諏訪神社入口 岩槻区小溝1367

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 諏訪神社入口左 庚申塔 天保11(1840)塔の正面 日月雲の下に大きく「庚申塔」右側面に造立年月日。左側面には武州埼玉郡小溝村と刻まれている。

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台は二段になっていて上の台の正面に岩槻でよく見かけるリラックス型の三猿が彫られていた。下の台の正面中央に「講中」とあり右から本村、蓮臺、左に新田、花上と刻まれていて、地名、字名と思われるがよくわからない。

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三猿の彫られた台の両側面は道標になっていた。右側面に此方かすかへ。左側面には此方こうのす六り、あげを四りと刻まれている。

小溝庚申塚 岩槻区小溝1136

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4基の石塔のうち右から2番目 庚申塔 明和元年(1764)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。岩槻らしくないというのも変だが、オーソドックスな構成。青面金剛の顔はつぶれているが恐い雰囲気は残されている。



足の両脇に二鶏。足下に大きめな邪鬼を踏む。全体の構成はオーソドックスだが三猿はユニーク。右の見猿が外を向いているのはちょっと珍しい。

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塔の右側面「奉建立青面金剛」その下に造立年月日。塔の左側面には武州埼玉郡小溝村講中男女二十五人、その脇に施主□村中と刻まれていた。

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 3番目 庚申塔 貞享5(1688)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。梵字「ウン」の下に青面金剛を浮き彫り。こちらもやはり顔がはっきりしない。光背の中ほど両脇にわたって造立年月日が刻まれていた。

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光背右下に小溝村念佛講四十二人 願主、左下に庚申講六人。足下の邪鬼は背中を反らせた形で青面金剛に踏まれている。三猿はちょこんと座った形が可愛い。その三猿の両脇に小さな二鶏が彫られているが、この構成もあまり見かけない。

小溝信号交差点南路傍 岩槻区小溝730付近

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庚申塚から南に進むと信号機のある交差点に出る。直進して少し歩くと左手の路傍に二基の庚申塔が並んでいた。

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左 庚申塔 貞享5(1688)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。雨除けもない割にはカビなどもそれほどひどくなく、細部の彫りも比較的しっかり残っている。

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ずんぐりむっくりした青面金剛は愛嬌がある。やはり顔が潰れているが人為的なものだろうか?後ろ左手にショケラを持つ。光背上部両脇に造立年月日。中ほど右脇に武州埼玉郡太田庄、左脇に岩付領小溝村願主と刻まれていた。

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足下の邪鬼は土下座しているようだ。その下に三猿。三猿の下の部分に十名ほどの名前が刻まれている。

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右 庚申塔 文政12(1829)塔の正面に日月雲「庚申塔」

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塔の右側面に造立年月日。左側面には小溝村 前嶋講中と刻まれていた。

 

徳力三社神社 岩槻区徳力60

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慈恩寺観音の南の道を東に進み、左手に常源寺を見てその少し先、徳力地区に入ると右手に徳力小学校、小学校を過ぎるとすぐ右手に三社神社がある。鳥居のすぐ近く、参道左側に大きな角柱型の石塔が二基並んでいた。

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左 庚申塔 寛政12(1800)塔の正面上部に日月雲。続けて大きな字で「青面金剛」下の台の正面にはしっかりと三猿が彫られている。

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塔の右側面に造立年月日。左側面には武州埼玉郡徳力村と刻まれていた。

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右 庚申塔 元禄5(1692)こちらは風化が激しく文字の読み取りはかなり厳しい。塔の正面を彫り窪めた中、上部に日月雲。その下に「為奉造立庚申講二世安樂所願祈所?」敬白。最下部にこぶのように見えるのは三猿かと思われるが摩耗が激しくはっきりしない。

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左側面に 武州埼玉郡岩付領徳力村。

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右側面に造立年月日。下のほうに施主とあり、十名の名前が刻まれていた。