中央区上峰

新大宮バイパス上峰交差点 中央区上峰1-18-19[地図]


新大宮バイパスの上峰交差点、南西の角の歩道の脇に石塔が集められている。右端の聖観音菩薩立像だけは新しいものだった。


一番手前 庚申塔 造立年不明。風化が著しく進み、塔の表面は一部を残して剥落部分が広く、舟形光背も左側を大きく欠いている。青面金剛像の中ではっきり残っている部分は右手の剣と、右胸あたり、あとは弓を持つ後ろの左手くらいであとは厳しい。


足元に邪鬼の跡が見えた。真ん中の丸い顔(のっぺらぼうだが)その下に両手を添え、後ろ足を折り曲げてうずくまる。その左右は跳ね上がった衣装のすそで、その衣装の雰囲気から考えると江戸時代後期、寛政期以降の作品ではないだろうか。


その後ろ 地蔵菩薩立像 寛政12(1800)舟形の光背は表面は白カビがあふれ浮き彫りされた像も風化が進む。光背右脇に西大山ミちとかろうじて見えるが、左脇の銘はほぼ読み取れなくなっていた。資料によると寛政12年の紀年銘が刻まれていたものらしい。


続いて 閻魔大王塔 文化14(1817)四角い台の上の駒型の石塔の正面に「閻魔大魔王」塔の右側面に造立年月日。左側面に上峯村 願主とあり個人名が刻まれていた。


一番奥 庚申塔 宝永8(1711)四角い台の上に大きな角柱型の石塔。さらに正面に青面金剛坐像を浮き彫りした駒型の石塔が乗る。総高150cmを超す立派な庚申塔。先日見た新中里5丁目の路傍の庚申塔 享保5(1720)とよく似ている。


駒型の石塔の上部 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。頭上に蛇をのせ三眼の青面金剛。矛・法輪・弓・矢を持ち合掌して座る。


角柱型の石塔の正面中央に「奉造立庚申尊像願主 敬白」右脇に武刕足立郡上峯村、左脇に造立年月日。塔の左側面に これより 江戸みち。


右側面にはこれより 加う志うみち 。道標になっている。


石塔の下の台の上には苔がびっしり。その正面には前を向き並んで座る大きな三猿が彫られていた。

円福寺 中央区上峰4-7-28[地図]


上峰交差点の北東の角からバイパスの東の側道を北へ向かい100mほど先を右折、しばらく東へ進むと円円福寺の山門の前にでる。


山門左脇 大乗妙典供養塔 文化3(1806)四角い台の上の角柱型の石塔の上に蓮台を逆さにしたような形の大きな笠を乗せ、さらにその上に蓮台に座る地蔵菩薩半跏坐像を安置。他では見たことがない珍しい構成。丸彫りの地蔵菩薩は火焔付きの輪光背を負っているが、錫杖・宝珠も含めて欠損なく美しい状態を保保つ。本当に文化3年に造立されたものだろうか?石塔の下の四角い台の正面に當所 遊馬市兵衛、江戸𠮷原 桔梗屋平□と刻まれていた。


石塔の正面中央に「奉納大乗妙典六十六部供養塔」右上に日月清明、左上に天下泰平。


塔の左側面、上部に四國八十八箇所 阿波國國分寺移、北明山 第十五番圎福蜜寺。下部に武州足立郡與野領上峯村 行者直入、続けて伊豫國和氣郡安成邑 同行圎心。


右側面上部に造立年月日。下部に爲先祖代々両縁 法界萬霊菩提也。左の縁に當寺現住覚因代と刻まれている。


山門をくぐり本堂の前で右へ曲がると、その先に釈迦堂が立っていた。


お堂の左脇に二基の石仏が並んでいる。


右 地蔵菩薩立像 寛文7(1667)舟形光背の上部に白カビが多く、地蔵菩薩像の顔周辺は真っ白で目鼻もわからない。光背右脇に「奉造立地蔵菩薩」左脇に造立年月日。右下に武刕足立郡新立郡、左下に上宗村と刻まれていた。


左 弁財天坐像 宝永5(1708)大きな角柱型の石塔の上に弁財天像を浮き彫りした舟形光背型石塔。桜区上大久保の路上で見た弁財天とよく似ている。


日月の下、頭上に人面をのせた八臂の弁財天坐像。前の手に剣と宝珠を持ち、後の手は右手が鍵・棒・二本の弓、左手が宝塔・法輪・弓を持つ。造立年も大久保と同じ宝永5年で、ひょっとすると同じ石工さん?少なくとも無関係ということはないだろう。


石塔の正面 梵字「ソ」の下「奉造立辯財天形福智圎満」右脇に造立年月日。左脇武州足立郡與野領上峯村。右下に施主敬白とあり、その下に十名ほどの名前が刻まれていた。


お堂の裏には、卵塔をはじめ僧の墓石や無縁仏が集められている。


お堂の南の面には江戸時代の歴代住職の墓石が並んでいた。


右から 板碑型墓石 明暦2(1656)中央を彫りくぼめた中に五輪塔を半浮き彫り。その上に梵字「アン」続いて爲悲母妙永菩提永弁造之。両脇に造立年月日。下部に蓮の花が彫られている。


その隣 住職墓石 天明5(1785)半浮き彫りにした五輪塔の上に梵字を刻み、その下に法流開祖法印覺印。両脇に紀年銘。


続いて板碑型墓石 明暦2(1656)右端の墓石とほぼ同じ内容で一対になっている。梵字「バン」の下に爲慈父永等菩提永弁造之。永弁=住職がご両親の供養塔をたてたということだろうか。


卵塔など六基おいて聖観音菩薩立像 寛文9(1669)舟形光背上部が大きく欠ける。光背右脇「奉造立正観音爲一身菩提也。続いて武州足立郡上峯村□□円福寺□房。左脇に権大僧都法印永弁自造。さらに造立年月日が刻まれていた。