大戸不動尊 中央区大戸3-13-20[地図]
別所沼方面から大戸東通りを北上、県道57号線との信号交差点の50mほど手前、道路左側に大戸不動尊があった。入口右脇に寺標、左脇にも石塔が立っている。
入口左 庚申塔
天保5(1834)大きな四角い台の上の角柱型の石塔の正面「庚申塔」左側面に「成田山」右側面に造立年月日が刻まれていた。
門を入って左側をのぞくと、ブロック塀の裏に二基の石塔が立っている。さらに奥のブロック塀の前にも多くの石塔が並んでいるが、そのうち左から五基はいずれも庚申塔だった。
入口の門柱の裏 猿田彦大神塔
天保14(1843)粗彫りの角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に「猿田彦大神」
下の台の正面中央に「女人講中」右脇に造立年が刻まれている。
道路側のブロック塀の裏 庚申塔 天明6(1786)四角い台の上の駒型の石塔の正面
日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。この庚申塔は十年前にこちらに移されたもので、以前はここから300mほど北の路傍の小堂の中に立っていた。
頭上に梵字「ウーン」日天月天は長い瑞雲でつながっている。輪光背を負った忿怒相の青面金剛。二つに割れた髪の間から蛇が顔をのぞかせる。
足元にしかめ面をした邪鬼。その下の三猿は両脇が内を向く構図、右の聞か猿が左足を跳ね上げているのは面白い。台の正面に薄く「右」「左」とあり、その下にやはり薄く見えるのは地名だろうが、読み取れなかった。
塔の左側面に造立年月日。右側面に武刕足立郡大戸邑
講中十五人敬白と刻まれている。
南のブロック塀の前、左端 庚申塔 文化5(1808)駒型の石塔の正面 日月雲
青面金剛立像 合掌型六臂。ここに並ぶ庚申塔は他の場所から移されたものが多く、下の台にはその移動日、旧所在地が刻まれたプレートが埋められていた。
全体に風化が著しく進み、像の一部にひびが入っている。合掌手以外の二組の腕の付き方が面白い。
下部は剥落、摩耗が目立ち、どこがどうなっているのか?これでは邪鬼も三猿も確認できない。
塔の左側面「奉造立尊像」両脇に造立年月日。下部右から願主 天光恵□ 大戸村
女人講中。
右側面には左り うらわミちと刻まれていた。
2番目 庚申塔
文政5(1822)角柱型の石塔の正面「庚申塔」
塔の右側面に造立年月日。左側面には大戸村
講中と刻まれている。
3番目 庚申塔
造立年不明。角柱型の石塔の正面「庚申塔」塔の側面裏面とも無銘。下の台は新たに設置されたもので、本来の台のほうに銘があったのではないだろうか。
4番目 庚申塔 天明3(1783)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像
合掌型六臂。10年前の写真と比べるとだいぶ白カビが増えていた。
頭上にとぐろを巻いた蛇をのせた三眼の青面金剛。二組の腕が川口型庚申塔のように上下直角についている。
足元に平たい邪鬼。その下に正面向きに座る三猿。
塔の右側面は無銘。左側面に造立年月日。続いて講中と刻まれていた。
5番目 庚申塔
寛文13(1673)江戸時代初期に特徴的な板碑型庚申塔。
板碑型庚申塔は文字塔か三猿のみが彫られた三猿庚申塔が多いが、この庚申塔は主尊として阿弥陀如来立像が彫られている。その右脇に造立年月日。左脇に「果菩提也」続いて武刕足立郡
大戸村。
阿弥陀如来像の下に二鶏を半浮き彫り。その下に正面向きの三猿。三猿の下の部分に十数人の名前が刻まれていた。
南のブロック塀の前、入口付近には庚申塔が多かったが、そのあとには様々な石塔が並んでいる。
左から 大聖不動供養塔
明治35(1892)角柱型の石塔の正面「大聖不動明王供養塔」
白カビが厚い中、右脇に正觀世音菩薩、左脇に高祖神變菩薩。こちらは役小角のことらしい。
塔の左側面に造立年月日。続いて與野町 石工
井原赤太郎。右側面には右上に大戸村とあり、細かい字で多くの名前が刻まれているが、白カビのためにすべてを確認することはできない。五段に渡って全部で40名ほどになる。
最下部には世話人とあり10名の名前が刻まれていた。
その隣 敷石供養塔
造立年不明。銘は薄くなっていて読みにくい。
塔の正面
上部に「不動尊前」右のほうに縦に「敷石寄付連名」とあり、やはり細かい字で寄付金額と寄付者名が面全体にびっしりと刻まれていた。金一円、金五十銭などとあることから、造立は明治以降~大正だろうか?
塔の最下部に世話人十名の名前が刻まれている。
続いて角柱型の石塔。正面が剥落、破片が近くに散乱していたので集めてみたが、10年前の写真から、こちらは庚申塔
慶応2(1866)側面もそろそろ危険な状態。
塔の右側面 武州足立郡与野領。その左に造立年月日。下部に大戸村
講中と刻まれている。
10年前の写真。ここに並んでいる他の多くの石塔も、10年前と比べると白カビが増え風化が進んでいた。
その隣 巡礼供養塔
慶応2(1866)隣の庚申塔といっしょに造立されたものだろうか?四角い台の上に駒型の石塔。白カビが厚い。
塔の正面 真ん中あたり、カビがやや薄いところから読むと、右から西國 坂東 秩父 立山
下に「巡禮供養塔」上部は右から月山 湯殿山 羽黒山となる。
塔の右側面に造立年月日。その横に武州足立郡大戸村と刻まれていた。
続いて大乗妙典供養塔
享保4(1719)四角い台の上、蓮台付きの駒型の石塔の正面を彫りくぼめた中 梵字ア」の下に「奉納大乗妙典六十六部日本回國」両脇に天下和順・日月清明。塔の下部には蓮華が彫られている。
塔の右側面に造立年月日。左側面に足立郡大戸邑 願主
譽欣心と刻まれていた。
長いブロック塀なので途中二か所に控え壁がついている。初めの控え壁の左脇 光明真言供養塔
文政元年(1818)四角い台に蓮台付きの隅丸角柱型の石塔。正面を彫りくぼめた中に「奉唱念光明真言供養塔」
塔の右側面に造立年月日。左側面には大戸村
施主とあり實道沙門。続いて男女講中と刻まれていた。
控え壁の右脇 観音霊場供養塔
天明3(1783)隅丸角柱型の石塔の正面を彫りくぼめて、梵字「サ」の下に「南無觀世音菩薩」
塔の左側面に「西國 坂東 秩父 巡禮成就所」
右側面に造立年月日。右脇に大戸村、その下に四名の名前が刻まれていた。
その隣 名号塔
享保7(1722)蓮台の上の唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に独特な書体で「南阿弥陀佛」両脇に天下和順・日月清明。似たような書体で徳本名号塔が有名だが、徳本上人は主に文化年間に活動された念仏行者であり、同じ系統の書体がそれ以前から存在していたことがわかる。
塔の左側面に「永代常香供養石」
右側面に造立年月日。その右下に大戸村、左下に施主中と刻まれていた。
続く10基はいずれも墓石。右に三基の卵塔が並んでいる。
卵塔の隣 弘法大師遠忌塔
5(1834)四角い台の上の角柱型の石塔の正面「弘法大師一千年忌供養塔」下の台の正面に施主 當村。
塔の右側面に造立年月日。その横に大戸村鴛鴦寺。このお寺は今は存在しない、廃寺となったものか?
左側面
阿波國平等寺写、その横に四國八十八箇所二十二番。四国移霊場標石も兼ねている。
続いて観音菩薩塔 文久3(1861)角柱型の石塔の正面
梵字「サ」の下に「南無大慈大悲觀世音菩薩」右側面に造立年月日。
四角い台の正面
右から講元一名、続いて講中とあり八名の名前。両側面にそれぞれ十名の名前が刻まれていた。
その隣 普門品供養塔
安永6(1777)四角い台の上の角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、梵字「サ」ンの下に「普門品一万巻供養塔」上部両脇に造立年月日。右下に大戸村、左下に講中。
塔の右側面に十名、左側面に五名の名前が刻まれていた。講中十五人ということだろう。
以下、敷地の奥まで多くの石仏、石塔が並ぶ。こちらはすべて墓石だったが、江戸時代初期の石仏もいくつかあり、なかなか見ごたえがあった。
不動堂の手前、参道左脇に宝篋印塔
享保19(1734)基礎に宝筐院陀羅尼経云で始まる偈文。反花付き台の正面に戒名。両側面にそれぞれ二十名ほどの名前が刻まれている。裏面には願主数人の名前。さらに光明真言講 村中とあり、続いて造立年月日。最後に石工名が刻まれていた。
氷川神社裏住宅 中央区大戸3-14-10[地図]
大戸不動尊から北へ進み、県道57号線を越えてすぐ、氷川神社のある交差点を左折して神社に沿って坂道を下ってゆくと、次の角のところの住宅の入口近くに小堂が立っていた。
馬頭観音塔
文化11(1814)舟形光背に慈悲相二臂の馬頭観音像を浮き彫り。
頭上の馬頭はくっきり。馬頭観音特有の馬口印を結ぶ。上部両脇に造立年月日
塔の左側面に大戸村 馬持講中と刻まれている。
与野南小学校南 中央区大戸6-1[地図]
交差点の向いの角にも小堂が立っていた。
小堂の中 庚申塔 文化8(1811)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像
合掌型六臂。持物は矛・法輪・弓・二本の鏑矢。
塔の右側面に「奉庚需供養之處」庚申の代わりに「庚需」というのは初めて見た。
左側面に足立郡大戸村
願主とあり個人名。続いて善男女講中と刻まれている。
常盤小学校南西角 中央区大戸4-14[地図]
常盤小学校の南西の角の交差点のところにトーテムポールのような塔とエスニックな感じの小屋のようなものが立っていた。
小屋の入口からのぞくと中に庚申塔が祀られている。近づいてみても正面の「庚申塔」以外何も見えない。資料によると文政3(1820)造立で、塔の右側面に紀年銘。さらに右
あふみや。左側面に大戸村講中。その横に 左 ひきまた と刻まれているという。どうやって見たのだろうか?
イオン南住宅 中央区大戸5-20[地図]
国道463号線沿いにあるイオンの西の信号交差点から80mほど南、道路西側の歩道の脇に小堂が立っていた。玄関先の塀の壁と隣家のブロック塀にはさまれていて見逃しやすい。
小堂の中 甲信塔駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像
合掌型六臂。
上部は薄暗く顔もやや潰れていた。頭上にとぐろを巻いた蛇をのせた三眼の青面金剛。ふっくらと合掌する。
足元に目を吊り上げた邪鬼がうずくまる。両脇に二鶏。その下に両脇が内を向き足を投げ出すように座る三猿。塔の両側面は狭く銘は確認できなかった。資料によると右側面に造立年月日。左側面には武刕足立郡
与野領大戸村 願主 老母講助加村中と刻まれているらしい