寺尾・新河岸・藤木町の石仏

勝福寺 川越市寺尾640[地図]


寺尾小学校の100mほど西、右手にある寺尾公民館、日枝神社の横の細い道を登り切ったところに勝福寺がある。


墓地は本堂の左側一帯に広がっているが、その入り口付近にしっかりしたお堂が立っていた。中にお地蔵様の姿が見える。


左 丸彫りの地蔵菩薩立像 正徳3(1713)像全体のバランスがよく、蓮台、敷茄子も丁寧な仕事がされていた。


近づいてみると、顔はつぶされていて、風化のためだろう、錫杖の先、宝珠も欠けている。


下の台の正面に銘があるのだが、前に置かれた線香立てのために見えにくい。ライトをあてて確認してみたのだが、右端に江戸□□□□、中央に「講中」、左端に造立年月日が刻まれていた。


右 六地蔵六面石幢。角柱型の石塔の上に六角の台、その上に笠付きの六面石幢。いままでに見たことがない構造の六地蔵塔で、古色蒼然といった趣がある。


六面に彫られた地蔵像は、いずれも風化のために細部ははっきりしない。持物などに欠損はなく、古びた中に独特の存在感があった。


資料ではこの六地蔵塔の造立年を室町末期~江戸初期としているが、石塔の正面をよく見ると、かすかに文字があって、左は願主、右のほうに四のようにも見える。個人ではどうしようもないが、しかるべき立場の人が拓本をとれば詳細がわかるかもしれない。

勝福寺の墓地の西側、道路を隔てて阿弥陀堂があった。お堂の左手前に六地蔵。裏は墓地になっている。


入口右側に石塔が並んでいた。写真左奥に勝福寺の本堂が見える。


右から2番目 地蔵菩薩立像 寛保元年(1741)角柱型の石塔の上に丸彫りの地蔵像。錫杖・宝珠は健在だが、頭を傾げるように立っていて、頭部はやはり補修されたもののようだ。


石塔の正面 中央に「念佛講中」右脇に造立年月日。左脇に願主一名 お寺の呼びかけに応えて念仏講中が造立したものだろう。


その隣 法華経供養塔 明和元年(1764)角柱型の石塔の正面「法華千部供養」塔の左側面に造立年月日。右側面に勝福寺の住職の名前が刻まれていた。


墓石を挟んでその奥に舗石供養塔 慶応3(1867)角柱型の石塔の正面に大きな字で「舗石供養塔」舗石=敷石で敷石供養塔である。右側面に造立年月日。左側面に世話人とあり、11名の名前が刻まれていた。


左端に大きな板碑、下部は破損したものだろうか、その上部だけが立っていた。頭部は鋭い三角形。二条線の下、大きく阿弥陀三尊種子を薬研彫り。


下部に建長3(1251)の紀年銘。鎌倉中期の武蔵型阿弥陀三尊板碑である。

日枝神社 川越市下新河岸57[地図]


県道336号線、新河岸川にかかる旭橋の西詰、南に進むとその先に日枝神社があった。入口右脇に地蔵菩薩塔が二基、その右に三基の石塔が立っている。


中央に大きな丸彫りの地蔵菩薩立像 寛政元年(1789)白カビは多いものの欠損はない。


石塔の正面 中央に「奉納大乗妙典六十六部供養塔」両脇に造立年月日。


塔の左側面に木ノ目村 個人名があり爲先祖代々精霊菩提と刻まれていた。村の有力者の個人的な造立のようにも思えるのだが・・・


右側面には助力願主、願主 寺尾村とあり、あわせて三つの家がその造立にかかわっていたことがわかる。


左隣 地蔵菩薩立像。銘は確認できず詳細は不明。首はもげたものだろうが、破損がひどかったのかうまく補修ができなかったようで、奇妙な形で収まっていた。


右脇の三基の石塔。前 馬頭観音塔 昭和12(1937)個人の造立。馬の供養塔のようだ。


その後ろに二基。左 庚申塔 寛政13(1801)小型の駒型の石塔の正面 上部に日月雲。中央に「庚申塔」両脇に造立年月日。下部に小さな三猿が彫られていた。


右 馬頭観音立像 寛政13(1801)こちらも小型の駒型の石塔の正面に二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。顔はつぶれ合掌した手もあまりはっきりしないが、頭上の馬頭は比較的しっかり。像の右脇に造立年月日。左脇には施主とあり個人名が刻まれていた。

上新河岸路傍 川越市上新河岸12[地図]


県道336号線は旭橋西詰から右にカーブして、集落の中を蛇行してゆく。砂氷川神社と新河岸川の間の中間あたり、道路北側に小堂が立っていた。


地蔵菩薩立像 寛文3(1662)舟形光背に厚く浮き彫りされた地蔵像は寛文仏らしく厳粛で気品のある顔立ち。


光背両脇に銘が刻まれている。右端「爲□安□夏禅定門菩提也」とあるからこちらは墓石だろう。ただ続きに、俗名沢田甚右ヱ門□初開此河岸・・・と、この河岸の開発に尽力した沢田氏の功績を残すものとなっている。


光背左脇に造立年月日。その脇の銘は沢田氏の兄がこの地蔵像を造立したということらしい。

共栄橋東路傍 川越市藤木町29[地図]


県道336号線、九十九川にかかる共栄橋の100mほど東、道路右側に鳥居が立っていてその奥に小堂があった。


小堂の中 庚申塔 元禄5(1692)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・羂索持ち六臂。


頭頂部に蛇をいただき、髪の真ん中はドクロだろうか?ニヤッと笑う青面金剛、左手にショケラのかわりに羂索を持っている。頭のすぐ脇に「奉供養庚申」両脇に造立年月日が刻まれていた。


弓矢を持った手のあたり、木之目村とあり、両脇に数名の名前、左下には施主敬白。足元に邪鬼と正面向きの三猿が彫られている。