蒲生 日光街道西地域の石仏

 

七左一の橋 越谷市蒲生茜町40


大間野の光福寺から県道324号線を東に進み、出羽堀の橋を渡ると蒲生西町になる。出羽堀沿いに北へ500mほど、一の橋の東の交差点の角に小堂があった。写真右が一の橋、正面は県道324号線方面、写真左に進むと東武線の蒲生駅の北に出る。


小堂の中 庚申塔 寛政2(1790)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。青面金剛の顔の左半分は風化によるものなのか、削られたものなのか、いずれにしても大きく破損している。足元に大きな邪鬼がうずくまり両脇には二鶏を半浮彫。下部に三猿だが、右の猿は様子がはっきりしない。堂内が狭く写真は撮れなかったが、塔の右側面に造立年月日が刻まれていた。

西浦橋たもと 越谷市蒲生西町2-18向


県道324号線と出羽堀の交差点から堀沿いに南へ300mほど、出羽堀に架かる西浦橋の東側、植え込みの中に石塔が並んでいる。


右から三基はほとんど銘が残っていない不明塔。わずかに大正の紀年銘だけが見えた。


左端 馬頭観音塔 安政6(1859)駒型の石塔の正面「馬頭觀世音」下部に當所とあり、その下に数名の名前が刻まれている。


塔の左側面は無銘。右側面に造立年月日が刻まれていた。


その隣 馬頭観音立像 宝暦9(1759)駒型の石塔の正面 頭上に馬頭をいただいた三面の馬頭観音立像を浮き彫り。


塔の左側面に造立年月日。右側面に施主とあり八条領蒲生村。左側の顔を見ると慈悲相のように見える。

蒲生西町久伊豆神社 蒲生西町1-6


西浦橋から今は暗渠になっている出羽堀沿いに東に向かう道は岩槻道の古道で、やがて東武線のガードをくぐって綾瀬川の左岸に出る。ガードの先、道路左手に久伊豆神社があった。


参道の左脇、二つの力石に続き三基の石塔が並んでいる。


左 山王権現塔 文政7(1824)石祠の正面「山王大権現」右側面に造立年月日が刻まれていた。


中央 庚申塔 慶応2(1866)駒型の石塔の正面 日月雲「庚申塔」塔の右側面に造立年月日。左側面に願主とあり個人名が刻まれている。


右端 庚申塔 宝永3(1706)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


頭上に蛇を載せ青面金剛は口をへの字にしてたたずむ。両脇、白カビの中に造立年月日。


足の両脇に薄く二鶏を彫る。足元には口をへの字にした正面向きの邪鬼。大きな頭と両腕がアンバランスで面白い。その下に大きなサイズの三猿。三猿の下の部分、その一部は欠けているが8人ほどの名前が刻まれているようだ。

 

村社久伊豆神社 越谷市蒲生1-10


前回見た東武線線路わきの久伊豆神社から岩槻道の古道を南東に進むと、やがて綾瀬川の左岸に出る。道路左手に村社久伊豆神社があった。長い参道の途中、「村社」と刻まれた幟立ての石柱の手前に庚申塔が立っている。


庚申塔 元禄13(1700)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・羂索持ち六臂。長い年月の末、像の表面は摩耗していてはっきりしない。元禄期の青面金剛は左手にショケラのかわりに羂索を持っていた。


足元に邪鬼と三猿。白カビも目立つ。


塔の右側面 上部中央に「奉待庚申」続いて造立年月日。さらに結衆とあり、8名の名前が刻まれている。


左側面上部には「再興」とあり、明和4(1767)の紀年銘。この石塔自体は明和4年に再建されたもののようだ。下部に願主 蒲生村西之とあり一名の名前が刻まれていた。

綾瀬橋西路傍 越谷市蒲生1-8


久伊豆神社から綾瀬川沿いに進むと県道49号線の綾瀬橋のたもとに出る。その少し手前、道路左側の遊歩道の脇に石塔が立っていた。


道標 元治2(1865)駒型の石塔の正面 紋章の下に「成田山」その下に槐新田江 一里。槐戸村は現在の草加市八幡あたりだが石塔の位置からは東へ1Kmほどで一里にはならない。新田だから槐戸村の人たちが開いた新田だろう。一里=4Km東には中川が流れている。このあたりのことだろうか?


塔の右側面 越ケ谷江 一里。下部には江戸 世話人とあり、5名の名前。


左側面 上部に造立年月日。中央に草加江 一里。その下には同とありこちらにも5名の名前が刻まれていた。

 

地蔵院涅槃堂 越谷市蒲生西町1-6


前々回見た蒲生西町、東武線脇の久伊豆神社の入口から北東に100mほど行くと道路左側に涅槃堂の墓地があった。正面左側に小堂が立っていてその中に二基の石塔が並んでいる。


右の板碑型の石塔、山型の一部を欠き、銘も薄くなっている。


中央に「□為□□禅定尼菩提」か?右脇に寛文十二(1672)と読める。江戸時代初期の墓石の一般的に見られる形と言えるだろう。


左 如意輪観音坐像 延宝4(1676)舟形の光背、梵字「ア」の下に二臂の如意輪観音坐像を浮き彫り。光背左脇に造立年月日。右脇にこちらも禅定尼の文字が見える。この二基の石塔は造立年も近く、同じ小堂の中に並んでいるところから考えると地蔵院の有力な檀家さんのものかもしれない。

地蔵院 越谷市蒲生1-15


県道49号線の蒲生本町交差点から南へ100mほど、道路の西側に地蔵院の山門があった。境内に入ると参道右側が広い駐車スペースになっていて、その隅に小堂が立っている。


地蔵菩薩坐像 享和2(1802)解説板に「北向き地蔵」=喜多向き地蔵と書かれていた。錫杖と宝珠を手に持ち左足をたてて座る。


台座は大きな四角い台石の上に大きな反花、さらに筒状の台、敷茄子、蓮台とかなり豪華。筒状の台の正面に「天下泰平 國土安全」左脇に造立年月日。下の台にも銘があるらしいが確認はできなかった。


山門に入ってすぐ、参道左側に六角堂が立っている。


堂の中には六地蔵菩薩立像 元文2(1737)六体の地蔵菩薩立像がそれぞれの向きに立っていた。


六基すべての台に銘が刻まれている。正面の地蔵像の台には「奉造立六地蔵為二世安樂也」右隣の台に武州崎玉郡八条領蒲生村。その右隣の台に造立年月日。またそれぞれの台には施主、願主などの名前が刻まれていた。