のT字路の角に庚申塔が祀られていた。
庚申塔 文化4(1807)日月雲
正面を深めに彫り窪めた中に三眼の青面金剛立像
剣・ショケラ持ち六臂。頭には蛇がとぐろを巻いている。全体に丁寧な彫り。
足元はちょっとはっきりしないが仰向けになった邪鬼に見える。どうだろう?
塔の下部 中央に「庚申講中」右脇 右 草加越谷道。左脇に年号を刻む。
下の台の正面に二鶏と三猿が彫られていた。聞か猿は頭を鶏に突かれている。
両側の猿は片手を鶏に向けて伸ばしている。ユニークな構図だ。
堂の壁との隙間が狭くいい写真は撮れない。塔の右側面 左 薬師 鳩ヶ谷道。
左側面には武州足立郡谷古田領原村と刻まれていた。
安行原交差点南墓地
県道328号線安行原交差点から南に1分ほど歩くと左手の路傍に墓地があった。
その入口付近に石仏が並んでいる。
小堂の中、地蔵菩薩立像
延宝2(1674)年代の割りには状態はいいが、彫りは
甘くなっていて読み取りにくい。光背右に「奉剋立地蔵尊一躯□苦□楽所」
その下に施主とあり、かなで数名の名前と思われる。光背左に年号を刻む。
やはりその下にかなで数名の名前。女人講中合わせて十数名だろうか。
堂のすぐ右
庚申塔 元禄5(1692)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。これも古い。
光背右「奉供養念佛講同行二十八人」光背左には年号が刻まれていた。
足の両脇に二鶏。足の下に邪鬼と三猿を彫る。
安行原の蛇造り
墓地からさらに1分ほど歩くと、道路の右側奥、大きな木の脇に高い櫓が
組まれている。これが「安行八景」で名高い「安行原の蛇造り」である。
毎年5月24日に五穀豊穣・天下太平・無病息災などを祈願するため、ここで
村人たちが藁を持ち寄り長さ10メートルの蛇を作るのだという。櫓の右奥、
ブロックの小堂の中に石仏が並んでいた。
左
地蔵菩薩立像 享保6(1721)光背左「乃至法界平等利益」その下に年号。
光背右「奉造立地蔵尊形之肯趣者為一結施主二世安樂也」
右 庚申塔
享保16(1731)日月雲 青面金剛立像 鈴・ショケラ持ち六臂。「川口型」
像の表面はかなり風化が進んでいる。
下部には邪鬼・二鶏・三猿がそろって彫られていた。
塔の左側面
上部に年号。下部には6名の名前が刻まれている。右側面は狭い。
上部に梵字ウーンを彫り、その下に「奉新造立青面金剛尊容」
続いて脇に
「肯趣者為一結講會現世安穏後世得道也」あまり見かけない銘文で、ここまで
読み取るのにだいぶ苦労したが、多分そう違ってはいないだろう。
道路から櫓に向かう入口右に出羽三山供養塔
天保2(1831)が立っていた。
台の正面には大きく「講中」と彫られている。
塔の左側面に年号。さらに左脇に谷古田領原村と刻まれていた。
台の両側面にそれぞれ願主として15名の名前が刻まれている。左側面のほうの
最後に吉岡
須賀鉄舟 草加石工 青木宗義とあった。前者は書家か。草加石工
青木宗義というと先日取り上げた江戸袋・東光院の山門手前で見た六地蔵に
刻まれてあった「神流齋青木宗義」と同一人物だろう。