富士見市東大久保

阿蘇神社 富士見市東大久保83

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県道113号線の富士見高校入口交差点から北へ1kmほど先のT字路交差点を左折、次の細い道を南に入ると阿蘇神社がある。境内左側、二つの祠に挟まれて二基の石塔が並んでいた。

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右 弁財天坐像 正徳2(1712)丸彫りの弁財天。頭上に鳥居、その中に蛇がとぐろを巻いている。両手の先が欠けているが、頭上に蛇を乗せた弁財天(宇賀弁財天というらしい)は、二臂の場合その手に剣と宝珠を持つことが多い。

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 裏に回って見ると背中の中央に年号が刻まれていた。

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左 弁財天坐像 文政2(1819)頭に大きな蛇を乗せ、やはり両手に剣と宝珠を持っていた。右脇に正徳、左脇に文政の銘があるが、その間には約百年の隔たりがあり、隣に並ぶ古い弁財天像のかわりにこちらを再建したということだろうか?両者ともに紀年銘以外の文字は見当たらなかった。

阿蘇神社北路傍 富士見市東大久保148

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阿蘇神社の東側の道を北へ歩くとすぐ右手に小堂がある。小堂の前には二基の石塔が並んでいた。

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小堂の中 地蔵菩薩立像 正徳3(1713)丸彫りの延命地蔵。台も含めると2m近い。江戸時代初期のものだが欠損もなく美しい。

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蓮台の上にたくさんの土団子が載っていた。調べてみると「イボとり地蔵」ということで、土を丸めた土団子を供えて願をかけたものらしい。こういった風習がいまだに続いているのは面白い。

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台の正面「天下泰平 當所繁昌 敬白」両脇に造立年月日が刻まれている。

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小堂の前 石橋供養塔 文化元年(1804)正面に「石橋供養塔」右側面に造立年月日。左側面には入間郡大久保 願主とあり3名の名前が刻まれていた。

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その隣 大乗妙典供養塔 正徳3(1713)正面を浅く彫り窪めた中、上部に卍。続いて中央に「奉納大乗妙典」両脇に渡って「天下泰平」続いて造立年月日。その下には比較的大きな合掌型の地蔵菩薩坐像が浮き彫りされている。

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塔の右側面「乃至法界」その下は白カビが多いがかすかに當村とあり、その隣の文字は人の名前と思われる。

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左側面には「平等利益」左右合わせると「乃至法界平等利益」となる。その下の文字は彫りが薄く、うまく確認できなかった。裏面 上部両脇に渡って「國土安全」こちらは正面と合わせて「天下泰平國土安全」となる。中央に「日本回國六十六部成就之處」敬白。右下に川越領大久保村とあり、左下に願主一名の名前が刻まれていた。

 

車地蔵 富士見市東大久保584の向かい

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県道113号線。びん沼橋から来る広い道路とのT字路信号交差点を過ぎ、さらに少し行くと右手路傍に小堂が見えてくる。中にはお地蔵様が祀られていた。写真左が県道113号線。結構交通量が多い。

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中央 地蔵菩薩立像 元禄8(1695)丸彫りの延命地蔵。やわらかい微笑みを浮かべながら佇んでいる。300年以上の長い年月、多くの人たちの祈りを受け止めてきたのだろう。

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蓮台の下の敷茄子の正面「奉造立延命菩薩」右脇に施主敬白 大久保 總村中、左脇に為菩提 誌正与也。続いて造立年月日が刻まれていた。

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右に地蔵菩薩坐像 元禄8(1695)頭部は破損したものを後から補修したもののようだ。塔部正面 中央に「寒念佛供養同行」その両脇に造立年月日。下部には六人の名前が刻まれている。

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左側面中央「橋供養同行」寒念佛供養塔であり、橋供養塔でもあるということだろう。脇にも文字が見える。右のほうは武州、宿か?摩耗していて全体にはっきりしない。下部には数人の名前が見られる。

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右側面はさらに状態が悪い。「橋供・・」下部はこちらも数人の名前と思われれる。

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裏に回って見るとこちらにも「寒念佛供養同行」と刻まれていた。享保五年(1720)の銘があるが、文字も比較的あざやかであり、裏面は追刻されたものだろう。下部にはやはり数人の名前が刻まれている。

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左 地蔵菩薩坐像。蓮台のみで台、または塔部がなく銘が見当たらないため詳細不明。こちらも頭部は破損したもののようだ。いろいろなところで頭部を欠いたお地蔵様を見かけるが、明治期の廃仏毀釈の影響だろうか?痛ましいことだ。

観音堂跡 富士見市東大久保825の南隣

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車地蔵のある交差点から西に進み、次の交差点を右折してしばらく行くと、正面に長谷寺の山門が見えてくる。左側の細い路地の先、稲荷社の祠の隣に庚申塔が立っていた。路地の入口は長谷寺から200mほど南になる。

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庚申塔 正徳3(1713)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。全体を白カビがおおいつくしている。

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上部に梵字「ウン」その下に頭の上にとぐろを巻いた蛇をいただいた三眼の青面金剛。右脇には「奉造立庚申供養為現當二世安樂也」左脇に造立年月日を刻む。

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足の両脇にかすかに二鶏が見える。足下には顔をしかめた邪鬼。続いて邪鬼よりも大きな三猿。その下の台の正面 中央に武州入間郡大久保村とあり、その両脇に十二人の名前が刻まれていた。

 

道113号線と県道56号線が交わる東大久保交差点で、ここから東に向かうと治水橋で荒川を渡り大宮方面へ、西に向かうとふじみ野市、川越市方面へ出ることができます。

長谷寺 富士見市大字東大久保882

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県道113号線と県道56号線が交わる東大久保交差点のすぐ南に曹洞宗の長谷寺(チョウコクジ)がある。山門を入ると参道の左側に六地蔵の小堂が立っていた。境内は禅宗のお寺らしく飾り気がなくつつましい雰囲気がただよい気持ちがよい。

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六地蔵の手前 小堂の中に地蔵菩薩立像 昭和7(1932)台の正面中央に「法力地蔵」両脇に我此土安穏、天人常充満。台の左側面に造立年月日が刻まれていた。

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六地蔵菩薩立像 明和3(1766)像のサイズや彫りの様子、台の形や銘の字などから、六基は同じ時期に奉納されたものと思われる。

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台にはそれぞれ願文などが、右端の台には造立年月日、右から二番目の台には發起願主當村中の銘が刻まれている。

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本堂の左側、墓地の入口付近に大きな聖観音を中心に歴代住職の墓所があり、その脇に三基の石地蔵と天満宮の石祠が並んでいる。三基の石地蔵のうち二番目と三番目は個人の供養のためのものだった。

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左 地蔵菩薩立像 天明元年(1781)丸彫りの延命地蔵だが、像も台もかなり白カビが目立つ。

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台の正面「奉造立地蔵大士尊像総為六十六部奉納妙典供養者也」

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右側面には三南畑村總村中とあり二名の名前を刻む。左側面 造立年月日に続きやはり總村中とあり、大久保村施主二名の名前が刻まれていた。

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墓地の中ほど、一般のお墓の角のところに三基の石地蔵が並んでいた。いずれも丸彫り重制の石塔で背が高い。

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左 地蔵菩薩立像 年代不明。像はここでは一番小さい。

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遠目ではよくわからなかったが、蓮台の下の台の前面に獅子が彫られていた。全体を白カビがおおっているが、その彫りはくっきりと細かく見えている。ちょっと珍しい構成だと思う。塔部は四面に文字らしいものが見えるがやはり白カビのために判読は難しく詳細はわからなかった。

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中 地蔵菩薩立像 宝暦10(1760)像はカビがひどくまるで白い衣装をまとっているかのようだ。

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台の部分は比較的きれいで字が読みやすい。正面右脇に造立年月日だが、孟春下浣日とあり、孟春=早春3月か?下浣日=下旬となる。いろいろな表現があって面白い。中央には願主、その下に俗名と法名が並ぶ。左脇 武州入間郡大久保邑 臥龍山長谷十一世瑞雲養鳳代。台の右側面は中央に「無佛世界度衆生 今世後世能引導」その周りに藤間村 鶴岡村 鶴新田 福岡村 水子村など近隣十数村の名前が刻まれていた。

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台の左側面 中央に「毎日晨朝入諸定 入諸地獄令離苦」右側面と合わせて延命地蔵経の中にある28文字の偈文になる。こちらも十数村の名前が刻まれている。裏面に「奉納大乗妙典 六十六部供養」普通はこちらが表になりそうなものだ。いずれにしても長谷寺のご住職の呼びかけで多くの村がその建立に協力したものだと思われる。

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右 地蔵菩薩立像 天保8(1837)丸彫りの延命地蔵。大きな錫杖を持ち恰幅もよく堂々としている。

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台の正面中央「三界萬霊等」脇には造立年月日と施主名が刻まれていた。

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墓地の西の奥に大きな笠付きの墓石が立ち並ぶひときわ立派な墓所があった。有力な檀家さんの墓所なのだろう。その入り口に四基の地蔵菩薩塔が並んでいる。いずれも大きな塔の上に地蔵菩薩の坐像を乗せていた。

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左 地蔵菩薩坐像 安永4(1775)全体に白カビが目立つ。土台が悪いのだろうか、塔自体がまっすぐに立っていない。塔の下の大きな台は二重になっている。

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塔部正面には「一者女人泰産 二者身根具足 三者衆病悉除・・・」と地蔵菩薩を信仰することによって得られる十の福徳(延命地蔵菩薩経の中に書かれているらしい)が刻まれていた。左側面には造立年月日。続いて大久保村と刻まれている。一緒に並んでいる三基の地蔵菩薩像塔は個人の供養のためのものだった。