蕨市中央の石仏

蕨郵便局北路傍 蕨市中央5-9-8

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中山道の蕨駅入口交差点の東、蕨郵便局の裏の細い道の四つ角に祠が立っていた。

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中に聖観音立像 元禄6(1693)光背右に大きく天下泰平 國土安全と刻まれている。

中央6丁目交差点角 蕨市中央6-14-1

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中山道の蕨警察署入口交差点の東、中央土橋通り蕨警察署前交差点の一つ北の
信号のある交差点角、住宅の壁のところに三基の石塔が祀られていた。

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左 馬頭観音塔 大正3(1914)正面「馬頭觀世音」左側面に施主 個人名を刻む。

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中 庚申塔 明治44(1911)上部に日月雲。中央に「庚申塔」と刻まれている。
造立は隣の馬頭観音塔と3年しか離れていない。

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塔の右側面に年号。その脇に施主 個人名。左側面には是れより 東 川口町
西 わらび町 南 とだばし 北 蕨てん車場 とある。立派な道標だったようだ。

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右 不明塔。前面も側面も剥落のために文字を確認できない。ここに一緒に
並んでいるのだから、家のかたに尋ねてみれば詳細がわかるのだろうか。

 

正蔵院 蕨市中央6-2

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前回紹介した三基の石塔の立つ信号交差点から蕨駅方面に歩く。150mほどして
細い道を左折するとまもなく正蔵院の入口に着く。この細い道をさらに進むと
突き当たりは中央小学校になる。

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参道の左側、5基の石仏が整然と並べられていた。

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左から 馬頭観音立像 享保17(1732)慈悲相二臂。小さいがバランスがよく、
民芸品のこけしのような味わいがある。頭上に馬頭をのせ、馬口印を結ぶ。
光背右上に梵字「カン」を刻み、続いて「馬頭観音為現世菩提也」光背左
年号の下に下蕨施主とあり個人名が刻まれていた。

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2番目 庚申塔 元禄15(1702)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。白カビが目立つ。

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後上の右手に羂索を持つ。顔のあたりは風化のためにあまりはっきりしない。
光背右「奉供養庚申講中」左には年号が刻まれていた。足の両脇には二鶏が
線刻されているが、その足元に邪鬼の姿は見当たらない。

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塔の下部にひな壇のような窪みを作ってその中に三猿を彫る。その下の部分には
施主だろう、十名の名前が刻まれていた。

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3番目 庚申塔 宝暦3(1753)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。頭上から足元の
邪鬼まで、こちらも白カビに覆われている。ふくよかなで人間のような風貌の
青面金剛からは比較的穏やかな印象を受ける。

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足の両脇に二鶏。足元にはラフな邪鬼が彫られている。その下に猿は二匹しか
見えないが、もともと三猿で真ん中の猿が風化のため無くなったのだろうか。

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塔の右側面が平に削られて、そこに銘が刻まれていた。上部には年号、その下
右脇に武州足立郡下蕨村、左に講中二十六人と見える。

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4番目 庚申塔 正徳4(1714)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。比較的きれいだ。
頭上に蛇がターバンのようにとぐろを巻く。光背右「奉供養庚申」左には年号。

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足元の様子は隣の庚申塔とよく似ている。三猿の下に施主とあり、続いて10人の
名前。両端に漢字名、他の8人はおひさ、あたつなど頭に「お」が付く女性名だ。

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一番奥 庚申塔 宝永8(1711)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。ここでは唯一の
角柱型。立派な唐破風笠付きの大型の庚申塔。塔の下の台は二段になっていて、
上の台の正面に三猿が彫られている。

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近づいて見ると全体に風化のために彫りが丸くなってしまいはっきりしない。
後ろの二組の腕の付き方がちょっと変わっている。足の両脇に二鶏。足元に邪鬼。
その下の部分、ブツブツと小さく穴がいくつか見えるがこれは文字だろうか?

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塔の右側面 蓮の浮き彫りの間に年号が刻まれていた。蓮の茎のあたり、こちらも
正面と同じように小さく文字らしいものが見える。施主名かもしれない。

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塔の左側面 上部に正月吉日。下部には講中と刻まれていた。

 


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境内に入ると正面に本堂があり、その左側が墓地になる。入口付近に宝篋印塔 
天明4(1784)が立っていた。塔身に年号とともに上戸田村施主と刻まれている。

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宝篋印塔の先を右に折れ、墓地に入ってすぐ左手に三基の石仏が並んでいた。
昨日見ていただいた参道脇の5基の石塔も以前はここにあったものらしい。

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手前 馬頭観音立像 宝永5(1708)二臂。顔がつぶれていて様子がわからない。

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光背右 「皈(帰の俗字)依三宝尊 祈亡畜菩提也」光背左に年号を刻む。
参道左の馬頭観音と同じくこちらもおだやかな雰囲気である。

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足元を見ると右側の文字は施主拾五人だろうか?他の部分はうまく読めないが
いずれ確認したいと思う。

 

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真ん中 大きな光背を持った観音菩薩坐像?元禄12(1699)

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光背上部に刻まれているのは大日如来の梵字「バン」と思われる。続いて両脇に
造立年月日、さらに願主 法性海と刻まれていた。頭上の宝冠の正面に五輪塔の
ようなものが見えるがなんだろうか?光背にも下の台にも願文は見当たらない。
「郷土の石佛」の著者 酒井さんに見ていただいたら、この衣服の様子などから
観音様ではないかということだった。大日如来の梵字を頂くが、密教の三身説に
本体(法身)=大日如来 (報身)=阿弥陀如来(応身)=観音菩薩とあり、観音菩薩も
大日如来の化身ということらしい。

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基壇の上に花ビラを彫った豪華な台、さらに蓮台の上に坐像が載っている。
像の手の部分、特に左手が欠けていて、その手になにかを持っていたのか
印を結んでいたのかは定かでない。印しだいによっては大日如来の可能性も
あるようだ。頭上の立派な宝冠も大日如来にふさわしくも思えるのだが、
本当のところはどうなのだろう?

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台の正面に二段に20名の名前が刻まれていた。こちらも女性中心の講のようだ。

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右 地蔵菩薩立像 宝暦11(1761)二段になった台の上に立っていた。

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頭部に円形の光背。右脇に「南無地蔵大菩薩」左脇に年号が刻まれている。

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台の正面には武州足立郡 戸田領下蕨 講中 二十二人と刻まれていた。

 

宝樹院 蕨市中央2-10

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蕨駅西口から南に歩き、中央土橋通りに入る。中央二丁目交差点を左折し、すぐ
また細い道を右折すると宝樹院の入り口がある。参道の左側に小堂が立っていた。

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小堂の中には 地蔵菩薩立像 安永3(1774)が祀られている

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台の正面 大きな字で「三界萬霊」両脇に造立年月日を刻む。

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小堂の左には 大乗妙典六十六部供養塔 正徳6(1716)中央を彫りくぼめ、上部に卍
下部に蓮の花を浮き彫りにする。中央「奉納大乗妙典六十六部供養」その両脇に
天下泰平 國土安穏。右脇に武州足立郡戸田領下蕨、左脇に願主 廻國僧木嶺宗源。
江戸時代は全国的に廻国僧や修験僧の活動が盛んだったようだ。

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塔の右側面に年号。左側面「奉造架要害石橋萬人講供養」久々に「萬人講」
石橋架設のために広くお布施を求めたということだろうか。

三蔵院 蕨市中央2-30

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宝樹院の南東100m位のところ、細い道沿いに三蔵院の入口がある。境内に入って
本堂の左側に墓地がある。その入口に二つの小堂が立っていた。

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六地蔵菩薩立像 嘉永2(1849)像の様子からほぼ一緒に奉納されたものと思われる。

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それぞれの台に、年号、世話人名などが刻まれていた。中に「下蕨講中」とある。

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隣には地蔵菩薩立像 享保9(1724)台に年号とともに施主 蕨里 個人名を刻む。

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墓地の奥のほうに無縁仏が積み上げられていた。そのさらに奥には四基の石塔が
並んでいた。

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手前左 二十三夜供養塔 文政13(1830)正面「廿三夜供養塔」その脇に天下泰平
國土安穏。下の台には白カビの中に十数名の名前が刻まれている。

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塔の左側面に年号。右側面には 西 川口ぜん加うじミちと刻まれていた。

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その右、正面が完全に剥落した石塔。右側面に文久2(1862)の銘が見える。

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左側面に足立坂東二十一番とあった。足立坂東三十三ヶ所霊場であることを
示したもので、以前は山門の付近に立っていたのではないだろうか。

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奥に百万遍供養塔 天保4(1833)塔の両側面に長い願文が刻まれていた。

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その隣には笠型の宝篋印塔 天明8(1788)が立っている。

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塔身に年号。続いて武州足立郡戸田領下蕨郷 三蔵院現住慶傳 同所講中とある。
最後尾に石工 伊豆屋藤助と刻まれていた。

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墓地のほうの見学を終えて山門のところまで戻ると、塀の前に馬頭観世音塔が
立っているのに気がついた。上部は剥落していて下部に「馬頭觀世音」と刻む。
上部にはそのスペースから馬頭観音坐像あたりの像が刻まれていたと思われる。

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塔の右側面は全面剥落、左側面には下蕨。左脇に薄く見える字は講中だろうか。