板橋区上板橋

東武東上線踏切南交差点中央 板橋区上板橋2-55

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練馬区と板橋区の境界線を通る道を西台方面から旧川越街道へと向かう。東上線の踏切を越えて少し行くと交差点の真ん中に小堂が立っていた。写真上のほうが踏切。写真左右の道を南へ歩くといずれも旧川越街道に出る。

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馬頭観音坐像 文化12(1815)風化に伴いすっかり白カビに覆われていて、像の細部はよくわからず文字も確認は難しい。。坐像は珍しく貴重なものと思うが、カビとか苔の除去とかある程度の修復はできないものだろうか?

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塔の左側面 戸田渡 道。その奥に年号が見える。下部の文字は願主だろうか。右側面は隙間がなく確認できなかったが右 王子道と刻まれているという。この地点から北へ向かうと西台を通って浮間、戸田方面に抜け、南東へ向かうと仲宿あたりから王子方面へ向かうことになる。現在堂は南面して立っているが、当時は西面して立っていて、練馬方面から大山道を歩いてきた人たちにとっての道標だったのかもしれない。

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左 馬頭観音塔 年代不明。やはり風化が進み文字の確認ができない。資料によると正面に「馬頭観世音」右側面に 右 いたばし道、左側面に 左 戸田道と刻まれているという。

旧川越街道変則五差路 板橋区上板橋2-18

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上の馬頭観音から右下の道(練馬区と板橋区の境界線)を南に歩くとやがて旧川越街道に出る。ここは旧川越街道に三方向から細い道が合流する変則的な五差路になっていて、その角のところに庚申塔が立っていた。

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庚申塔 元文4(1739)日月雲 青面金剛立像合掌型八臂。青面金剛の顔はつぶれ、腹部あたりに大きな断裂跡が見える。下の台の前の線香立て?の正面に「奉納」と彫られていた。

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合掌した前の手と後ろに三組の腕。合わせて八臂は結構珍しい。その持物として法輪ははっきり見えるがあとは漠然として定番の弓矢すら確認できなかった。

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足下の邪鬼は真ん丸な顔で正面向き。三猿は両側が内向きで少しのけぞり気味に足を伸ばす。二鶏はいないようだ。

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塔の左側面は狭くて見にくい。造立年月日に続き、武州豊嶋郡上板橋邨栗原講中。

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右側面には「奉彫刻大青面金剛供養塔」と刻まれていた。

上板橋郵便局東子育て地蔵尊 板橋区上板橋2-2

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旧川越街道を池袋方面に歩いてゆく。上板橋二丁目交差点を過ぎさらに進むと、道路右側にある上板橋郵便局の先に地蔵堂があった。

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堂の入り口右手 地蔵菩薩立像 昭和41(1966)台の正面に「子育地蔵尊」裏面に造立年月日。その脇に上板橋子育地蔵講と刻まれている。

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堂の中 右 地蔵菩薩立像 安永6(1777)梵字「カ」の下に合掌した地蔵菩薩像。光背両脇にわたって、上部に天下泰平、中ほどに造立年月日、下部に同講中・同世話人と刻まれていた。

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下の台の正面「奉造立地蔵尊」台の左側面には武州豊島郡 上板橋之内栗原村とあり、その下に四名の名前、さらに講中敬白と刻まれていた。台の右側は狭くて銘は確認できない。

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左 地蔵菩薩立像 安永6(1777)右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。光背の両脇に天下泰平・五穀成就。下部には造立年月日が刻まれている。

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光背部の左側面は狭く未確認、右側面には上板橋栗原講中とあり続いて二名の名前が刻まれていた。