西福寺 岩槻区南平野1-33



県道2号線を東に進み元荒川を越えてすぐの信号を左折、川沿いの道の右側に西福寺がある。本堂の左側に22基の石塔が整然と並べられていた。



左から7基。その後ろに4基。合わせて11基がひとかたまりになるが、この11基は奥に並ぶあとの11基に較べると、塔のサイズが小さく、それほど大きな台を持たない。特に前列の7基はいずれも台がなく地面に直接置かれている。この石塔群の中に4基の庚申塔があった。




前列3番目 庚申塔 寛政12(1800)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。頭上に蛇が見える。髪の毛をつかまれたショケラはもがいているようだ。足の両脇に二鶏。足下の邪鬼の姿勢がおしりをちょっと突き上げていてユニークだ。三猿は見当たらないが、台のほうに彫られていたのだろうか。塔の左側面には造立年月日が刻まれていた。




前列7番目 庚申塔 元禄4(1691)唐破風笠付角柱型の石塔の正面中央を彫り窪めて、その枠上に日月雲。中に青面金剛立像 合掌型六臂。上左手にショケラを持つ「岩槻型」足の両脇に二鶏。足下に正面向きM字型の邪鬼。その下に正面向きの三猿と、「岩槻型」の典型的な構図。塔の左側面に造立年月日。右側面に「奉造立庚申像悉地成就所」結衆敬白。裏面には平野村と刻まれていた。



後列左から2番目 庚申塔 弘化2(1845)塔の正面 日月雲の下に大きく「庚申塔」。塔の右側面に造立年月日。左側面に武州埼玉郡平野村と刻まれている。下の台の正面 彫りは薄いが 此方じおんじ道、向 かすかへ道、此方 いわつき道。



後列4番目 庚申塔 文化9(1812)塔の正面 日月雲「青面金剛」右側面に造立年月日。左側面には平野村と刻まれていた。



下の台の正面には小さな三猿がひっそりと彫られている。結構厚みのある彫りで、これもかわいい。



奥のグループ。この11基の石塔は塔のサイズ、下の台の規模などがほぼ揃っている。



11基のうち、左から1番目 庚申塔 明和5(1768)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。発達した瑞雲が印象的。頭に蛇が絡みついた青面金剛の左腰にショケラがしがみつく。足下の邪鬼は比較的大きめで、頭を左にして横たわる。両手でほおづえをついているのは珍しい。三猿も大きく、両脇の言わ猿と見猿は内を向いている。塔の右側面には大きな文字で「奉造立青面金剛一躯」左側面に造立年月日。下のほうに講中とあり、ひらがなで数人の名前が刻まれていた。女人講中かもしれない。 



2番目 庚申塔 文政11(1828)塔の正面 日月雲「庚申塔」。台の正面の三猿は岩槻らしくラフな感じ。資料ではこの台の側面にたくさんの名前が刻まれているということだが、写真で見るように隣の台との隙間が全くなく、確認することは難しい。このあとに続く石塔もみんな同じような状況だ。塔の左側面 武州埼玉郡岩槻領平野村講中。右脇に 東こしがや道、左脇には 西かうのす道と刻まれていた。右側面に造立年月日。脇には此方かすかべ道と刻まれている。 



3番目 庚申塔 安政5(1858)塔の正面 日月雲「庚申塔」隣の庚申塔と良く似ている。台の正面の三猿は足を投げ出したり、足を組んだり、さらにリラックスしていた。塔の左側面 武州岩槻領 平野村講中。その右脇に向 こしがやミち、左脇に右 志おんじ道。右側面には造立年月日。その脇に左  加すかべ道と刻まれていた。



4番目は文政3(1820)の出羽三山順礼供養塔。続いて5番目 庚申塔 文政6(1823)塔の正面 日月雲「猿田彦大神」下の台の正面に三猿。左の言わ猿だけがソッポを向いている。塔の左側面に造立年月日。右側面には武州埼玉郡 平野村講中と刻まれていた。



6番目 庚申塔 享和4(1804)塔の正面 日月雲「青面金剛」下の台の三猿、中央の聞か猿だけ少し高い位置に正面向きに腰掛け、両側の猿は内を向いて足を投げ出すように座っていた。塔の右側面に造立年月日。左側面には武州埼玉郡平野村講中。



7番目は安永3(1774)の百ヶ所供養塔 。続いて8番目 庚申塔 明治4(1871)塔の正面 日月雲「猿田彦大神」下の台の正面にやはり自由な三猿。塔の右側面に造立年月日。その脇にじおんぢ道。左側面には白カビの中、うっすらと こしがや道。その奥に武州埼玉郡岩槻藩平野村上組講中と刻まれていた。



9番目 庚申塔 安永5(1776)唐破風笠付角柱型の石塔の正面を彫り窪めて、日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。三眼でドクロの首輪をした青面金剛の髪は三角形にとがってやや右に折れている。足の両脇に見事な二鶏。足下には達磨のように丸まった邪鬼。三猿は両脇が内を向く構図。下の台の正面 中央上に講中とあり、その下にかな文字で多くの名前が刻まれている。塔の右側面「奉造立青面金剛尊像一躯」左側面 武蔵國埼玉郡岩槻領平野村講中十四人。奥に造立年月日が刻まれていた。



10番目 庚申塔 享保8(1723)唐破風笠付角柱型。日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。上左手にショケラを持つ「岩槻型」頭上に蛇がとぐろを巻く。ひざの両脇に二鶏。足元の邪鬼はM字型。その下に正面向きの三猿を彫る。塔の右側面「奉造立庚申尊像悉地成就処結衆丗一人敬白」その下にひらがなで十数名の名前。左側面には造立年月日。その下にこちらも十数名の名前が刻まれていた。



最後は庚申塔 享保14(1729)唐破風笠付角柱型の石塔の正面 日月雲の下を凝った形に彫り窪めて、その中に青面金剛立像 合掌型六臂。平らな頭頂部、H型の後ろの二組の腕、ドクロの首輪。川口でよく見たあの独特な青面金剛像。塔の右側面「奉造立青面金剛尊像悉地成就祈所」その右脇に天下泰平 風雨順時。左脇に五穀成就 萬民豊樂。左側面には造立年月日。その下に結衆女 敬白 二十人と刻まれていた。



青面金剛の足下、頭を左にして寝そべりながら顔だけ正面を向く邪鬼。細い腕を腰に当てて、どこか滑稽な感じがする。その下に三角形の構図の三猿。両脇に二鶏が彫られていた。