板橋区仲宿

遍照寺 板橋区仲宿40-7

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中山道の東、北から本町商店街、仲宿商店街、不動通り商店街と、旧中山道に沿って三つの商店街が続く。仲宿商店街から不動通り商店街に入るすぐ手前、左側に遍照寺の入り口があった。遍照寺は明治時代初期にいったん廃寺になったものの、明治14年には旭不動堂と称して成田山新栄講の道場となり、昭和22年成田山新勝寺末の真言宗寺院として復活したものだという。

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入口近く 寺導 明治42(1909)塔の正面「弘法大師霊場」その右脇に豊島八十八ヶ所霊場第七十一番、左下には旭不動堂と刻まれている。塔の右側面 上部に浅草左衛門町 板橋町停車場とあり、その下に願主二名の名前。裏面には造立年月日が刻まれていた。

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石畳の道を進むと左側に石仏が集められている。遍照寺の境内は宿場時代は馬つなぎ場だったということで馬頭観音なども多い。以前ここを訪れた時には写真の右手の空き地部分にお堂があったが、現在は本堂の新築工事の準備のため整地されていた。

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左から 馬頭観音塔 大正12(1923)塔の正面「馬頭観音菩薩」塔の左側面に造立年月日。施主は個人名が刻まれている。塔の右側面は無銘だった。

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その後ろ 馬頭観音塔 大正2(1913)中央に大きく鹿毛馬 瀬川と刻まれている。右脇に造立年月日。左脇に外斃馬とあるが、出征馬の墓標だろうか?

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その隣 馬頭観音塔 寛政10(1798)正面を楕円形に彫り窪めてその中には頭上に馬の頭をいただき、丸顔で目をむいた馬頭観音立像が彫られていた。周りの縁の部分、右脇に天下泰平、左脇に國土安全、下部に宿内安全。

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 塔の右側面に造立年月日。左側面の右下に當寺 遍照寺 亮善代と刻まれている。

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下の台の正面 文字の大きさから考えて當宿馬持中だろう。下のほうは右から平尾町、中宿、山中村。板橋宿は3つの宿場の総称で、北の方から上宿、仲宿、平尾宿があったという。「山中村」は調べてみたがよくわからない。

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その右隣 馬頭観音塔 明治41(1908)正面に「馬頭觀世音菩薩」右脇に造立年月日、左脇に「為□馬觀音幷斃馬一同供養」と刻まれていた。

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その前に庚申塔 宝永6(1709)資料によると唐破風笠付角柱となっているが現在は笠を欠いている。塔の表面は風化が進み、文字は一部が読みにくくなっていた。正面 梵字「ウン」の下「奉供養庚申講中為二世安樂也」周りに細かく文字が刻まれている。

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左右両側面には少し大きめな字でそれぞれ十名ほどの名前が刻まれていた。こうやってみると正面の細かい字で刻まれているのも講員の名前かもしれない。

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塔の裏に回りこんでみるとこちらにも銘があった。中央に造立年月日。右脇 第五世之住 遍照寺良喜謹言。左脇に右者大日堂造立之者也。

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その右隣には不明塔。右脇にある石も含めて四つに断裂したものか。一生懸命見てみたがどこにも銘が見当たらなかった。ここに並ぶだけの理由はあるのだろうがそのいきさつについてはわからない。

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後ろ 庚申塔 寛文8(1668)右上部を大きく欠き、剥落も見られる。左上に瑞雲付きの月。中央「奉造立爲庚申供養二世也」左脇に七月吉日。大きく三猿を彫り、その下に六名の名前を刻む。

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2014年6月に撮った写真を見ると、右上部は欠けているものの、右脇の部分は健在だった。白カビの中に薄く寛文八年戊申の文字が確認できる。これからも風化は進むのだろう。

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石畳の道をさらに進むと敷地の一番奥、突き当りの一角に石塔が並んでいた。

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正面 地蔵菩薩立像 昭和35(1902)丸彫りで頭の後ろに円光背を持つ。錫杖、宝珠とも健在だが胸のあたりに剥落が見られ、右ほほにも大きな傷がある。

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 台は六角柱で正面とその両隣の面に銘があった。正面 下部に大きく卍を彫り、その両脇に八万四千體之内 二千百七十三番。これはいったいなんだろう?そもそも根拠のある数字とは思えないのだが・・・右隣の面に發願主 地蔵老比丘妙蓮、続いて造立年月日。左隣の面には 東京 板橋 信者中と刻まれていた。

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その奥 、矜羯羅童子・制吒迦童子立像。不動明王とともに不動三尊像として造られたものだろうが、付近に不動明王像は見当たらない。像、台ともに銘はなく詳細は不明。

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右側に集められているのは歴代住職の墓塔で、卵形の塔身をもつ無縫塔と三基の像塔が並んでいた。前列の左 大日如来坐像 寛文2(1662)光背上部に梵字「バーンク」右脇に遍照寺中興権大僧都慶雲上座霊位。左脇に年号。

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その右に聖観音菩薩立像 寛文8(1668)左手につぼみの蓮華を持ち右手は与願印。光背右脇 梵字「サ」の下に妙圓禅□尼霊位 施主。左脇に年号。

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その後ろ 両手の先が欠けていて印相がわからないが阿弥陀如来立像だろうか。光背右 圓寂常譽清保比丘 大徳。光背左に延宝五年(1677)の銘が見える。この三体の石仏はいずれも江戸時代の寛文・延宝期のもので、その佇まいは素朴ながら美しい。