久伊豆神社 岩槻区箕輪142の北



箕輪公民館の広い道路を隔てた向かい側、細い道を入った先の左手に久伊豆神社があった。



境内の右奥の小堂の中に二基の庚申塔が祀られている。



左 庚申塔 正徳2(1712)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。青面金剛は顔と股間が黒く塗られていた。



発達した瑞雲。頭上には蛇が頭をもたげ、合掌した青面金剛は左手にショケラを高々と掲げ持っている。光背右に「奉供養庚申二世安樂所」左脇には造立年月日が刻まれていた。



青面金剛の足下。正面向きで両腕を横に張った邪鬼の頭。その下にこれも正面向きの三猿。三猿の横に二鶏。さらに三猿の下、中央に法輪と卍を彫り、右に箕輪村、左に施主廿一人と刻まれていた。



右 庚申塔 寛政10(1798)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。こちらの青面金剛は顔を潰されている。



たなびく瑞雲の上に日月。青面金剛の髪型は、ときどき見かける三角型で左に折れた形。大きめなショケラが必死で青面金剛の腰にしがみついていた。細かい衣装の紋様、波のように跳ね上がった裾、江戸時代中期以降の青面金剛像でよく見られる特徴を持つ。



足下の邪鬼は獅子顔で頭を右向きにしてうずくまる。青面金剛は左足で邪鬼の頭を、右足で尻を踏んでいるが、その右足が今にも切れてしまいそうな感じに細くねじれている。二鶏は青面金剛の衣服の波打つすその上にちょこんと止まっていた。さらにその下の岩槻らしいユーモラスな三猿。左の聞か猿は右手で片耳をふさぎ左手には扇子を広げている。これでは左耳は聴こえているだろう。中央の見猿は右手で目をふさぎながらも左手で踏ん張って岩穴から這い出そうとしている。右の言わ猿は足を組んで座るなんともリラックスしたポーズを取っていた。



塔の右側面に造立年月日。左側面には箕輪村講中と刻まれている。この角度から見ると、青面金剛の衣装の紋様など彫りは細かく、踏み敷かれた邪鬼の様子は尻のほうから見ることになり、これも妙に生々しい。

城北中学校南スーパー裏 岩槻区本宿421南東



箕輪地区から広い道を慈恩寺方面に10分ほど歩くと、右手に大きなスーパーがある。その先の角を右に曲がると右手の歩道の脇、ブロック塀に囲まれて石塔が並んでいた。右の二基が庚申塔。



右 庚申塔 正徳4(1714)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。駒形の石塔の前面は白カビにおおいつくされている。青面金剛はターバンを巻いたような三角の髪型。塔の上の部分には銘は見当たらない。



青面金剛の足の両脇に二鶏を線刻。足下には小さなサイズの邪鬼が頭を左にして踏みつけにされているが、風化のために顔などの様子はわからない。その下に正面向きの三猿。銘はこの部分に集中していた。右脇「奉講庚申供養塔」左脇に造立年月日。三猿の下の部分、中央に本宿とあり、その両脇に六名の名前が見える。



左 庚申塔 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。さらに白カビがひどく、光背の左を欠く。この部分には「歳」一文字以外に文字が確認できず、造立年ははっきりしない。風化が進み青面金剛の顔は潰されていた。頭上に蛇。光背右かすかに「為庚申供養現世安全也」と読める。



下部も白カビがひどい。正面向きの邪鬼は両腕を折りたたんで横にしてその上に顔を乗せる。その下に正面向きの三猿。三猿の両脇に二鶏。さらにその下の部分、いくつか名前が刻まれているようだが、読み取ることはできなかった。

龍門寺 岩槻区日の出町9




岩槻駅の東、県道2号線の渋江交差点から御成街道を北へ向かい、東武線の線路の下をくぐってさらにその先500m、左側に龍門寺の入り口がある。



古い山門を入って左側、墓地の入口近く、石塀の前に庚申塔が立っていた。唐破風笠付角柱型。台まで含めると2mほどの高さになる。



庚申塔 元禄12(1699)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。蛇を頭にいただき、合掌した青面金剛は後ろの上左手にショケラを吊るす「岩槻型」



邪鬼、三猿とも正面向きで、これもよく見る形。三猿の両脇は二鶏だろう。邪鬼の顔付きが青面金剛とよく似ている。



塔の右側面に造立年月日。左側面には「奉供養庚申現當二世祈所」続いて施主敬白と刻まれていた。