大宮区 吉敷町・浅間町・宮町

さいたま新都心駅東口中山道歩道 大宮区吉敷町4-247-1[地図]


さいたま新都心駅東口を出てすぐの大きな信号交差点を渡り、中山道の東側の広い歩道を南に歩くと、コンビニの前の歩道の半分の通行を妨げるように小堂が立っていた。


小堂の中には二基の石塔が並んでいる。小堂の奥、上のほうに解説板が掲げられていた。


右 地蔵菩薩立像 寛政12(1800)風化のためか、損傷が著しい。解説板によると「お女郎地蔵」


両手で宝珠を腹前に持つお地蔵様。顔はつぶれていてのっぺらぼう。光背上部に梵字「カ」左脇に造立年月日。右脇にも銘が見えるがこちらは読めなかった。


左 不動明王塔 天保6(1835)解説板によるとこちらは「火の玉不動尊」


角柱型の石塔の正面上部に不動明王坐像を浮き彫り。風化が進み不動明王の顔はやはりのっぺらぼうだが、右手に剣、左手に羂索を持っているようだ。燃えさかる火焔の光背は健在。


塔の右側面に造立年月日。


左側面は一部剥落、銘はかすかに施主の「施」だけが残っていた。

塩地蔵尊 大宮区吉敷町1-92-3[地図]


中山道の吉敷町交差点から100mほど北、道路右の路地に入り東に進むと小堂が二つ並んでいた。


脇に「塩地蔵尊」の解説板が立っていた。


奥の小堂の中 地蔵菩薩立像 造立年不明。こちらが「塩地蔵尊」らしい。小堂の前面はアクリル板が貼られていて中の様子を直接見ることができない、丸彫りのお地蔵様は右手に鉄製の棒、左手に宝珠を持つ。像の様子から見て、それほど古いものではないような気がする。


手前の小堂の中 三基の地蔵菩薩塔が並んでいた。像のサイズや顔立ち、蓮台などよく揃っていて、はじめから三体まとめて造立されたものと思われるが、こちらもアクリル板のために、銘は確認できなかった。

庚申神社 
大宮区浅間町2-6[地図]


大宮区役所の北を通る道を東へ進み、氷川神社の参道を越えた次の交差点の角に朱塗りの鳥居が立っていた。


鳥居の先の小堂の中 庚申塔 宝暦10(1760)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。日月は塔の上部わずかにはみ出している。


青面金剛の髪の中に見えるのは蛇の頭だろうか?ショケラは足を折り曲げ青面金剛のもものあたりにすがりつく。光背両脇に造立年月日。足の両脇に立派な二鶏。


足元に四角い顔の大きな邪鬼がうずくまる。その下に三猿。両脇の見猿・言わ猿は中央の聞か猿よりやや小さく、内向きに足を投げ出すように座っていた。


塔の右側面中央に武刕足立郡大宮宿下町講中。下部右に南方 北袋道、左脇に西方 大宮宿。


左側面下部右に北方 社中へ道、左に東 天沼道。両側面合わせて四方向四地名が刻まれた道標になっている。

東光寺
 大宮区宮町3-6[地図]


中山道を北上して大宮駅の東口を過ぎ、大栄橋交差点を右折、次の宮前二丁目交差点を左折すると道路左側に東光寺の入口があった。入口から参道の正面奥を見ると立派な本堂があり、その左手前に地蔵菩薩塔が見えるが新しいもののようで、紀年銘もない。参道右側、植え込みの向こうに会館が立っている。


会館の入口に庚申塔 延宝8(1680)江戸時代初期独特な板碑型庚申塔である。


中央に造立年月日。挟むように上に日天と月天、中に雄鶏と牝鶏、下に正面向きの三猿というシンメトリックな構図。


三猿の下の部分に、施主だろうか、十名の名前が刻まれていた。