新曽 観音寺の石仏

観音寺 戸田市新曽


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観音寺は埼京線戸田駅から西に200m南に400mの位置にある。中央通りに面した
参道の門は時間が早すぎるのかいつも閉まっていて、東側の門のほうから入り
仁王門に向かうことになる。門の外、熊笹に囲まれて庚申塔が立っていた。

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庚申塔 享保7(1722)下の台はなかば熊笹に埋もれているが、正面に為現當二世安楽
そのあとは見えない。両側面に施主名が刻まれているらしいが確認できなかった。

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青面金剛坐像 合掌型六臂。カビが目立つ。片足を立てて座るその姿は珍しい。
下部に邪鬼と二鶏、さらにその下に三猿が彫られていた。

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門を入ると右手に長屋門風の新しい門が立っている。奥に本堂が見える。

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中に入ってみると静かな池を配した美しい庭園になっていた。

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さらに西に歩くと仁王門にでる。ここから左を見ると中央通りに面した門まで
長い参道が続いていた。この参道が南からまっすぐ仁王門に続いている。
参道の東側に小堂が立っていた。

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六地蔵菩薩立像 年代はわからない。台には地蔵菩薩の名前が刻まれていた。

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その隣に地蔵菩薩立像 昭和42年。正面に無縁佛供養也と彫られている。

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参道の正面の仁王門は正徳2年(1712)建立、仁王尊は元禄11年(1698)の造立。

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仁王門を入って右側に鐘楼と弁財天堂が見える。その脇に石塔が並んでいた。

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左 上部が欠けているが、像の様子から聖観音菩薩立像 天保5(1834)下の台の
正面には12名の女性の名前が刻まれている。

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真ん中 十一面観音立像 寛政2(1790)左手に大きな蓮の花を持っている。こちらは
台に戸田領新曽村下新田講中とあり、願主を含めて7名の名前が刻まれていた。

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右 大般若経供養塔 文久3(1863)塔の三面に多くの人の名前が刻まれている。
さらにその下の台にも十数人の名前が刻まれていた。

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参道の左手、立派な堂の中に地蔵菩薩立像 承応2(1653)が見える。

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高さ2mを超す。大きな錫杖を手に静かにたたずんでいた。光背の上部には
金剛界大日如来の種子が彫られている。


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本堂の左手には阿弥陀堂がある。市指定の文化財千体の阿弥陀像が祀られている。

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阿弥陀堂の前を右に曲がると突き当りに板碑が立っていた。建長5年の銘があり、
こちらも市指定の文化財になっている。

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その奥、阿弥陀堂の北側の一角に霊廟が見える。その周りにも石塔が並ぶ。

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荘家霊廟となっていて、小さな五輪塔が並んでいた。右から寛永2(1625)、
続いて元和8(1622)の銘が見える。あとの二基はうまく読み取れなかった。

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霊廟の前に三基の石塔。中央の宝筐印塔を挟んで、左右の塔は姿がよく似ている。

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左 六面石幢 文禄4(1595)随分古いものだ。奉造立六地蔵一宇と刻まれている。

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大きな笠の下、六面にそれぞれ素朴な地蔵菩薩立像が浮彫りされていた。


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真ん中 宝筐印塔 寛永17(1640)こちらは奉造立石塔一宇と刻まれている。
相輪が異様に発達していて、その長さは全体の半分に近い。

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右 石灯籠 文禄4(1595)室町時代の石灯籠は珍しいらしく、これも市指定文化財。
奉造立石灯籠一宇為道覺禅定門逆修諸善也とあり、個人のもののようだ。

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阿弥陀堂の前を左に入ってゆくと墓地がひろがっている。入口に大きな
宝筐印塔が二基並んでいた。

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手前 笠型の宝筐印塔 享保年間の銘が刻まれていた。

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奥 塔身が縦長の宝筐印塔 正徳5(1715)こちらのほうが少し古いようだ。

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墓地の真ん中に2m近い聖観音菩薩立像が立っていた。戸田市内で最大という。
寛永3(1626)光背の上部に胎蔵界大日如来の種子を刻む。

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慈愛に満ちた優しい雰囲気。間近に見ていると今にも動き出しそうな気がする。


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本堂の東側には大きな墓地が
ひろがっている。長屋門の奥の池のほとりを

そのまままっすぐ進むとその先に下の写真のように木々が生い茂る中にお堂が
見えてくる。ここに庚申塔などがあるが残念ながらこちらの入口は閉まっていて

一度東の墓地を回ってお堂の奥から入り込むしかない。

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墓地エリアの前、右手の一角に子育大師が立っていた。 昭和の新しいもの。
子育て地蔵、子育て観音はあるが、子育て大師というのは珍しい。

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墓地エリアのへりの道を北に進むと左手の小堂に地蔵菩薩立像 宝暦12(1762)
台に奉造立地蔵菩薩為二世安楽と刻まれている。右側面 新曽村大悲山福寿院
寺内とあった。左側面には光明真言講中六拾人、続いて3人の僧名が見える。

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上の小堂の近くを西に入ると一番最初の写真の堂の裏に出る。この一角には
背の高い地蔵菩薩立像をはじめ、たくさんの石仏が集められていた。

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地蔵菩薩立像 明和3(1766)こちらの台も正面に奉造立地蔵菩薩為二世安楽と
刻まれている。右側面に馬場 光明真言講中四拾三人とあった。

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その後ろに三基の石塔が並んでいる。ここは湿気もあって日差しもないため
カビや苔で緑色に変色してしまったようだ。

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左 光明真言供養塔 文化10(1813)正面には光明真言一百三十万遍供養塔とある。
右側面 足立坂東十八番 足立八十八ヶ処七十番 龍寶山観音寺と彫られていた。
台には二面にわたり男女23名の名前が刻まれている。

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中 光明真言供養塔 寛政12(1800)写真のとおり剥落が見られるが、かろうじて
正面に光明真言一百萬遍供までは読める。下の台に新田講中とあり、やはり
三面に渡って男女18名の名前が刻まれていた。

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右 庚申塔 自然石に大きく青面金剛と彫られている。裏に年号が刻まれていたが
写真を整理してみたらきちんと写ったものが見当たらない。いずれ再訪して
確認したいと思う。

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左側面の狭い場所に新田邑講中八人と刻まれていた。

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三基の石塔を回り込むようにして左に入るとお堂の前に出る。このお堂の前の
参道の東側の木々の中に二基の庚申塔が立っていた。

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参道入口近くに庚申塔 安永9(1780)正面に堂々とした字で青面金剛とある。
下の台の正面には三猿が彫られていた。

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堂の近くの庚申塔 享和2(1802)大きな笠の下、青面金剛の足元に邪鬼と
二童子を彫った力作。三猿は下の台の方に彫られている。塔の左側面に
奉造立庚申待供養塔為二世安楽と刻まれていた。下の台の側面に足立郡
新曽村とあり、願主、世話人をあわせて10名の名前が見える。

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青面金剛は力感にあふれ迫力のある表情。右手に剣、左手にショケラを持ち
二童子を従えている。ユニークな構成と言えるだろう。

隣に説明板が立っていた。それによると観音寺には庚申塔が5基あるらしい。
そのうち天保三年のものは戸田市立郷土博物館に展示されているとのこと。
機会があったら見てみたいものだ。