南区別所 

真福寺 南区別所2-5-14[地図]


国道17号線の別所坂下交差点から北へ進み、100mほど先を左折すると、道路右側に真福寺の入口があった。


山門手前、左側の奥に宝篋印塔 文久元年(1861)大きな基壇の上に立っている。


境内に入ると左手の植え込みの中に石灯篭や石仏が立っていた。境内は手入れが行き届いていて気持ちがよい。


中央付近、馬頭観音立像元文元年(1736)小さな舟形光背に八臂の馬頭観音像を浮き彫り。持物は風化のためにはっきりしないが、棒・法輪、斧・矢?、与願印・数珠?か。頭上に大きな馬頭。静かな表情は慈悲相だろう。光背右脇に造立年月日。左に梵字で「アビラウンケン」


胸前の手の形は馬頭観音特有の馬口印ではなく智拳印のように見える。もしそうなら寶性寺の住職墓地で見た馬頭観音に続いて二例目だが、他に智拳印の馬頭観音というのはあるのだろうか?興味深い。


本堂の左手前あたり、大きな丸彫りの地蔵菩薩立像 享保14(1729)志木、新座、清瀬を回っているときに気が付いたのだが、この手の大型丸彫り重制の地蔵菩薩塔は享保年間に圧倒的に多い。尊顔も美しく錫杖も健在だが宝珠は左手ともども欠けていた。


石塔正面中央「地蔵講中」両脇に造立年月日。


塔の左側面中央「別所村中」まわりに八つの戒名。右側面にも22の戒名が刻まれている。


本堂の目の前 六地蔵石灯籠 承応元年(1652)さいたま市内でも最も古い六地蔵塔のひとつ。ただし火袋と笠は破損したものを修復したのだろう、石の色が違っていた。


正面の地蔵像の下の部分に造立年月日。下部に施主6名の名前。地蔵像はクリアではないが素朴で味わい深い。


六体の地蔵菩薩像のうち、裏面と右隣の二体はあきらかに石の色が違っていて、新しく補修されたものと思われる。


道路の北側に山門がたっていて、南側には墓地がひろがっていた。正面の大きな木は市指定天然記念物「さかさ銀杏」以前来た時には銀杏の木の右のほうに六地蔵と板碑があり、銀杏の木の周りには数基の石仏が並んでいた。その後、墓地内は整備され配置が大きく変わっている。


銀杏の木のすぐ近くに六地蔵の小堂が西向きに立っていた。


六地蔵塔。右から三番目の石塔に六辻村字別所真福寺柤中、4番目の石塔に大正四年再建と刻まれている。その他に銘は見当たらず創建年月日など詳細は不明。


以前は六地蔵塔の横にあった板碑は墓地の奥のほうに移動されていて、その小堂の脇に解説板が立っていた。


小堂の中 阿弥陀三尊種子板碑 正和3(1315)高さ170cm。堂の中、風雨から守られて板碑は美しい状態を保っている。

別所小学校西路傍 南区別所2-9[地図]


真福寺の前の道を西に向かうと一方通行の道に突き当たる。ここを右折して坂道を登ってゆくと、右手の住宅の隅、雨除けの下に石塔が立っていた。


庚申塔 正徳3(1713)四角い台の上の角柱型の石塔に台座を乗せて、その上に駒型の石塔。正面に青面金剛立像を浮き彫り。総高は2m近くなる。


日月雲 青面金剛立像 合掌型八臂。頭上に蛇を乗せドクロの首輪をした三眼の青面金剛。持物は矛・法輪・弓・矢、中ほどに断裂跡があり、最後の手の持物は不明。風化がありはっきりしないが、足元には邪鬼?二鶏・三猿は見当たらない。


角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、梵字「ウーン」の下に三行の銘文。青面金剛のご利益を説いたもののようだ。塔の右側面に造立年月日。左側面には別所村講中尼女十八人と刻まれていた。女人講中だろう。