慈恩寺中学校北西交差点角 岩槻区裏慈恩寺348

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慈恩寺中学校の西を通る道を北へ、鹿室方面に向かうとその先の信号交差点の南西の角に石塔が並んでいた。

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右 庚申塔 嘉永年間 塔の表面が平らな部分が少なく荒れた状態で文字も読みにくい。中央「奉供養庚申塔」両脇に造立年月日だが右脇は嘉永の「嘉」だけが見え、左脇は正月吉日。右下、うらぢおんじ村、左下に同行十五人と刻まれている。

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塔の右側面、でこぼこが激しい上に横に何本も線が入っている中に、かろうじて「此方 日光道」と見えた。

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左側面はさらに穴が穿たれているのだろう、文字は見えるが読み取れない。資料によると、「此方 しおんしミち」ということらしい。

 

曙ブレーキ南住宅 岩槻区裏慈恩寺733

 

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庚申塔 天明8(1788)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。全体に白カビに覆われ、特に顔のあたりは真っ白で、近づいて見てもその表情をうかがうことはできない。下の台の正面、世話人とあり二人の名前、続いて講中とあり十数人の名前があるがはっきりとは読み取れなかった。

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足の両脇に二鶏。足下に丸顔の邪鬼。その下の三猿は言わ猿だけが右向きで、聞か猿と見猿は正面向きという変則的な構成。

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塔の右側面に造立年月日。その下に此方 こふのす道。こちらも変体仮名で刻まれている。

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塔の左側面は漢字で 東 粕壁道 南 子権現 観音 道。わかりやすい。子権現は300mほど南東にある子之神社、観音はその先にある慈恩寺観音だろう。左下には裏慈恩寺邑と刻まれていた。

 

酒店向かいの庭 岩槻区裏慈恩寺1106

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 庚申塔 宝暦3(1753)正面に「奉造立庚申供養」その脇に右 加ふのす道、左 ぢおんじ道。その下に小さな字で10人ほどの名前が刻まれている。

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左側面に造立年月日。資料ではここに「裏じおん」とあるというが、この状態では確認できなかった。

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雨除けの下に庚申塔 天保3(1832)角柱型の塔の正面に大きく「青面金剛」右側面に造立年月日。左側面 武州埼玉郡裏慈恩寺村。台は二段になっているが上のほうの台の正面に三猿を彫る。

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三猿の彫られた台の右側面、右に南二丁ちおんじ道、ひだりに寄進とあり、個人名。左側面には右 はらいち道 左 かすかべ道と刻まれている。

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三猿は寝そべってリラックスしている。以前見沼区のほうで似たような自由な三猿をみたが、この構図も「岩槻型」だろうか、岩槻区では結構いろいろなところで見かける。下の台の正面には願主とあり二十人ほどの名前が刻まれていた。

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間に個人の供養塔をはさんで、右に庚申塔 宝永元年(1704)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。合掌型の場合、残りの四本の手に戟、法輪、弓矢を持つのが普通だが、ここでは法輪の代わりにショケラを持っている。これも岩槻の庚申塔に多く見られ、「岩槻型」と呼ぶようだが、この型の青面金剛を初めて見たのもやはり見沼区の東新井だった。見沼区片柳には岩槻の林道の石工、田中武兵衛作の大変優れた庚申塔などもあり、行政的には足立郡と埼玉郡という違いはあっても、こういった文化的な面においては地域のつながりが強かったのだろう。青面金剛の右脇に「奉供養庚申」左脇に造立年月日が刻まれていた。

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ずんぐりした邪鬼は正面を向き頭上に青面金剛を乗せている。この邪鬼の形も岩槻では多い。その下の三猿は小さめで、三猿の両脇に二鶏という構図もまたユニークなものといえるだろう。

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下の台の正面、右から裏慈恩寺 本願とあり、八名の名前。続いて村中惣男女と刻まれていた。

裏慈恩寺阿弥陀堂墓地入口左 岩槻区裏慈恩寺681

 

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庚申塔 明和4(1767)正面「庚申供養」資料では最後に塔がついていて、けっこう深く土の下に埋まっているようだ。右側面 かすかへみち、左側面には造立年月日が刻まれていた。

 

県道65号線慈恩寺入口交差点角

 

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庚申塔 宝暦5(1755)塔の正面上部に日月雲。中央を彫り窪めた中、梵字「ウーン」の下「奉造立青面金剛供養塔」枠部右下に慈恩寺村。下部には素朴な三猿が彫られている。

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側面は隙間が狭い。右側面 是よりじおんじミち。その右脇下に裏慈恩寺村、左脇下には講中男女。

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左側面 此方よしみミち。左脇に造立年月日。その下に新坊、大門とあるがこちらは字のようだ。

天神社 岩槻区裏慈恩寺213の北

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慈恩寺入口交差点から東に入り300mほど、右側T字路の角に天神社があった。社の周囲は広い空き地になっていて、奥にポツンと一つ石塔が立っている。

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庚申塔 文政5(1822)日月雲の下に「庚申塔」下の台の正面に三猿を彫る。左の言わ猿は横座りをしている女性のようなポーズ?ちょっと変わっている。

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塔の左側面に造立年月日。右側面に裏慈恩寺村 字新房組講中。台の右側面には西 こう(のす?)よし(み?)と刻まれていた。

 

慈恩寺地蔵堂(公民館) 岩槻区慈恩寺256-8 JA向かい

 

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地蔵堂の正面、道路角にあたる位置に庚申塔の文字塔が立っている。塔の正面「奉供養庚申塔」

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塔の右側面 右方 粕壁道、左側面に左方 幸手道と刻まれていた。

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裏面に造立年月日。下のほうに當所講中と刻まれている。

 

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 地蔵堂の右側の一角に 庚申塔 正徳4(1714)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。こちらも白カビが発生している。彫りは厚めで、遠目にもにぎやかで充実した様子がうかがえる。

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上部に梵字「ウン」左右に瑞雲付きの日月。青面金剛は三眼六臂、キっと正面をにらみつける。合掌型でありながら後ろの手にショケラを吊るす「岩槻型」いままで見た中では左上の手が多かったように思うが、ここでは右下の手。「岩槻型」もいろいろなパターンがありそうだ。右脇に「奉彫刻庚申本地青面金剛」左脇に造立年月日を刻む。

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オーソドックスな邪鬼と三猿。その下の部分に入小路中廿四人、施主敬白、山口小路中二十人、大門小路中八人と刻まれていた。

 

毘沙門天堂 岩槻区慈恩寺513

 

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境内に入ってすぐ左側  庚申塔 嘉永4(1851)塔の正面 日月雲の下、くずし字で「青面金剛」デザイン的には面白いが読みにくい。

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下の台の正面に三猿。岩槻らしいリラックスした姿。以前緑区、見沼区あたりで似たような三猿を見た時はそのユニークさに驚いたが、岩槻ではこういった三猿を結構見かけるので、これも一つのタイプという感じに変わってきた。

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塔の左側面 逆光のうえに文字が薄くて見えにくいが、やはりくずし字で 東 くわんおん 四丁、西 かうのす 五リ よしみ 七リと刻まれている。

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右側面には立年月日。こちらもくずし字で刻まれていて、資料なしには読み取ることは難しい。三猿の彫られた台の両側面には合わせて20名ほどの名前が刻まれていた。

 

子之神社南T字路 岩槻区慈恩寺777

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庚申塔 寛政2(1790)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。雨除けもない状況のため白カビなどがつき、それなりに風化が進んでいる。

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足の両脇に二鶏。足の下には腹黒そうな邪鬼が這いつくばりながら様子をうかがい、その下には素朴な三猿が彫られていた。

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塔の右側面に造立年月日。左側面 北 粕壁道、東 ゆきどまり。続いて慈恩寺郷とあり、願主は個人名が刻まれている。

 

慈恩寺観音南交差点 岩槻区慈恩寺164

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庚申塔 延宝9(1681)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。かなり古いもので、光背の上部を一部欠き、全体的に白カビも多い。

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頭上に梵字「ウン」近寄って見ると、青面金剛は目を吊り上げ正面をにらみつけ凛としている。光背上部両脇に造立年月日。中ほど右脇に花林山慈恩寺、左脇に施主十人と刻まれていた。

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足の両脇に二鶏を線刻。足下の邪鬼はひしゃげている。その下にはやや大きめな三猿が彫られていた。

 

阿弥陀堂墓地(表慈恩寺公民館) 岩槻区表慈恩寺665

 

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公民館の裏に並ぶ六基の石塔のうち左から3番目 庚申塔 明和2(1765)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。

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青面金剛は二匹の邪鬼の丸い頭を踏んでいる。その下には三猿。二鶏は見当たらない。右脇に「奉建立青面金剛塔」左脇には造立年月日が刻まれていた。

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三猿の下の部分の中央に表慈恩寺村 講中三十六人。両脇に右 いわつき道、左 こしがや(道)と刻まれている。

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さらに塔の左側面に「勧化施主為二世安樂也」と刻まれていた。

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4番目 庚申塔 天和2(1682)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。ここでは最も古く、風化が進みカビも多いため文字などもはっきりしない。像の両脇にうっすらと造立年月日が見える。

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足下の邪鬼はカビにまみれてぼんやりとしている。その両脇に二鶏と文字が刻まれているようだが、読めるというレベルではない。邪鬼の下には三猿。その両脇に表慈恩寺村 女人六人と刻まれていた。

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5番目 庚申塔 元禄6(1693)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。駒型の頭頂部が鋭角的で像も大きい。

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ふくれっ面の青面金剛。右脇に「奉造立青面金剛二世安樂」左脇に造立年月日。

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足の両脇に二鶏を線刻。邪鬼は薄い体形で猿のような姿。正面向きの三猿の下には施主とあり両脇に表慈恩寺村 女人四十二人と刻まれていた。

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右端 庚申塔 寛政12(1800)ここでは唯一の文字塔。塔の正面 日月雲の下、味のある独特な字体で「青面金剛」下の台の正面に大きな三猿を彫る。

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塔の右側面に造立年月日。左側面には武州埼玉郡川越領表慈恩寺村と刻まれていた。