志木市幸町の石仏

県道113号線路傍 志木市幸町4-5


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志木市役所近くから新座の大和田を結ぶ県道113号線の北側路傍。新座市との
境界線付近の駐車場の隅に庚申塔が立っていた。

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庚申塔 寛政7(1795)正面 日月雲の下「青面金剛王」と刻まれている。

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塔の右側面に年号。左側面 武州新座郡 舘村内久保山中と読める。同じ町内に
「久保共励館」「久保観音堂」などがあることからこの付近は字久保だったと
思われる。舘村内の字久保の山中という人が施主ということだろうか。

久保共励館前路傍 志木市幸町4-12

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県道113号線から細い道を北に入った先に久保共励館がある。入口付近に
笠付き角柱型の石塔が立っていた。

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普門品供養塔 文化元年(1804)正面を彫り窪めた中に十一面観音立像を彫る。
その下、「十一面観世音」「普門品供養塔」と刻まれていた。

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下部の台に「講中」とあり、名前が刻まれているがはっきりは読み取れない。

久保共励館南の住宅内庭隅 志木市幸町4-6

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久保共励館の南、造園業をされているお宅の庭の隅に庚申塔が立っていた。

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庚申塔 天明8(1788)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。白カビが多い。
頭上にとぐろを巻いた蛇を乗せ、面長の青面金剛はユーモラスな印象を受ける。

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足元には丸い邪鬼がうずくまる。両脇に二鶏。さらにその下に三猿を彫る。

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塔の右側面に 施主 個人名が刻まれる。左側面「奉読誦普門品供養塔造立之」
その脇には年号が刻まれていた。


幸町4丁目共同墓地 志木市幸町4-4

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昨日紹介した庚申塔のある造園業のお宅から東に歩くと四つ角の右側の角に墓地が
あった。入口から3つの小堂が見える。右側は六地蔵菩薩の小堂。造立は新しい。
左は4体のお地蔵様、正面には二基の石塔が祀られている。

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左の小堂の中、左の三体は個人の供養塔。一番右 地蔵菩薩立像 元文元年(1737)
錫杖も宝珠も健在で美しい状態を保っている。

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台の正面に「供養佛」両脇に造立年月日が刻まれていた。台の右側面は狭く
写真は撮れないが施主として数名の名前が、左側面にもまた数名の名前、
あわせて施主十数名の名前が刻まれている。

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正面の小堂の中 右 善光寺阿弥陀三尊像 大正6(1917)下の台は二段になっている。

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大型の舟型光背の中、中央に阿弥陀如来立像、向かって右に観音菩薩立像、
左に勢至菩薩の三尊が浮き彫りされていた。

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二段の台の正面 上の台に講中4人の名前と発起人1人の名前が刻まれている。
下の台には講中16人、続いて下宿2名、前宿1名、世話人4名の名前を刻む。

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左 笠付の六面石幢 天保3(1832)六面それぞれに地蔵菩薩・・と思ったら、

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奥には聖観音立像、さらのその奥の面には如意輪観音坐像が彫られていた。

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六面のうち三面に銘が見られる。錫杖と宝珠を持った地蔵菩薩立像の下に年号。
奥の面に「深一菩心尼」その奥の面に施主として個人名が刻まれていた。


大塚延命地蔵尊 志木市幸町2-10

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志木駅南口のロータリーから前の道を右に曲がり東武東上線に平行な道を進む。
幸町1丁目交差点で広い道路を横切り、さらに直進するとT字路に突き当たる。
正面の住宅のブロック塀の中に小堂が立っていた。

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地蔵菩薩立像 正徳5(1715)丸彫り。頭部に円形の光背を持つ。目じりが上がり、
ちょっとユーモラスな表情を見せている。

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美しいお花に囲まれたお地蔵様。台の正面には「奉造立念佛供養 為二世安樂」

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台の右側面に年号。その脇には施主三十四人と刻まれていた。

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台の左側面 武州新座郡舘村。こちらには施主二十三人と刻む。台の裏側は
未確認だが、資料によると 明治三十年再建。発願人1名、世話人3名に続き、
外 四拾五人と刻まれているという。多くの人が造立にかかわっているようだ。

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堂の脇に小さな馬頭観音塔 明治7(1874)こちらは一人の施主名が刻まれていた。

幸二丁目路傍 志木市幸町2-9

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大塚の延命地蔵尊から東に歩く。東武東上線の踏み切りの手前、左側の路傍に
きれいな小堂が立っていた。

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堂の中 馬頭観音塔 明治27(1894)正面に大きく「馬頭観世音」

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塔の右側面に年号。その下部には6名の名前が刻まれている。

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左側面にも7名の名前がきざまれていた。さらに裏面にぽつんと宮戸 1名の
名前が刻まれている。朝霞の宮戸だろうが、どんな縁があったのだろうか。