岩槻区笹久保新田

浅間神社 岩槻区笹久保新田1062


笹久保の地蔵院の北の信号交差点から西へ向かい道なりに1kmほど行くと、東北道を陸橋で越えてその先は横根の南の端あたりに至る。陸橋の手前を左折してすぐ右に入ると右側に宝蔵寺と浅間神社があった。東北道近く、浅間神社の朱色の鳥居の脇に石塔が立っている。


猿田彦大神塔 嘉永2(1849)大きな二段の台の上、角柱型の石塔の正面 日月雲の下に「猿田彦大神」と刻む。


上の台の正面に岩槻独特の片手使いの三猿。猿田彦大伸と庚申信仰の習合といえるだろう。その下の大きな台の正面には願主一名、さらに世話人とあり続けて10名の名前が刻まれていた。

宝蔵寺 岩槻区笹久保新田1069隣


浅間神社のすぐ東隣、工務店の二階建てのプレハブの脇に、六地蔵。向かい合ってさらに数基の石塔が並んでいる。殺風景なシチュエーションだが、ここが宝蔵寺の入り口だった。


六地蔵塔 文化3(1806)舟形光背にそれぞれ地蔵菩薩立像。六体はサイズなどはそろっているが風化が著しい。台の正面、惣村中とあり、さらに紀年銘が刻まれる。


六基とも白カビに覆われ、またあるものは前面が大きく剥落、なかには頭部がひどく破損した像も見られる。


入り口の反対側に台付きの四基の石塔。右のほうには首から上が欠けた丸彫りの石地蔵もいくつか立っていた。


左から 大日如来坐像 昭和62(1987)上部に金剛界大日如来の坐像。その下に「大日如来」両脇に造立年月日。台の正面に世話人六名の名前が刻まれている。


その隣 如意輪観音坐像 文化元年(1804)上部に二臂の如意輪観音坐像を浮き彫り。その下に「觀音供養」両脇に造立年月日。


下の台の正面、右上に世話人二名。続いて「おとよ」「おはつ」「おいく」など女性と思われる名前が十数個、さらに側面にも同様な銘が見られ、女人講中による建立と思われる。


続いて祖師供養塔 天保5(1834)塔の正面「弘法大師一千年 興教大師七百年供養塔」真言宗開祖 弘法大師空海とその中興の祖 興教大師覚鑁の遠忌供養塔。


塔の右側面 中央に五文字の梵字。両脇に天下泰平・國土安全、五穀成就萬民豊楽。


左側面中央にも五文字の梵字。周りの銘は院内安穏・興隆佛法、乃至法界・平等利益。裏面には造立年月日が刻まれていた。

東北道脇共同墓地  岩槻区笹久保新田1011北


浅間神社の北の陸橋を渡って東北道の西に移り、東北道の側道を少し南に歩くと角の所に共同墓地がある。東北道ができる前は写真の方向に歩くとすぐ浅間神社にゆくことができただろう。


入口から入ってすぐ右側に六地蔵塔 明和8(1771)唐破風笠付の角柱型の石塔の正面、二列に六体の地蔵菩薩立像を浮き彫り。右下の地蔵像の頭部に破損が見られるが、全体には笠付のためだろうか比較的きれいな状態を保っている。塔の右側面に造立年月日。左側面に願主一名。資料によると台の正面に「笹久保新田村講中」と刻まれているらしいが、大きな花入れ付きの線香立てのために確認はできなかった。

 

県道214号線交差点路傍 岩槻区笹久保新田770向かい


県道214号線、浦和東高校近くの陸橋で東北道を東に越え下り坂を降りきったあたり、二つ目の信号交差点の南東の角の所に石塔が立っていた。電信柱の脇にモノリスのような石塔がポツンと立っているのだが、いつ通りかかっても前に置かれたお盆には新しいお供え物が乗っていて、日ごろから大事にお世話をされている人がいるらしい。


百カ所供養塔 文化14(1817)白カビがこびりつき、風化も進んでいる。百カ所供養塔は百番供養塔などともいわれ、全国百カ所の観音霊場を順礼した記念に建立されるもので、この石塔の上部に浮き彫りされているのは聖観音菩薩坐像と思われる。中央には「奉納秩父西國坂東百カ所供養塔」両脇に造立年月日が刻まれていた。


さらに右脇には東 左 のじまぢぞうへ一り、右 かきあげしんめいへ一り、こしがや 二り、左脇に西 なんぶミちとあり道標にもなっている。左下には笹久保新田村として一名、続いて願主として一名の名前が刻まれていた。

笹久保新田地蔵堂 岩槻区笹久保新田366西


上の石塔が立つ県道214号線の信号交差点から南に入ってゆく道は、綾瀬川の左岸沿いに美園駅方面に向かう。300mほど進むと道路左手に笹久保新田集会所があり、左脇にお堂が立っていた。


お堂の中には四基の石塔が並んでいる。左から庚申塔 宝暦8(1758)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。比較的彫りは薄いが、塔全体に風化の様子は見られない。


お堂の右の入り口の鍵が開いていたので近くで写真を撮ることができた。足の両脇に二鶏。足下の邪鬼は頭を左側にして正面を向き腕をM字型に張る。邪鬼の下に三猿。両脇の二猿が内を向く形。


隣の塔との間の隙間は狭い。右側面 梵字「ウン」の下に「奉供養庚申」脇に造立年月日。


左側面には念佛講中十七人と刻まれていた。


その隣 地蔵菩薩立像 貞享4(1687)舟形の光背に地蔵菩薩立像を浮き彫り。塔の下部はお供え物を置く台のために全く見ることができない。


顔の中央の一部が潰れているためだろうかお地蔵さまは気難しそうな表情。彫りはかなり薄くなっていて銘を読み取るには大変苦労する。上部に梵字「カ」光背右脇「奉造立地蔵菩薩一躯為二世安樂也」左脇に造立年月日。下部両脇にいくつか文字が見えるが造立に関わった人々の名前だろうか?


続いて地蔵菩薩立像 宝暦6(1756)舟形の光背に真ん丸なお顔の地蔵菩薩立像。光背右脇「一切聖霊菩提」左脇に造立年月日。足下には施主とあり、個人の名前が刻まれていた。


右端、薬師如来立像 文政元年(1818)小さな像だが穏やかで優し気な美しい表情が印象的。塔の右側面に造立年月日が刻まれている。