板橋区前野町

志村第二公園 板橋区前野町5-56

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環状八号線から首都高速の下の広い道路を東に600mほど進むと、右手脇に小さな公園がある。公園の南側、植え込みの中に三基の庚申塔が立っていた。

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左 庚申塔 明治2(1869)正面 発達した瑞雲の上に日月。その下に「庚申塔」両脇に造立年月日。

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塔の左側面には向左 かみいたばしみち と刻まれている。

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右側面 向右 祢りまみち。その下に数名の名前が刻まれていた。

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中央 庚申塔 文政13(1830)日月雲 青面金剛立像剣・ショケラ持ち六臂。全体にしゃれた雰囲気。青面金剛は斜に構え、いくぶん左上のほうに視線をやっている。

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足の脇にしっかりと二鶏の姿。足下の邪鬼はニヤリと笑い、その下の三猿も狭いながらも奔放なポーズをとっていた。

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塔の左側面 向左 祢りま 大山道。脇に造立年月日。続いて武州豊嶋郡中臺村向臺中と刻まれていた。

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塔の右側面には 向右 祢つば 吹上道と見える。「祢つば」はよくわからないが四ツ葉村だろうか?

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右 庚申塔 明和7(1770)正面中央「奉石橋建立庚申待講中二世安樂所」石橋供養塔でもあるのだろう。右脇に造立年月日。左脇に武州豊嶋郡東叡山領中臺村 願主 向臺中と刻まれていた。塔の右側面に 右ハ はやぞミち。左側面には 左ハ 祢里まミち。この三基の庚申塔はいずれも道標としての役割も大きかったものと思われる。

大日大聖不動明王堂 板橋区前野町5-28

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志村第二公園から東に歩き、北前野小学校を過ぎ二本目の道を右折し少し進むと、右手の角の所に木々に囲まれて小堂が見えた。

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近づいて見ると鉄の扉もいかめしく、なにやら牢屋のような趣で、中には不動明王像が祀られている。

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不動明王坐像 天保7(1836)堂はブロック作りのため近寄ることもできず、銘などを確認することはできなかった。堂の中は薄暗く何枚か撮った写真はいずれもピントが甘い。不動明王は炎の光背を持ち剣と羂索を手に持ち、鋭い目つきで正面をにらんでいた。

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下部には制吒迦童子と矜羯羅童子が細かく丁寧なタッチで彫られている。

 

西熊野神社 板橋区前野町5-35-2

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不動堂のある四つ角のもう一つ東の四つ角から南に向かって急な坂道を登ってゆくと左手に熊野神社があった。鳥居の奥にコンクリート造りの拝殿が見える。

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拝殿の右奥にそれぞれタイプの異なった三基の庚申塔が並んでいた。

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左 庚申塔 元禄11(1698)日月雲 青面金剛立像 六臂。前の左手にはショケラではなく羂索を持つ。

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舟形の光背は右上が一部欠けているが、右脇は「奉(欠)供養庚申待二世安樂処結衆」左脇に造立年月日が刻まれている。顔のあたりが削れているようだがこれは人為的なものか?

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下部には三猿だけが彫られていた。その三猿の下の部分には、読みにくいが数人の名前が刻まれている。

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中央 庚申塔 天保7(1836)三基の中では一番新しいものだが、そのわりに風化が激しい。正面中央はその形から言って青面金剛立像と思われる。

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塔の下部にはうっすらと三猿らしい姿が確認できる。その左上に見えているのは邪鬼の手ではないだろうか。

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塔の右側面に造立年月日。左側面には講中二拾人と刻まれていた。

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右 庚申塔 享保18(1733)日月雲青面金剛立像剣・ショケラ持ち六臂。駒形の比較的大きな庚申塔。ここでは一番きれいな状態を保っている。

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目を吊り上げ正面をにらみつける青面金剛。後ろの二組の腕の付き方が以前見た「川口型」に似ているが、髪型、邪鬼の様子などは全く異なっている。

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足の両脇に立派な二鶏を彫る。足下の邪鬼は正面向きで頭を踏まれていた。その下にはシンメトリックに三猿。バランスが取れた構成になっている。

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三猿の彫られている面の左側面に年号。その裏面に講中とあり、続けて数人の名前が刻まれていた。

 

東熊野神社 板橋区前野町3-38

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大きなボート池のある見次公園の南、板橋前野郵便局のすぐ東の細い道を入り込んだところに熊野神社がある。拝殿の左手前、ケヤキの巨木に隠れるように五基の庚申塔が並んでいた。

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左から 庚申塔 天明3(1783)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。塔の正面の左側に細かいひびが見られる。

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下部に二鶏・邪鬼・三猿が揃う。頬杖をつき横になる邪鬼が面白い。ここまでリラックスした邪鬼はあまり見たことが無い。

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塔の左側面に造立年月日。脇に小さく 左ハ志むらミち。その下には十人ほどの名前。右側面にもやはり十数人の名前が刻まれていた。

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2番目 庚申塔 安永8(1779)青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。上部の日月が無いのは珍しい。塔の正面、像の表面は摩耗していてショケラなどもあまりはっきりしない。

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足下に二鶏・邪鬼・三猿の姿が確認できなかった。下の台の正面には六名の名前が刻まれている。

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塔の左側面 上部に「奉納」とだけあり、続いて造立年月日を刻む。こちらの面はとてもシンプルだ。

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右側面はにぎやか。中央 南ハぞう志やかいどう 川越道。右脇 右ハ 江戸道。左脇 北 川口ぜんかうじと刻まれている。

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3番目 庚申塔 安永2(1773)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。

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比較的大きなショケラが太もものところにしがみつく。足下の邪鬼は正面向きでカニの甲羅のような形。その下に三猿。中央の猿は仰向けにひっくり返っている。

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塔の右側面 従是左 戸田道。その下に数名の名前が見える。

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左側面「三界万霊」脇に造立年月日。その下にはやはり数名の名前が刻まれていた。

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4番目 庚申塔 享保10?(1725)頃。日月雲 青面金剛立像合掌型六臂。塔の最上部が大きく欠けている。

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足下に邪鬼と三猿が彫られていた。二鶏は見当たらない。

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塔の右側面 上部に年号。享保十の下が欠けていて造立年は確実ではない。その下に三名の名前。左側面の下部にも三名の名前が刻まれていた。

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右端 庚申塔 元文2(1737)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。後ろの二組の腕は腰のあたりから出ている。

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足下に二鶏・邪鬼・三猿。邪鬼はあぐらをかいていてふてぶてしい。

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塔の右側面 大きな字で「奉造立庚申供養」と刻む。

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左側面に造立年月日。脇に前野村講中 九人と刻まれていた。

 

常楽院 板橋区前野町4-20 

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前野町の二つの熊野神社のちょうど中間地点、板橋前野郵便局のすぐ西に常楽院があった。広い駐車場の奥、山門の両脇の塀の前にたくさんの石仏が並んでいる。山門左側の石仏を調べてみたが、いずれも個人の墓塔で、特にここで取り上げるようなものはみつからなかった。

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山門右側の塀前にも数基の石仏が並んでいる。こちらも個人の墓塔が多い。その中でひときわ目を引くのは・・・

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左から2番目 地蔵菩薩立像 安永5(1776)西台でも見かけたが笠をかぶった丸彫りの地蔵像。笠が雨除けになっているためだろうか、比較的綺麗な状態を保っている。

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下の台の正面「三界萬霊」右側面に年号。左側面には施主 村中、願主 宥戒と刻まれていた。

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本堂の左側に墓地がある。その入り口に立つ地蔵菩薩立像。頭は後から補われたものだろう、ほぼ真横を向いている。

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その衣服の正面、側面に四つの戒名と元文元年(1736)から宝暦9(1759)の命日が刻まれていた。施主名も個人名でありこれもやはり個人の墓塔のようだ。

志村第一中学校南五差路 板橋区前野町1-23

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前野町1丁目と宮本町と泉町が接する五差路の角に角柱型の石塔が立っていた。写真左の道は常楽院と熊野神社の近くを通って前野町5丁目方面へ向かい、右の道路の奥には志村第一中学校がある。

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庚申塔 寛政3(1791)正面上部に梵字「ウーン」その下に「奉待大青面金剛」右脇に講中諸願成就所。

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塔の右側面 中央に右 大日道。右脇に清水講中 女十四人。左脇に願主 個人名を刻む。

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左側面 左 祢里ま道。その奥には造立年月日が刻まれていた。