板橋区弥生町・中板橋

万福寺 板橋区弥生町73

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川越街道の弥生町交差点から北へ入り、その先の細い道を右に折れると万福寺があった。入口右側に四基の地蔵像が並んでいた。その右に庚申塔も立っている。

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左から地蔵菩薩立像。下の台に二つの戒名と寛永20(1643)と慶安3(1650)二つの命日が刻まれていた。個人の供養のための地蔵像だが、江戸時代のかなり初期の建立であり、宝珠を欠くものの比較的きれいな状態で貴重なものと言えるだろう。

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 続く三基は資料では六地蔵とされている。左 地蔵菩薩立像。台に享保3(1718)の銘が刻まれ、武州豊嶋郡上板橋講中九十余人とあった。残りの二基の写真はピンボケで紹介できないが、中央の台には正徳3(1713)の銘とやはり武州豊嶋郡上板橋講中九十余人と刻まれている。それに対して右の台には宝永6(1709)と享保7(1722)の二つの銘とともに地蔵講中百余人と刻まれていた。よく見ると像の大きさなども微妙に違うようで、六地蔵のうちの三体というのは少し無理があるのではないだろうか。

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地蔵像の右、庚申塔 元文5(1740)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。足下に邪鬼と三猿を彫る。

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塔の右側面に造立年月日。その下に六名の名前。左側面には武州豊嶌郡上板橋村 海老山と刻まれていた。調べてみると上板橋宿、下宿あたりは、江戸時代より海老山という小名だったらしく、弥生町には現在でも「海老山の坂」があるようだ。

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入口の左手には二基の庚申塔が並んでいる。いずれも唐破風笠付角柱型で右は文字塔、左が像塔になる。

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右 庚申塔 元禄10(1697)塔の正面上部 日月雲の間に梵字「ウーン」その下「奉造立庚申供養本願成就所」右脇に武州豊嶋郡上板橋村、左脇に造立年月日。下部に結衆敬白。両側面にはそれぞれに二十あまりの名前が刻まれていた。

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左 庚申塔 正徳3(1713)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。合掌した手の先と顔面に傷があるが、特に顔の傷のほうは自然にできたものとは考えにくい。時々顔の潰れた青面金剛を見かけるが、故意に行われたことだとしたら、どんな意図があるのだろうか?足の両脇に二鶏を線刻。足下には邪鬼と三猿を彫る。

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塔の右側面「奉信心造立青面金剛供養塔」下部に講中。

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左側面に造立年月日。その下に武州豊嶋郡上板橋廿余人敬白 と刻まれていた。

福泉寺 板橋区中板橋29

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東武東上線中板橋駅の北口から北へ歩きすぐ左折するとその先左手に福泉寺の入り口がある。入口右側に小堂があり地蔵像が祀られていた。解説板によると昭和17年、埼玉県坂戸市にあった福泉寺がこちらに移転した折に、このお地蔵さまも一緒に移されたものだという。

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地蔵菩薩坐像 延享3(1746)右手に錫杖、左手に宝珠。下の台の正面「萬霊塔」左側面に願文。右側面には造立年月日。その脇に講中百五十人と刻まれていた。