桜区神田

 

永福寺 桜区神田726[地図]


神田小学校の南を東西に走るバス通り、小学校から400mほど東、道路左側に永福寺の入口があった。


境内に入ってすぐ左手、草木が生いしげる中に石塔が並んでいる。


小堂の中 不動明王坐像。銘が見当たらず造立年など詳細は不明。右手に剣、左手に羂索を持つ。光背に火焔が彫られていた。


その隣 地蔵菩薩立像 元禄14(1701)舟形光背にバランスよく地蔵菩薩像を浮き彫り。像に欠損はないが、全体に白カビが多い。


穏やかな尊顔。その右脇に「念仏講供養」左脇に造立年月日。念仏供養塔である。


光背右下に神田村 願主 浄善と刻まれていた。


続いて 百ヶ所観音霊場供養塔 享保12(1727)笠付き角柱型石塔の正面、上部に聖観音菩薩立像を浮き彫り。その下に「百ヶ所順礼成就所」


塔の右側面 上部に西國 秩父 坂東。その下に造立年月日。


左側面に武刕足立郡 植田谷領 神田村とあり、下部に六名の名前が刻まれていた。


左端 庚申塔  享保16(1731)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


蛇冠・三眼の青面金剛。持物は旗付きの矛・法輪・鏑矢・弓。


青面金剛の足の下、足を折り曲げうずくまる邪鬼は、肩をいからせ怖い顔。邪鬼の両脇に二鶏を線刻。邪鬼の下に三猿。左右の猿が内を向くが、右の聞か猿は右足を立てて座っている。


塔の右側面「奉造立庚申尊像 講中供養」


左側面に造立年月日。その下に神田村とあり、こちらは七名の名前が刻まれていた。


永福寺の入口からバス通りを越えた先、すぐ右手の角地に墓地が広がっている。永福寺の境外墓地だろう。


入口左の小堂の中 六地蔵菩薩塔 明和5(1768)舟形光背を持つ六体の地蔵像はサイズもほぼそろっていて一体感がある。


右から2番目の光背右脇「念佛講中」左脇に造立年月日。右端の地蔵像の頭部は大きく破損していた。


入口右手 丸彫りの地蔵菩薩立像 元文6(1741)四角い台に石塔を乗せ、厚い敷茄子と蓮台、像を含めて総高2mを超す堂々たる地蔵菩薩塔。

丸彫りだが錫杖、宝珠ともきれいに残っていて首に補修跡もない。この日は白いマスクと帽子をかぶっていた。マスクからのぞくまなざしは優しい。


角柱型の石塔の正面に延命地蔵菩薩経の偈文。左側面に「奉造立善男善女人 講中供養敬白」



右側面に造立年月日が刻まれていた。