桜区道場

 

新開通り五差路 桜区道場3-3[地図]


新開通りを北へ進むと県道57号線に突き当たる。そのT字路交差点の400mほど手前、五差路の道路脇に小堂が立っていた。


小堂の中 庚申塔 元禄5(1692)大きな四角い台の上、唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


像の表面は風化のために圭角がとれてやや丸みを帯びている。三角に髪を結い上げ、目を吊り上げた青面金剛。持物は矛・法輪・弓・矢。


足元に頭部が左の全身型邪鬼が足を折り曲げうずくまる。その下の正面向きの三猿。両脇の縁の部分に施主 道場村と刻まれていた。


造立年月日は塔の両側面の上部に、右側面下部には6名の名前が刻まれている。


左側面下部に5名の名前。左右合わせて施主11名ということだろう。


小堂の左脇に馬頭観音塔が並んでいた。右端は銘の跡も見当たらず自然石と思われる。


まずは馬頭観音坐像。塔の上部が欠けている。舟形光背?に六臂の馬頭観音像。持物は上の手は不明、右下手は斧、左下手は棒だろうか?本来の台もなく紀年銘などは確認できなかった。


その隣 馬頭観音塔 文政5(1822)駒型?の石塔の正面「馬頭觀世音」両脇に造立年月日。他に銘は確認できない。


左端 馬頭観音塔 明治17(1884)駒型の石塔の正面「馬頭觀世音」両脇に造立年月日。左側面に施主 當村とあるが、その後は剥落、続きの銘は読めなかった。

 

金剛寺 桜区道場3-15-3[地図]


新開通りと県道57号線のT字路交差点の100mほど南、押しボタン信号交差点から細い路地に入り西に進むと、すぐ右手に天満宮があり、広い駐車場の奥に金剛寺の山門が立っていた。朝早く訪ねると山門はいつも閉まっているが、その左側に狭い出入口があって、墓地のほうに入ることができる。


墓地の入口には二基の地蔵菩薩塔が並んでいた。奥に小堂が立っている。


左 地蔵菩薩立像 宝永2(1705)舟形光背は一部欠損。像は白カビがこびりついていいる。光背右脇「爲忠心道恕頓證也」文字は読めるのだが意味は分からない。その下の宝永2年の紀年銘は最後が十二月十九日となっていて命日?左脇には「□忠性真恕菩提也」足元の部分に道場村 個人の名前がきざまれている。墓石だろうか?



右 雨除けの下 正徳4(1714)丸彫りだが欠損なく美しい。敷茄子の下の台は正面に銘が見当たらず、本来のものではないかと思ったのだが・・・


銘は裏面に刻まれていた。右から「奉造立寒念佛円滿?供養所」中央に造立年月日。左に道場村願主とあり一名の名前。寒念仏供養塔、講中仏である。


その奥の小堂の中 六地蔵菩薩。六体の丸彫りの立像は全体によくそろっていていかにも六地蔵らしい。


台の銘は左から2番目に三つの童子童女戒名。それぞれ命日は明和2(1765)宝暦11(1761)宝暦7(1757)他に銘は確認できなかった。


六地蔵の小堂の先に弘法大師遠忌塔 天保5(1834)四角い台の上 角柱型の石塔の正面、梵字「ア」の下に「弘法大師一千年忌塔」


塔の右側面に造立年月日。左側面には四國八十八箇所之内 第三十番土佐國一之宮寫。四国移霊場標石でもある。

続いて観音菩薩供養塔 天保6(1835)角柱型の石塔の正面、梵字「サ」の下に「観音供養塔」右脇に秩父三十四箇所とあり、秩父の観音霊場参拝成就を記念しての造塔だろう。塔の右側面に造立年月日が刻まれていた。



さらにその先、美地の入口の両脇に屋根型の笠を持つ二基の宝篋印塔が並んでいる。左 宝篋印塔 安永8(1779)笠の上の相輪の先が欠けていた。


右 宝篋印塔 享保15(1730)こちらは完形で相輪の先の宝珠も健在。


二つの宝篋印塔の間から墓地に入ってまっすぐ進むと、西の突き当りに阿弥陀堂が立っていた。両脇に舟形光背型の二基の石仏が並んでいる。


左 庚申塔 寛文9(1669)地蔵菩薩を主尊とする江戸時代初期独特の庚申塔。


大きな舟形光背に厚く浮き彫りされた地蔵菩薩立像。白カビなどもなく静かな表情でたたずむバランスの良い立ち姿は限りなく美しい。光背右脇「奉造立庚申結衆」左脇に造立年月日。その下に與野領道場村。


足元の部分に十名ほどの名前が刻まれている。その下の台の正面に三猿が彫られていた。


右 如意輪観音坐像 延宝4(1677)鋭角的な大型の舟形光背の上部に梵字「サ」その下に二臂の如意輪観音像を浮き彫り。町谷の薬師堂、栄和の重円寺の如意輪観音塔とほぼ同時期に造立されたもので、薬師堂のふくよかな女性的な観音像と較べるとこちらは峻厳な表現。きりりとしていてやはり美しい。光背右脇「一邑惣信女□四人爲光明真言□供養尊」光明真言供養塔のようだ。左脇に造立年月日。その下に武刕足立郡道場村 願主とあり一名の名前が刻まれていた。

 

金剛寺西T字路角 桜区道場3-16[地図]


金剛寺の入口から西へ進むとすぐ先のT字路の角、スーパーの裏の一角に石塔が並んでいる。右の三基は墓石で、左の二基は馬頭観音塔だった。


右 馬頭観音塔 明治4(1871)駒型の石塔の正面「馬頭観世音」右側面に造立年月日。左側面に願主は個人名。


左 馬頭観音塔 明治38(1905)駒型の石塔、右と全く同じ構成で銘が刻まれている。

桜区役所東県道57号線路傍 桜区道場2-16[地図]


県道57号線は新大宮バイパスの町谷交差点からまっすぐ西に向かい、桜区役所の東のあたりで右にカーブする。カーブして60mほど進むと道路右側に小堂が立っていた。


小堂の中 庚申塔 宝暦2(1752)笠付き角柱型の石塔の正面を大きく彫りくぼめた中 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。


白カビも多く風化も進み像の様子はいまひとつはっきりしない。三つに分けて結い上げた髪型、個性的な容貌の青面金剛。


足元に二匹の邪鬼。足を広げて座り片手を腰のあたりに、残った手でそれぞれ青面金剛の足を支える姿もユニークだ。その下には両脇の猿が内を向く構図の三猿が彫られている。


笠の正面には天女が浮き彫りされていた。これも相当珍しく、その後、蓮田の黒浜小学校近くの路傍の庚申塔で見かけたくらいだ。(2019.01.08の記事)


塔の右側面に造立年月日。左側面に武刕足立郡 與野領道場村 講中廿一人と刻まれていた。


小堂の脇に馬頭観音塔 昭和13(1938)四角い台の上、隅丸角柱型の石塔の正面に「馬頭觀世音」馬の供養塔で、塔の右脇に命日が刻まれている。


左側面に造立年月日。願主は個人名が刻まれていた。