緑区 下野田・玄蕃新田

木傘神社 緑区玄蕃新田

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玄蕃新田はかなり大掛かりに区画整理され、木傘神社も大きく移動されていた。
浦和美園駅の東口、自治会館が新築され、その奥に木傘神社。祠の中に庚申塔。

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弘化2(1845)駒型 日月雲 中央に「庚申塔」台の正面に村講中と刻む。

木傘神社筋向い住宅角 緑区玄蕃新田

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やはり区画整理で引越しをされたらしい新築のお宅の前、小堂の中に庚申塔。

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文政11(1828)山型角柱 正面に大きく「庚申塔」台正面に講中と彫られる。

美園駅西南路傍 緑区下野田

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浦和美園駅西口、ロータリーの南端から西に抜けてゆく道の先の路傍に庚申塔。
天保5(1834)山型角柱 日月雲 はっきりとした字で「庚申塔」台の正面に講中。

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右側面 年号の下に 是ヨリ 北いはつきに二リ 東こしがやに二リ

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左側面 是ヨリ 南はとがやに二リ 西 原市 三里。脇に武州足立郡下野田村。

円徳寺 緑区下野田

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浦和美園駅の西、円徳寺の東側の入り口右手、小堂の中に庚申塔。

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寛文7(1667)板碑型 途中に断裂跡があり、また彫りも薄くて読みにくいが
中央に「奉造立庚申供養二世安樂所」下部に三猿を彫る。

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墓地の入口の角のところに庚申塔 文化元年(1804)板駒型 日月雲 青面金剛立像 
合掌型六臂。塔の右側面 天下泰平國土安全。左側面には年号。

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青面金剛の顔の前面が崩れているが、彫りは全体に力強い。

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にくにくしげな邪鬼と三猿。その下の台の正面に下野田村と刻む。

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墓地の奥のほうに庚申塔 享保5(1720)笠付角柱 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。

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これも青面金剛の顔が崩れているが本格的な彫りだ。上左手にショケラを持つが
ショケラは右手を青面金剛の肩にのせ、頼り切っているようにも見える。

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足元の邪鬼は頭を右向きに、その姿勢と表情が面白い。下部に比較的大きな三猿と
その下に珍しくはっきりと彫られた二鶏。

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塔の右側面 中央に「奉造立庚申供養二世安樂祈所」その脇に武州足立郡下野田邑
さらに施主敬白とあり、その下にカタカナで4名、法名で6名の名前を刻む。
左側面に年号。その下にカタカナで3名、漢字で5名。左右合わせると男女18名。

美園支所前路地角 緑区玄蕃新田

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美園支所の北側の細い道から広い県道に出る角のところに庚申塔。

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享保5(1720)笠付角柱 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂 頭部は破損があり
様子がはっきりわからないが、巻き毛にヒゲのように見え、海賊風外観?
足元に薄く二鶏、さらに邪鬼と三猿が揃う。

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塔の左側面に年号。右側面に「奉供養庚申二世安楽」と彫られている。


重殿社入口 緑区中野田 

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東北自動車道の浦和ICの北の付近、重殿社の東側入口に五基の庚申塔が並ぶ。
真ん中に大きな像塔 宝永3(1706)、両脇に堂々とした一対の文字塔 弘化3(1846)
またその両端に二基の小型の文字塔 左 文政8(1825)右 寛政5(1793)が続く。
年代から考えて弘化の二基は同時に作られ、中央の像塔の両脇に立てるように
はじめから意図されたものの可能性が高い。両端の二基は、他の場所から移して
祀ったのではないだろうか。

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宝永3(1706)笠付角柱 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。足元に邪鬼と三猿。
経年のため表面は若干溶けかかっている。

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下の台に卍と法輪。三猿の下、中央に武州足立郡中野田村。11名の名前を刻む。

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塔の右側面、読みにくいが「奉庚申供養二世安楽所」だろう。その下に数人の
名前が見える。左側面にも10名ほどの名前。最後に女道行拾二人と刻まれる。

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弘化3(1846)山型角柱 基本的に構図、構成などは左右ほぼ同一。正面中央に
大きく「庚申」と彫られ、下部に三猿が遊ぶ。

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塔の右側面には16文字の偈文が彫られている。

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左側面には揃って年号の下に中野田邨と刻まれる。

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右の塔の三猿。独自の世界が広がる。石工の息遣いが感じられるようだ。

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左の塔の三猿。構図は一緒だがそれぞれの猿がまた違った動きを見せている。
二基とも下の台に大門という文字が見える。

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三猿の左右の側面、それぞれに13人の名前が刻まれている。

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こちらは三猿の真裏。発起人1名、補助4名、地所寄進1名。江戸時代後期の
この頃、有力者が先に立ち村の力を合わせて二基の庚申塔を建立したのだろう。

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文政8(1825)山型角柱 日月雲「庚申塔」左側面に中野田村と刻む。

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寛政5(1793)山型角柱 正面中央には「庚講中」左側面に小左衛門とあった。