今泉・木野目・並木の石仏

 

 

古市場氷川神社北交差点の北西 川越市今泉516向[地図]


古市場の阿弥陀堂墓地から南古谷方面に向かい、氷川神社の北の信号交差点で旧富士見有料道路を越えてすぐ、斜め左の道に入ると道路左側に馬頭観音塔が立っている。なお、こちらは「川越の石佛」に記載はなく、「東京の庚申塔」の記事でその存在を知ることができた。


馬頭観音立像 元治元年(1864)舟形光背に浮き彫りされた馬頭観音は三面八臂、これはなかなか珍しい。合掌手以外の六臂の持物は斧、法輪、矛、棒、与願印、数珠。江戸時代後期の観音様らしく、衣装のすそが跳ね上がっている。


彫りは細かく技巧的、髪の間の馬頭もクリアに残っている。三面ともに忿怒相。ふっくらと馬口印を結んでいた。


塔の左側面は無銘。右側面に造立年月日が刻まれている。


台の正面には大きな字で當村中。


右側面にも文字が見えるが、こちらは隙間が狭く上から覗き込んだのだが、判読は難しかった。

新明神社西路傍 川越市今泉508向[地図]


馬頭観音のあった道を北へ進むとT字路に突き当たる。ここを左折してしばらく行くと道路は二手に分かれ、斜め右の道の先、二本の棕櫚の木の下に庚申塔が立っていた。写真奥の田んぼの向こうに旧富士見有料道路が見える。


庚申塔 元禄2(1689)鋭角的な舟形光背に日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


光背には細かく白カビがひろがっている。上部に刻まれた梵字は不明瞭だが「ウン」か?青面金剛の顔も漠然としていてはっきりしない。


足の両脇に薄く二鶏。元禄期の庚申塔らしく、邪鬼の姿はなかった。磐座の下に正面向きの三猿が彫られている。


塔の右側面は荒彫りのままで無銘。左側面に造立年月日。さらに願主一名の名前が刻まれていた。

西河原地蔵尊 川越市今泉168[地図]




庚申塔の場所の近くにある県営川越今泉団地。その10号棟の北の空き地の隅に小堂が立っていた。


小堂の中 地蔵菩薩立像 延宝5(1677)丸彫りだが欠損はなく堂々とした立ち姿。手前両脇に石灯篭が立ち、丁寧に祀られている。


厚い蓮台の下、これも分厚い敷茄子、さらに花弁?が彫られた六角形の台石という豪華な構成。球形の敷茄子に刻まれた文字は読み取りにくい。右側に造立年月日。左側に古尾谷荘今泉村?中央は判読できなかった。


ぉ地蔵様の手前の石灯篭、左右どちらも同じ銘が刻まれている。「奉納大地蔵菩薩」今泉村世話人とあり、その下に三名の名前。


裏面に享和三年(1803)の紀年銘があった。敷茄子の紀年銘とは120年以上の隔たりがある。これはどう考えたらいいのだろう。いろいろと難しいものだ。

 

 

今泉公民館 川越市今泉43[地図]


県道113号線を南古谷駅方面に向かい、南古谷中学校を過ぎた先の信号交差点を左折。200mほど進むと、道路右手、変則的な五差路交差点のところに今泉公民館が立っていた。公民館の奥には墓地があって、公民館の左が入口になっている。その左脇に石仏が並んでいた。


入口のほうから丸彫りの六地蔵菩薩立像 安永6(1777)丸彫りの地蔵像はそれぞれ首に補修跡がある。六地蔵を乗せた長い台の右端に造立年月日。さらに数名の名前が刻まれていた。


その隣 地蔵菩薩立像 宝暦9(1759)白カビは目立つものの大きな欠損はない。


敷茄子の下、石塔の正面を彫りくぼめた中に「奉造立地蔵大菩薩」両脇に造立年月日。左側面に當村講中と刻まれている。

続いて地蔵菩薩立像 享保8(1723)四角い台の上に厚みのある敷茄子と蓮台。地蔵像は錫杖の柄が欠けていた。


下の四角い台の正面 右端に造立年月日。その脇に「奉納大乗妙典六十六部日本回國」さらに「同讀誦百三十二部成就供養尊像」最後に行脚道、同行□□。大乗妙典供養塔ということになるだろう。


その隣 如意輪観音坐像 寛政8(1796)蓮台の上に座る二臂の如意輪観音菩薩像。


石塔の正面に「如意輪觀世音菩薩」両脇に造立年月日。塔の右側面に戒名が刻まれているが、左側面には施主 今泉村講中とあり、個人の墓石ではないようだ。


右端 地蔵菩薩立像 天保9(1838)石塔正面に「三界萬霊」


塔の右側面に造立年月日。左下に小さく八十九才とある。


左側面には入間郡今泉村 古谷産 願主とあり 新井氏の名前。この願主が89歳の時に建てたものだろうか。


墓地の入り口左 ブロック塀の前に馬頭観音塔 明治36(1903)自然石の正面「馬頭觀世音」カビで真っ白な中に明治34年7月7日亡と見える。亡くなった愛馬の供養塔である。


裏面に造立年月日が刻まれていた。その横に願主二名の名前。となると、二つの家で一頭の馬を共有していたということだろうか。

木野目六角共同墓地 川越市木野目1435北[地図]


上福岡駅付近から南古谷駅に向かう県道335号線、南古谷小学校前交差点の200mほど北、斜め右に入った路地の奥に墓地があった。墓地入り口に舟形光背型の地蔵塔が立っている


地蔵菩薩立像 元禄5(1692)大きな舟形光背に錫杖宝珠を手にした地蔵菩薩像を浮き彫り。白カビが目立つ。光背右脇に造立年月日。


左脇に木之目村□中□□奉加。文字が達筆、くずし気味で一部はうまく読めなかった。

並木観音堂墓地 川越市並木816向かい[地図]
県道113号線、南古谷駅前交差点の250mほど手前、道路右側に観音堂の墓地がある。入口から覗くと、角柱型の石塔が並んでいた。



その中にひときわ大きな聖観音菩薩塔 延享元年(1801)。上部両脇が丸くなった角柱型の石塔の正面を彫りくぼめて、その中に「聖觀世音菩薩 萬人講供養」


塔の右側面 上部に造立年月日。その下、白カビの中に願主とあり二名の名前が刻まれている。


左側面はさらにカビが多く、上部に細かく文字らしいものは見えるが、うまく読み取れなかった。下部に「萬人講志村々」こちらはかろうじて確認できる。

並木氷川神社東路傍 川越市並木893[地図]


県道113号線南古谷駅前交差点から斜め左の道に入ると、その先に氷川神社がある。資料によると「並木氷川神社前」に馬頭観音塔があるということで、何度か氷川神社を訪問したがうまく見つからない。実際にあったのは氷川神社の道を隔てた向かい側、天台宗寺院瀧岩院の駐車場の片隅だった。駅のほうからアプローチすればすぐみつかったはずだが、なぜかいつも逆のほうから来ていた。


馬頭観音塔 文化7(1810)駒型の石塔の正面に三面六臂の馬頭観音立像を浮き彫り。剥落部分も多く、塔全体に損傷が著しい。


塔の右側面に造立年月日。この角度から見ると三面のうち唯一残っている左の顔がはっきりと見える。


左側面 武州入間郡 並木村中。馬頭の一部、正面と右の顔、体の右半身が大きくはがれ落ちていた。

南古谷駅北東路傍 川越市並木126向[地図]


南古谷駅付近から川越線の北を東に進む「宿中央通り」は、川越東中学校のあたりで左にカーブして北へ向かう。東中学校の少し手前、道路南の田んぼの隅に小型の庚申塔が東向きに立っていた。


雨除けの下 庚申塔 文化10(1813)駒形の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。像の一部には白カビがこびりついている。


足元には丸顔の邪鬼が横たわっていた。二鶏・三猿が見当たらないが、もしかしたら下の台の正面、土の中に埋もれているのかもしれない。


塔の右側面に造立年月日。右側面 並木村願主とあり一名、松郷とありこちらも一名の名前が刻まれている。