浦和区 針ヶ谷・領家

大原陸橋東路傍 浦和区針ヶ谷3-3[地図]


旧中山道、大原陸橋東交差点の角の一角、ガードレールに囲まれた中に小堂が立っていた。


庚申塔 正徳4(1713)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


とぐろを巻いた蛇を頭に乗せた左岸の青面金剛。持物は矛・法輪・弓・矢。右足脇の「針」は周りに文字が無く意味不明。針ヶ谷の「針」だとは思うが・・・


足元に頭を左にして邪鬼が寝そべる。両脇に二鶏。その下に両脇が内を向く三猿。このあたり安定の構図。


台の正面、小堂の前の横木のために下部が見えないが、右端に針ヶ谷村とあり、その下に横一列に21名の名前が刻まれている。


塔の左側面は無銘。右側面に造立年月日が刻まれている。

浦和高校正門向い路傍 浦和区領家6-19[地図]


北浦和駅東口から北東に向かう県道65号線、埼玉大学の正門の向いの交差点の角に小堂が立っていた。


庚申塔 享保4(1719)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。頭上の蛇と口、合掌する手が白く塗られている。風化のため塔の縁は一部欠けているが、白カビはなく彫りもきれいに残っていた。


ドングリまなこの青面金剛。矛・法輪・弓矢を持つ。像の右脇「奉供養庚申待諸願成就所」左脇に造立年月日。


足の両脇に二鶏。尾羽の先まで彫りは細かく今にも歩きだしそう。足元の邪鬼は頭が右で、どうやらこの地域ではこれは少数派とは言えないようだ。三猿は両脇が内を向き、足を投げ出して座っている。

針ヶ谷小学校南交差点角 浦和区領家6-12[地図]


埼玉大学向いの交差点の庚申塔の左脇の路地に入り、道なりに180mほど道なりに進む。左手にある医院の先を左折すると交差点の角に小堂が立っていた。


小堂の中 庚申塔 享保4(1719)宝珠をのせた大きな唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。


頭上の髪の間から蛇が顔をのぞかせる。ドクロの首輪をつけた青面金剛。前の右手には剣、左手にショケラを持つ。残りの持物は矛・法輪・弓・鏑矢。


小さなショケラは合掌していた。ももの両脇に二鶏。足元の邪鬼は腕組みをして顔を乗せ、頭と腰を踏まれながらも余裕の表情を浮かべている。


三猿は台の正面に彫られていた。両脇の二匹の猿はいずれも外向き、そっぽを向く構図。これはかなり珍しい。右の見猿は桃の枝を手にしていた。


塔の左側面に「青面金剛塔銘」最後に寶珠山吉祥寺三十六世沙門釈乘鎮謹撰と刻まれている。


右側面に造立年月日。さらに右のほうに武蔵國足立郡領家邑とあり、願主一名の名前、続いて講中二十七人と刻まれていた。


小堂の欄間に三猿が彫られている。三匹とも腰掛けながらそれぞれにユニークなしぐさが魅力的な三猿、なんとなくほほえましい。

南箇公民館向住宅前 浦和区領家3-14[地図]


県道35号線「産業道路」の東、北宿通り南にある南箇公民館向いの住宅の前に小型の石塔が立っていた。


庚申塔 安永9(1780)舟形光背に日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。ご覧のような状態で彫りも薄くなっていて銘の確認はむずかしい。


(参考として10年前の写真)