大宮区 桜木町・上小町

薬師堂 大宮区桜木町4-656[地図]


与野中央通りを北上して新都心西交差点で県道56号線を越え、次の信号交差点を左折、300mほど先の交差点右手前に薬師堂の入口がある。右の門柱手前に小さな石塔が立っていた。


馬頭観音塔 大正5(1916)駒型の石塔の正面に「馬頭觀世音」左側面に造立年月日。願主は個人。


境内に入ると参道左脇に六地蔵と石塔が並んでいる。奥の地蔵菩薩塔は墓石だった。


左から 名号塔 正徳3(1713)四角い台の上の角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に「南無阿弥陀佛」下に花押があり、調べてみると祐天上人の字体らしい。下部に十名の名前。左右両側面にも同じように「南無阿弥陀佛」下部に十名の名前が刻まれている。


こちら裏面。中央に「南無阿弥陀佛」と花押。両脇の枠に造立年月日。四面ともに「南無阿弥陀佛」と刻まれた名号塔は初めて見た。


下部の銘だけが違っている。右から右村合□、施主爲菩提、到誉□人、□善三郎、天野□庵、同 城湯。名前らしいのは願主か世話人か?正面と両側面も合わせると施主三十数人となるだろう。


その隣 六地蔵菩薩塔 天保14(1843)細長い三つの台の上にそれぞれ二基づつ丸彫りの地蔵菩薩立像が乗っている。像の様子も蓮台と敷茄子もよく揃っているが、頭部だけは微妙。台の正面に大きく「當邑念佛講中」台の右のエンドに造立年月日が刻まれていた。


こちら参道右側、大きな丸彫りの二基の地蔵菩薩塔が立っている。右は文化3(1806)左は天明2(1782)寛政6(1794)の二つの紀年銘が刻まれていた。いずれも施主は個人名で講中仏ではない。個人がこのような立派な石仏を残すほどの豊かな村だったということだろう。

小村田氷川神社 大宮区上小町1110[地図]


上小交番前交差点から100mほど東の押しボタン信号交差点を南に入ると氷川神社があった。広い敷地の東の隅、資材置き場と大きな木の間に石塔が立っている。


四国移霊場標石 宝暦10(1760)角柱型の石塔の正面上部を彫りくぼめた中に弘法大師坐像?を浮き彫り。


その下、中央に大きく「南無遍照金剛」上部両脇に造立年月日。右下 足立八十八箇所八番、左下 阿波の五地蔵寺移。四国霊場を移した移霊場標石 は真言宗寺院で多く見られる。調べてみると氷川神社には廃寺となった真言宗寺院 壽福寺があったらしい。


上部に浮き彫りされたこちらの像は、合掌した地蔵菩薩坐像に見えるが、石塔の性質から考えると弘法大師坐像だろうか。


塔の左側面の銘は、一部白カビもあり読みにくい。中央は□□寶蔵じ江二丁よ?右脇に光明真言講 兩村女中。中央下部に勧化兩郷。左脇は□□寺移し。


左側面上部に偈文。下部に阿波地蔵寺の御詠歌「六道の能化の 地蔵大菩薩 道引給え 此世後の世」なかごろに「地蔵大菩薩」とあり、正面の像は地蔵菩薩坐像の可能性もありそうだ。

上小町県道214号線南住宅前 大宮区上小町664[地図]


上小交番前交差点から300mほど西の信号交差点を右折、北へ進むと、100mほど先の道路左側の住宅の脇に小堂が立っていた。


小堂は今はしっかりと鍵がかかっていて隙間からのぞくしかない。庚申塔 延享元年(1744)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 梵字「ウン」の下に「青面金剛庚申塔 敬白」


下部に両脇が内を向いて座る三猿が彫られている。

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10年前は堂内の撮影も可能だった。塔の右側面に造立年月日。左側面に武州足立郡上小村田邑。施主は個人。

上小子育地蔵尊 大宮区上小町270[地図]


所沢新道とさくら並木通りが分岐する交差点に瓦屋根のお堂が立っていた。


右手前に「上小子育地蔵尊」と書かれた標識がたち、お堂には「首無し地蔵」の解説板が掲げられている。


「首無し地蔵」と呼ばれる丸彫りの地蔵菩薩立像 慶長3(1598)ここまで古い地蔵菩薩塔はあまり見たことがない。錫杖、宝珠とも健在だが、眉間の白毫、鼻、口あたりはちょっと不自然な感じで、もしかしたら補修されたのかもしれない。

所沢新道路傍 大宮区上小町197[地図]


桜木町交差点から西へ向かう県道2号線は次の桜木町西交差点で二つの道に分かれる、左の「所沢新道」に入って100mほど進むと、道路右側の三差路の角に小堂が立っていた。


庚申塔 享保16(1731)おおきな宝珠をのせた唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂・堂内にはいつも千羽鶴をはじめ、お花などのお供え物が絶えることがない。今なお地域の人たちに大事にされていることがわかる。


頭上にとぐろを巻いた蛇をのせた三眼忿怒相の青面金剛。持物は矛・法輪・弓・矢とスタンダードな構成。像の表面は風化のためにやや丸みを帯びている。


足元には大きな邪鬼。肩と背中を踏まれながらも、ぐっと顔を起こして大きな目でにらみを利かせていた。その下、狭い部分に両脇が内を向く三猿。二鶏は見当たらない。


塔の右側面 小堂の隙間から見ると、是より東 大宮町道、是より南 与野町道、是より西 川越ミち と刻まれ、道標になっている。


左側面は狭く写真二枚でやっと収まる。中央に「奉造立庚申供養塔」上部両脇に造立年月日。


右下に施主小村田村、左下に講中二拾人と刻まれていた。