南区根岸

一ツ木公園西 南区根岸1-3-5[地図]


さいたま市文化センターの東にある一ツ木公園。その西の向いのマンションの植え込みの中に石塔が立っていた。


庚申塔 安永4(1775)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


石塔の表面は風化が進み、像もはっきりしない。持物は矛・法輪・弓・矢


足元に正面向きの邪鬼、全身型で面白い髪型をしていた。その下の三つ並んだこぶのようなものは三猿の頭のようだ。


右側面に造立年月日。その下に世話人とあり、一名の名前が刻まれている。


左側面上部に「講中」その下に二段に渡って八名の名前が刻まれていた。

根岸薬師堂 南区根岸4-2[地図]


文化センターの北を通る一方通行の坂道を登って西に向かう。次の信号交差点の角に根岸薬師堂があった。同じ敷地内に根岸公会堂が立っている。


入口から入って右手、お堂の右脇、墓地に向かう途中に小堂が立ち、その手前にも多くの石塔が並んでいた。

右から 庚申塔 寛延元年(1748)荒彫りの角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、梵字「ウン」の下に「青面金剛」


塔の右側面に造立年月日。左側面には足立郡根岸邑 庚申供養塔講中十八人と刻まれている。


その隣 地蔵菩薩立像。舟形光背は左側が損傷、ちょうどそのあたりに紀年銘があったと思われ、造立年月日は不明。


光背右脇「奉建立念佛講爲現當二世安樂也」どうやら念仏供養塔のようだ。



足元にもたぶん人名なのだろう、銘が見えるのだが読み取ることは難しい。


続いて大日如来種子塔 宝暦4(1754)三段の台の上、長細い蓮台に唐破風笠付き角柱型の石塔。


塔の正面を彫りくぼめた中に金剛界大日如来の種子「バーンク」を浮き彫り。


塔の右側面に造立年月日。左側面に「奉造立大日如来」湯殿山講中。さらに武州足立郡浦和領根岸村。裏面に「三寶荒神」と刻まれていた。


その隣 不明塔。真四角の台の上に厚みのある敷茄子が乗っている。上のほうに突起が残っていて、蓮台と像があったものと思われる。


敷茄子にはぐるりと戒名と命日が刻まれている。年号は延宝、延享、元禄となっていて江戸時代初期の石塔であることがわかる。


続いて二基の馬頭観音塔が並ぶ。右の馬頭観音塔は紀年銘が見当たらず詳細は不明。風化のため塔の正面が大きく剥落。「馬頭」の文字だけが残っていた。


左 馬頭観音塔 寛政12(1800)舟形光背に忿怒相二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。両脇に造立年月日頭上の馬頭は明快。足元に根岸村と刻まれている。


奥の小堂の手前 普門品供養塔 嘉永7(1854)四角い台の上、角型の石塔の正面梵字「サ」の下に「普門品供養塔」塔の右側面に造立年月日。左側面に天下泰平 五穀成就。台の正面に根岸村 観音講中と刻まれていた。


小堂の中には六地蔵菩薩塔と三基の丸彫りの地蔵菩薩塔が祀られている。


右 地蔵菩薩立像 享保2(1717)錫杖の先が欠けているが顔は美しく堂々としている。


前回は気が付かなかったが、背中に銘が刻まれていた。上部に道宜妙智、右下に紀年銘、左下に三拾三回忌。三十三回忌にこのような立派な像塔が造られたというのはあまり見たことがない。よほどの高僧だったのだろうか。



その隣 地蔵菩薩立像。こちらは銘が見当たらす造立年など詳細は不明。丸彫りにもかかわらず錫杖、宝珠も健在、首に補修跡もなく尊顔もはっきりしている。


左 地蔵菩薩坐像 享保19(1734)四角い台の上、角柱型の石塔に敷茄子、蓮台を重ねてその上に左ひざを立てた地蔵菩薩坐像。角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に念佛講中四四拾五人。四に四を重ねて八拾人か?塔の左側面に造立年月日が刻まれていた。


小堂の奥 六地蔵菩薩立像 寛政10(1798)六基の地蔵塔は像、蓮台、石塔とサイズ的にはほぼそろっているが、石の色がところどころ違っている。


尊顔はユニーク、表情が豊かで面白い。


右端の石塔の正面に造立年月日。3番目の正面に施主村中、世話人 根岸村と刻まれていた。