岩槻区表慈恩寺

阿弥陀堂墓地(表慈恩寺公民館) 岩槻区表慈恩寺665


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東岩槻駅付近から諏訪団地を抜け慈恩寺観音へと向かう道は、「慈恩寺道」といい、調べてみると南のほうは江戸川区の小岩方面まで続く古い街道だったらしい。諏訪団地の先の長い坂道を登りきったあたり、交差点の角に表慈恩寺公民館がある。敷地の中には墓地があり、旧阿弥陀堂の墓地ということだった。公民館の裏、交差点の正面に石塔が並んでいた。写真左の道が諏訪団地から登ってきた道、そのまま北に向かって直進すると慈恩寺観音の山門のある交差点に至る。写真右の道は県道65号線から入ってくる道、そのまま東に進むと玄奘塔の前を通り徳力方面に出る。

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左から馬頭観音立像 天明2(1782)舟形の光背の部分に馬頭観音立像を浮き彫り。足の下に右から造立年月日。続いて武州埼玉郡、施主表慈恩寺村と刻まれていた。

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頭上にはっきりと馬頭をいただき独特の馬口印を結ぶ六臂の馬頭観音は、よくみかける忿怒相とは違い、静かな冷めた表情でたたずんでいる。

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その隣 百ヶ所観音供養塔 大正9(1920)塔の正面 卍の下に「四國 坂東 秩父 觀世音」観音霊場順礼供養塔ということになるだろう。

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塔の右側面に造立年月日。左側面には慈恩寺、表慈恩寺、南平野、箕輪の四つの地名にそれぞれ一名づつ名前があり、最後尾に石工名が刻まれていた。

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続いて四基の庚申塔が並ぶが、雨除けがない状態のため白カビなどが目立つ。まずは庚申塔 明和2(1765)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。

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青面金剛は二匹の邪鬼の丸い頭を踏んでいる。その下には三猿。二鶏は見当たらない。右脇に「奉建立青面金剛塔」左脇には造立年月日が刻まれていた。

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三猿の下の部分の中央に表慈恩寺村 講中三十六人。両脇に右 いわつき道、左 こしがや(道)と刻まれている。

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さらに塔の左側面に「勧化施主為二世安樂也」と刻まれていた。

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その隣 庚申塔 天和2(1682)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。ここでは最も古く、風化が進みカビも多いため文字などもはっきりしない。像の両脇にうっすらと造立年月日が見える。

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足下の邪鬼はカビにまみれてぼんやりとしている。その両脇に二鶏と文字が刻まれているようだが、読めるというレベルではない。邪鬼の下には三猿。その両脇に表慈恩寺村 女人六人と刻まれていた。

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右から2番目 庚申塔 元禄6(1693)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。駒型の頭頂部が鋭角的で像も大きい。

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ふくれっ面の青面金剛。右脇に「奉造立青面金剛二世安樂」左脇に造立年月日。

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足の両脇に二鶏を線刻。邪鬼は薄い体形で猿のような姿。正面向きの三猿の下には施主とあり両脇に表慈恩寺村 女人四十二人と刻まれていた。

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一番右に庚申塔 寛政12(1800)ここでは唯一の文字塔。塔の正面 日月雲の下、味のある独特な字体で「青面金剛」下の台の正面に大きな三猿を彫る。

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 塔の右側面に造立年月日。左側面には武州埼玉郡川越領表慈恩寺村と刻まれていた。    

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公民館の前に墓地がひろがっていた。西は県道65号線からくる道沿いに、東は「慈恩寺道」に沿って、東西二つの入り口がある。西の入り口から入ってすぐ右手に六地蔵をはじめ多くの石仏が並んでいた。

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六地蔵菩薩立像 享保18(1733)風化もそれほどではなく、丸顔で堂々とした体形、蓮台の様子など、全体に統一感がある。

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それぞれの背面に銘が刻まれていた。右端には「奉建立六地蔵尊」

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左から三番目には造立年月日。


左端には施主 表慈恩寺村。台は土の中に深く埋まっていて銘は確認できない。


六地蔵の右に並ぶ五基の石塔のうち真ん中の三基は個人の墓石だった。一番左 地蔵菩薩立像 元文5(1740)塔の上部に地蔵菩薩立像を浮き彫り。顔の真ん中に穴が穿たれていて、風化のために像の様子などもあまりはっきりしない。右脇に「十三佛供養所」その下に表慈恩寺村、左脇に右慈恩寺、施主 同行廿五人と刻まれている。

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塔の右側面 是より こしかや道、左側面には 是より ぢおんじ道、脇に造立年月日が刻まれていた。


右端に馬頭観音塔 明治27(1894)塔の正面に「馬頭觀世音」上部両脇に造立年月日。右下に表慈恩寺村、左下に願主と刻まれている。


墓地の中央付近、小堂の中に三体の石地蔵が祀られていた。


左 地蔵菩薩立像 宝永3(1706)舟形の光背右脇に念崇宗入。左脇に造立年月日。僧侶の墓石だろうか?


中央 地蔵菩薩立像 寛文7(1667)丸彫りの延命地蔵だが、風化の様子も見られず美しい状態で、年代から考えると不自然に感じた。再建されたものかもしれない。


下の台は心なしか上の地蔵像と色が違うような気がする。正面左脇に造立年月日。右脇に「奉造立石佛一軆為二世安樂也」中央は固定式の線香立ての陰になり、文字が一部見えるが確認はできなかった。


右 地蔵菩薩立像。丸彫りの延命地蔵でコンパクトにまとまっている。目のところだけ色が変わっているのはなぜだろう?蕨市の三学院で見た「目疾地蔵」を思い出した。


蓮台の花びらの部分、三カ所に銘が見えるが紀年銘は確認できず造立年月日は不明。右と中央に願文、左の花びらに表慈恩寺村 同行と刻まれていた。



墓地の西、「慈恩寺道」に面した入口に二基の石塔が立っている。


右の石塔、全体に白カビも多く、剥落もあってはっきりしない。正面上部に「神蓮?」下部は「義洞和尚」だろうか?僧侶の供養塔と思われる。両脇に「年」「日」の文字が見えるが肝心の部分がはがれていて造立年月日は不明。


塔の右側面に金壱□、左側面に 生國長門國阿武郡萩今魚棚町、さらに脇に施主名だろうか文字が見えるが、こちらはほとんど読み取れなかった。



 左の石塔。風化がひどく銘も確認できず不明塔とすべきだろうが、ずっと眺めていると、頭の上に馬頭が彫られていて合掌した手は馬口印を結んでいるような・・・馬頭観音立像の可能性が高いように思われるのだがどうだろうか?残念ながらこの二基の石塔は資料「岩槻市史」には取り上げられていなかった。