岩槻区釣上新田

保寿院 岩槻区釣上新田1285隣


 国道463号線バイパスの釣上交差点から県道214号線を南に500mほど進むと、右側の歩道のところに笠付角柱型の立派な庚申塔が立っている。その脇の道を右に入ってゆくと右手に保寿院の入り口があった。境内の正面には本堂があったのだろうが、今は自治会館集会所になっていて、その西側に古い墓地がひろがっている。入口をはいってすぐ、左側の一角に七基の石塔が集められていた。写真右側、墓地の入口あたりにも石仏が並んでいる。


七基の石塔の左端 庚申塔 慶応元年(1865)。駒形の石塔の正面に大きく「庚申」昭和59年発行の資料にはなぜかこの庚申塔は記載がない。その後移動されてきたものだろうか?


塔の右側面に寛延3年(1750)の紀年銘が見える。左側面には慶応元年の紀年銘の下に再建。この庚申塔は慶応元年に再建されたものということだろう。奥に當所 願主敬白と刻まれていた。


2番目 庚申塔 弘化4(1847)塔の正面日月雲の下に「庚申塔」左側面に造立年月日。右側面に釣上新田村と刻まれている。


3番目 庚申塔 文化6(1809)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。石塔全体を白カビが覆いつくす。今は墓地の中に安置されているが、長い間ムラの路傍にあって人びとの暮らしを見続けていたのかもしれない。


青面金剛は二匹の邪鬼の頭を踏む。三猿は下の台の正面。カビが多くはっきりしないが二鶏は見当たらなかった。


塔の右側面に造立年月日。左側面には釣上新田村講中。下の台の左側面に数名の名前が刻まれている。


4番目 宝篋印塔 享保14(1729)大きな笠を持った塔の正面中央「奉造立寶篋印塔」両脇に造立年月日。この部分が基礎部で塔身部が欠けたものと思われる。


基礎部の三面に「寶篋印陀羅尼経曰」で始まる長い願文。その下の基壇の右側面にいくつか名前らしきものが刻まれ、左側面には釣上新田村と見える。空間が狭く確認できないがその奥にも銘があるのかもしれない。


5番目 庚申塔 延宝4(1676)板碑型で下部に大きな三猿が彫られていた。全体に白カビが多い。


彫りは薄くなっていて読み取るのはほねが折れる。上部に阿弥陀三尊種子。中央「奉為庚申諸願成就二世安樂之塔也」両脇に造立年月日。下部に同行拾一人と刻まれている。


続く二基。左の如意輪観音坐像は個人のもの。右の首の欠けた丸彫りの地蔵菩薩立像は銘が見当たらず詳細不明。いずれも状態は良くない。


墓地のほうにも古い石仏が並んでいた。左 地蔵菩薩立像 延宝2(1674)錫杖宝珠とも欠けていないのは石が良いためだろうか。きれいな舟形光背に穏やかな表情のやや面長の地蔵菩薩。右脇「奉為供養念佛結衆二世安樂故也敬白」その下に同行十八人。光背左脇に造立年月日。続いて願主は個人名が刻まれている。


線香立ての陰になっていて見にくいが、下の台の正面には講中とあり十数名の名前が刻まれていた。


その隣 阿弥陀如来立像 延宝7(1679)これはもう白カビがひどすぎてほとんど銘が確認できない。資料によると光背右脇「奉為供養念佛結衆二世安樂故也」ということだがその一部がかろうじて見える程度。左脇に造立年月日。こちらはうっすらと確認できた。その下には同行八人。その銘は隣の地蔵菩薩立像とほぼ同じ内容であり、五年の隔たりはあるが、この二つの石仏は同じ施主、講中によって建立されたものではないだろうか。

 

保寿院東路傍 岩槻区釣上新田1293南


県道214号線、釣上交差点から南へ500mほどの西側路傍、保寿院に入る道の脇の歩道のところに笠付の大きな庚申塔が立っていた。


庚申塔 宝永5(1708)唐破風笠付角柱型の充実した庚申塔。遠目にも存在感がある。笠の正面に凝った紋様が彫られていた。


塔の正面を二重に彫り窪めた中、上部に梵字「ウン」両脇にくっきりと日月雲。続いて青面金剛立像 合掌型六臂。上左手に足を折り曲げたショケラを持つ。青面金剛の頭上には蛇が見える。


足下には正面向きで腕を張った四角い顔の邪鬼。その下に正面向きの三猿。さらに三猿の下の部分に二鶏が彫られていた。


塔の右側面中央「奉造立庚申像一躯為二世安樂也」上部両脇に造立年月日。右下に釣上新田村結衆とあり、左下には都合男?女三拾三人と刻まれている。


左側面には五行に渡って長い願文。文字はしっかり残っていて読みやすいのだが、その意味まではよくわからない。下部には蓮の花が彫られていた。

地蔵堂 岩槻区釣上新田1420南


国道463号線の釣上新田交差点から尾ヶ崎新田方面に向かう道を700mほど北に進むと、信号機のある交差点の角にお堂が立っていた。


堂の中、大きな角柱型の塔の上に舟形光背に浮き彫りされた地蔵菩薩立像 延享5(1746)


地蔵像の光背上部には梵字「カ」が刻まれているが、それ以外に銘は見当たらない。


下の石塔の正面中央「奉建立石橋供養佛」上部両脇に造立年月日。右下に施主村方講中。左下に志施主隣郷十八箇村。地蔵菩薩像を乗せた石橋供養塔ということになる。綾瀬川の近くでもあり、石橋が近くの村々にもたらす利益は大きかったのだろう。腐りやすい木の橋から石橋に架け替えたことを記念し、橋が長持ちするように祈ったり、それを利用する村人たちの安全を祈願するために建てられたものだろう。石橋供養塔に地蔵菩薩像という組み合わせは最近では岩槻区馬込のゴルフ練習所前の三差路のところで見かけている。(2016年8月22日の記事)

国道463号線畷橋東路傍 岩槻区釣上新田964


緑区の大門のほうから国道463号線を越谷に向けて進む。綾瀬川の畷橋を渡って少し行くと、左側の路傍に石塔が立っていた。


舟形光背に三面六臂慈悲相の見事な馬頭観音立像 明和2(1765)頭上に大きな馬頭。光背右脇「奉建立馬頭觀音」左脇に造立年月日が刻まれている。

 

釣上新田南自治会館 岩槻区釣上新田76西


緑区大門方面から国道463号線で綾瀬川の畷橋を渡り、左手路傍に馬頭観音塔を見てそのすぐ先、T字路を右折して綾瀬川に沿った道を南に進む。800mほど行くと道路右側に釣上新田南自治会館があった。会館の正面に石塔が並んでいる。


左から 大乗妙典供養塔 天明9(1789)角柱型の石塔の正面に「奉納大乗妙典六十六部滿願塔」両脇に渡って日月晴明、右下に天下泰平、左下に國土安穏。


塔の右側面、中央に造立年月日。右脇に武州崎玉郡釣上新田 世話人与助、左下には行者名。


左側面っ中央に「三界萬霊等」続いて五文字、四句、合わせて二十字の願文が刻まれていた。


その隣 庚申塔 宝永5(1708)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。カビも多く風化も進んでいる。光背右「奉待庚申供養二世安樂」脇に釣上新田村□□。光背左には造立年月日が刻まれていた。


弓矢の脇あたりに結衆敬白。その下に十人ほどの名前が刻まれる。足の両脇の二鶏は比較的丁寧な彫りでリアルな感じ。足下の比較的大型の邪鬼は顔が黒く変色。その下には正面向きの三猿が彫られていた。


続いて庚申塔 天明4(1784)駒形の石塔の正面、比較的浅い彫りで「庚申供養塔」右脇に造立年月日。左脇に釣上新田講中十六人と刻む。


右端 地蔵菩薩立像。二段の台の上、隅丸角柱型の石塔の正面に地蔵菩薩立像を浮き彫り。こちらは個人の墓石のようだ。


右の二基の石塔の後ろに首のもげた丸彫りの地蔵菩薩立像と台石らしきものが並んでいた。地蔵像はカビに包まれ、錫杖の先と宝珠も欠けている。


台石の正面は前に立つ庚申塔のかげになり、鮮明な写真が撮れなかった。資料によると中央上部、梵字「カ」の下に「奉為二世安樂也」両脇に造立年月日。下のほうに結衆敬白と刻まれているらしい。いくつかの文字は見えるのだがしっかりと確認はできなかった。


塔の両側面も状態は悪い。左側面中央上部に念佛施主とあり、その下にいくつかの名前が刻まれている。右側面もカビが多い中、下部のほうに人の名前を確認することができた。上の面の穴の様子、サイズなどから隣の丸彫りの地蔵菩薩像の台と思われるのだがどうだろう。


会館の裏は小さな墓地になっていた。個人の墓地の中に宝塔 寛政2(1790)屋根型の笠を持ち、梵字を彫った楕円球形の塔身部、蓮台をはさんで基礎部、また蓮台を設けて、その下に3段の台石、基壇。全体では2mを越す立派なものだ。基礎部正面には「南無觀世音菩薩」と刻まれていた。


基礎の両側面に合わせて十二の戒名と天和3年(1683)から寛政元年(1789)にかけての命日が刻まれている。基礎の裏面には「為一切諸精霊菩提之寶塔一基造立」脇に造立年月日。さらに施主一名の名前が刻まれていた。