桜区塚本

 

薬師堂 桜区塚本606南[地図]


さいたま市指定天然記念物「薬師堂のマキ」で有名な薬師堂は、荒川左岸堤の外、浦和少年野球連盟グラウンドの北、田園の中にある。入口右脇が「薬師堂のマキ」、左脇には大きなイチョウの古木が立っていた。


イチョウの木の近く、雨除けの下に地蔵菩薩立像 享保7(1732)享保期の丸彫り地蔵としては中型ではあるが、風化も少なく彫りもしっかり残っていて、堂々としている。


厚い蓮台の下、角柱型の石塔の正面に偈文。


左側面の銘文の後ろに造立年月日。さらに西方現住笑厳叟。この薬師堂は塚本村にあった西方寺の境外堂なのだろう。


静寂の中に佇むお地蔵様の横顔は凛として美しい。

釈迦堂墓地 桜区塚本66[地図]


浦和北高校の北東、荒川の土手道から大久保浄水場方面に向かう道路沿いに釈迦堂の墓地があった。こちらは明治6年に廃寺になった西方寺の跡地らしい。入口から六地蔵の小堂と釈迦堂が見える。


入口左 石橋供養塔 天明8(1788)一見門柱のように見えたのだが・・・角柱型の石塔の正面上部を丸く彫りくぼめた中に地蔵菩薩坐像を浮き彫り、その下に「石橋供養塔」両脇に造立年月日が刻まれている。


その奥に六地蔵塔。銘が確認できず、詳細は不明だが、江戸時代後期のものか?


続いて地蔵菩薩立像 延享5(1748)重厚な蓮台に立つお地蔵様は、丸彫りだが大きな欠損はなく、白カビはあるものの彫りはきれいに残っている。


四角い台の上 角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に「悉地衆生 本来成佛」


剛の右側面 両脇に武刕足立郡塚本 邑中善男全女。中央に化主 鉄相法印。



左側面 手前 安養山現住木如代。奥に造立年月日が刻まれていた。


地蔵塔の先で左に折れると、大きな唐破風笠を持つ青面金剛庚申塔と戒壇石が並んでいた。


左 庚申塔 元禄16(1703)角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。頭に蛇を乗せた青面金剛。持物は矛・棒・弓・矢・


足元の邪鬼は白カビにまみれ、様子がはっきりしない。その下に両脇が内を向く三猿が彫られていた。


塔の右側面 一部隣の戒壇石のかげになって銘が読みにくい。武州足立郡塚本村、その隣「諸佛救世者住於大神通」


左側面「爲悦衆生故現無量神力」続いて造立年月日が刻まれている。


右 戒壇石 天保10(1829)角柱型の石塔の正面「葷酒不可入山門」曹洞宗など禅宗の寺院の門前によく見られる石塔。

 




塔の右側面に造立年月日。その隣に安養山西方禅寺と刻まれていた。