板橋区大原町

長徳寺 板橋区大原町40

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中台付近から首都高の下の道路を池袋方面に向かう。左手に見次公園を見ながらさらに500mほど進み、信号のある交差点を左に曲がると長徳寺の山門の前に出る。山門を入って右側手前に石塔が並んでいた。

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右から 宝篋印塔 正徳6(1716)江戸時代前期らしく隅飾型。塔身部には梵字が彫られている。

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台の右側面に造立年月日。続いて武州豊嶋郡前野村。さらに大日堂 御寶前 長徳寺住 素光。左側面には落合村、袋村、徳丸村、中臺村の7名の名前が刻まれていた。

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左隣 庚申塔 宝永7(1710)日月雲 馬頭観音立像 合掌型八臂。馬頭観音を主尊とする庚申塔はかなり珍しい。台の正面、蓮が彫られた右脇に年号が刻まれていた。

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頭の上に見えているのは馬頭のようだ。光背右「奉造立馬頭明王庚申講中」左脇に為二世安樂也。足の両脇に二鶏が彫られている。

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その下に邪鬼は見当たらないが、しっかりとした三猿が彫られていた。三猿の下の部分に十数人の名前が刻まれている。

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庚申塔の後ろに三基の石塔。右 光背の欠けた小型の地蔵菩薩立像 享保14(1729)。個人の墓塔のようだ。

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中央 頭部を欠いた丸彫りの地蔵菩薩立像。どこにも銘が見当たらず詳細は不明。

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左 庚申塔 天明2(1782)こちらも光背の一部が欠けているが、右脇に庚申、講二世安樂などの文字が見える。左脇には年号。その下に施主 九人。足下には三猿が彫られていた。

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前の列に戻って、馬頭観音の庚申塔の左隣 善光寺如来塔 文化6(1809)塔の正面「善光寺如来」とは三尊形式で有名な善光寺の阿弥陀如来のことだろう。右側面に年号。台の正面には十七人女講中と刻まれている。

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その奥、庭木に埋もれるように立っている石塔。上部に如意輪観音坐像 。その下に秩父・西國・坂東 供養塔。塔の左側面に文化とあるがその下の年号のところが削れていて読みにくい。確信は持てないが文化11(1814)のように見える。

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台の正面には 武州豊嶋郡前野邑 施主とあり八名の名前。続いて長徳寺現住 □長代と刻まれていた。

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さらにその奥、六字名号塔。正面中央に「南無阿弥陀佛六部供養」道標を兼ねていて、両脇に大きな字で 右 川口善光寺道、左 千住道。下のほうはいつもの窪み穴が見られ、文字が一部欠けているが右下に江戸、左下は傳法院だろうか?また塔の両側面にも造立年月日と思われる文字が見えるが、こちらも窪み穴のために残念ながら判読はできなかった。

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前の列の一番奥に馬頭観音立像 天保11(1840)大きな台の正面には前野村講中と刻まれていた。

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彫りは細かく美しい。三眼忿怒相の馬頭観音は馬口印を結び八臂。頭上の馬の顔もどことなく不気味だ。

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台の右側面 右に造立年月日。続いて奉納とあり、その下に奉納金額と奉納者二名の名前が刻まれている。左側面は庭石がぴったりくっついていて確認できなかった。

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その後ろには三基の石塔。右 馬頭観音塔 大正15(1926)正面に「馬頭観世音」左側面に造立年月日と建立者として個人名が刻まれている。

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中央 馬頭観音塔 文化5(1808)正面 梵字の下に「馬頭観世音」

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塔の右側面 上部に造立年月日。その下に武州入間郡下安松村 願主名、さらに同州豊嶋郡前野村 施主は個人名。下安松は所沢だろうがどういう繋がりだろうか?

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左側面には 是より大日道 弥里まみちと刻まれていた。

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左 敷石供養塔 大正12(1923)正面中央に「敷石四十枚」両脇に造立年月日が刻まれている。


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山門から正面の本堂にまっすぐ続く参道の左側、入り口近くに山門に向かい合うように三基の石塔が立っていた。

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左 正面中央が削れて文字は完全ではないが「弘法大師霊場」だろう。右脇 豊島八十八ヶ所第14番、左下に長徳寺。塔の側面に大正9(1920)の銘を刻む。左側面には檀徒中とあり、その下に世話人三名の名前が刻まれていた。

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上部の欠けた自然石の中央に「弘法大師霊所」左に 前野 長徳寺。裏に回れば造立年月日がありそうだが、庭に入り込むわけにもいかず詳細は不明。

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右 山型角柱の石塔の正面に「他力善根供養」初めて見る供養塔だがどういう意味があるのだろう?塔の左側面に文政6(1823)の銘。右側面には「四恩法界諸衆生 平等利益證妙果」と刻まれている。

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奥に進むと参道の左側、庭木の中に六基の石塔が並んでいた。

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左から 順礼供養塔 文政8(1825)角柱型の大きな石塔の上に坐像が乗っている。

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資料ではこれを地蔵菩薩像としているが、弘法大師坐像ではないだろうか。像の裏には昭和34年の銘があり、この像が後から作られたものだということがわかる。

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塔の正面「月山 湯殿山 羽黒山 秩父 西國 坂東 四國 八十八ヶ所供養」右側面「為先祖代々有無两縁精霊菩提也」

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左側面には造立年月日。続いて武州豊嶋郡前埜村 施主 個人名が刻まれていた。

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隣 弁才天坐像 文化2(1805)塔の正面上部に梵字「ソ」両脇に奉納とあり、中央に文字で「辨才天」その下に琵琶を持った弁才天の坐像が彫られている。

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塔の左側面には世話人四名の名前。右側面 造立年月日の下に願主として當村 鈴木氏、さらに長徳寺住大道代と刻まれていた。

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その奥に大日如来坐像 寛文11(1671)光背上部に大きく梵字を彫りその下に大日如来坐像。大日如来は智拳印を結び金剛界大日如来だが、梵字のほうは胎蔵界大日如来を表す「アーンク」のように見える。蓮台の下の台の正面に銘が刻まれているとのことだが、土埃がこびりついていて読むことはできなかった。

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光背右脇に「奉造立大日尊像」左脇に天下泰平 國土安全。その下には大日一起 妙梅院春光日栄。願主名だろうか。

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続いて丸彫りの地蔵菩薩立像 享保7(1722)一部にカビがあるくらいで比較的綺麗な状態を保っている。下の台には銘が見当たらない。

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裏に回ってみると像の背中に大きな字で造立年月日が刻まれていた。中央に「祈言典近事菩提位」近事とは三宝に近づいて仕える者の意で、五戒を受けた在家の信者のことだという。

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奥に合掌した丸彫りの地蔵菩薩立像。こちらは個人の墓塔だった。なぜここに並んでいるのか?有力な檀家なのかもしれない。

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一番奥に六十六部供養塔 正徳2(1712)正面に「奉納六十六部供養塔」下の台にはたくさんの窪み穴が穿たれている。塔の左側面に三界萬霊、右側面に造立年月日が刻まれていた。

 

志村第二小学校南の路地 板橋区大原町11

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中山道 志村警察署前交差点から西側の歩道を南に歩き、二本目の路地を右に入るとすぐ左手の電信柱の近くに庚申塔が立っていた。この道は狭くて一方通行になっているが、西のほうから中山道に出る抜け道らしく、車がひっきりなしに通り抜けてゆく。

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庚申塔 文久3(1863)塔の正面 日月雲の下「庚申塔」下の台の正面に三猿が彫られていた。

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右側面には大きく 富士大山 荒井薬師 道。江戸時代の道標はお参りのためにお寺や神社などに関するものが比較的多く見られるようだ。

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左側面 右脇に造立年月日。続いて武州豊嶋郡蓮沼村中と刻まれている。