西区水判土

水判土観音東墓地 西区水判土208向い[地図]


水判土観音から県道を離れて北東へ向かう道に入ってすぐ、左側に墓地が広がっていた。入口の前に大きな地蔵菩薩塔が立っている。

地蔵菩薩坐像 安永9(1780)二段の台の上。角柱型の石塔に丸彫りの地蔵菩薩像。全体に銘はすくなく、石塔の正面に偈文。裏面に造立年月日が刻まれていた。


大きな蓮台に座る真ん丸なお顔のお地蔵様。右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。白カビは多いが、首に補修跡はなく美しい。





墓地に入ってすぐ右手 地蔵菩薩塔 享和元年(1748)四角い台の上 角柱型の石塔に厚い敷茄子と蓮台。丸彫りの地蔵菩薩立像は多少白カビが見られるが、やはり欠損も補修跡もなく美しい。がっしりとした錫杖を手に胸を張って堂々たる佇まい。角ばった尊顔、八頭身でギリシャ彫刻を思わせる。


石塔の正面 上部に願主、その下に當村中とあり、両脇に二つの童女戒名。さらに右から輿野町、大宮町から二名、続いて権律師尭圓。左へは中ノ林村から一名、飯田村から二名の名前が刻まれていた。


塔の右側面 真ん中に武刕足立郡水判土村。その横に造立年月日。両脇に天下泰平・國土安全。さらに左下に小さな字で領家村重兵衛?こちらは後刻されたものか?


左側面には遊馬村、領家村など、いくつかの村の名前とともに十数名の名前が刻まれている。


左側に念佛供養塔 宝暦13(1763)四角い台の上 角柱型の石塔に敷茄子・蓮台を重ねて、錫杖、宝珠を手にした優しいお顔の地蔵菩薩立像。


石塔の正面中央に「念佛一億百万遍供養塔」上部両脇に天下泰平・國土安全。右下に武刕足立郡、左下に佐知川領家村。


塔の右側面に造立年月日。続けて願主は個人の名前が刻まれていた。


敷茄子の左側面に偈文。塔の左側面に「万人講佛□守護」右脇に善男女人、左脇に領家村中女。それにしてもここでみられた三体の地蔵菩薩像、いずれも丸彫りでありながら美しい状態を保っているのは素晴らしいと思う。それだけ丁寧なお世話がなされてきたということだろう。


念仏供養塔の後ろのブロックの小堂の中に丸彫りの六地蔵菩薩塔が並んでいた。像、蓮台、石塔ともによくそろっている。


それぞれの石塔の正面に戒名などが刻まれていて、發願主 當山第十世法印。。などの銘もあったが、残念ながら紀年銘は見当たらなかった。

慈恩寺 西区水判土462[地図]



一般に「水判土観音」の名で知られる慈眼寺。平安時代初期の開山と伝わる天台宗の古寺で、広い寺域は県道に面した「観音エリア」とその左奥の山門をくぐった先の「本堂エリア」に分かれている。山門右手前に大きな丸彫りの地蔵菩薩塔が立っていた。


大きな基壇の上、四角い台に反花付きの台、その上に角柱型の石塔、敷茄子、蓮台に地蔵菩薩立像。5mはあろうか、山門の屋根までも届きそうなその威容は圧倒的だ。


錫杖と宝珠を手に堂々と佇む丸彫りのお地蔵様。敷茄子の正面にも装飾が施されている。


反花付きの台の正面には鳳凰が彫られていた。塔の正面を彫りくぼめた中に梵字「カ」塔の右側面には偈文が刻まれている。


塔の左側面、「地蔵菩薩本願・・・」で始まる銘文はかなり文字が小さく、20×20文字、とても読み切れない。


塔の裏面にも左側面の小さな文字の銘文が続く。その最後のあたりにやっと文政12年の紀年銘を確認することができた。

慈恩寺南路傍 水判土497南[地図]


県道57号線、慈眼寺の入口から西に50mほど進むと、バス停の近くの路傍に石塔が立っている。


庚申塔 延享3(1746)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、梵字「ウーン」の下に「青面金剛供養塔」両脇に造立年月日。下部に可愛い三猿が彫られていた。


塔の左側面に武州足立郡水波田。


右側面には願主とあり、右に正蔵院、左に個人名が刻まれている。