吉野神社 北区吉野町1
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今羽駅の南の道を西に向かい産業道路を越えると右側に吉野神社がある。
境内の南西の角のあたりに新しい小堂があり庚申塔が祀られていた。
庚申塔
元禄13(1700)青面金剛立像 合掌型六臂 細部まで丁寧に彫られている。
はっきりした厚みのある彫りで、保存状態も良く美しい。足のあたりに二鶏。
頭には蛇。額には三眼であろうか。印象的なお顔である。
下部には邪鬼と三猿が彫られていた。
長松山清浄院地蔵堂 北区吉野町2
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大宮卸売市場の東、産業道路よりさらに三本程東の道路、新堀公園の南に
地蔵堂がある。塀越しにいくつか石塔が見えている。
入り口左に見えていたのは地蔵菩薩立像
元文3(1738)大乗妙典六十六部とある。
台座には足立郡吉野見目村願主了全
助力万人講中二世安楽願満所と刻まれる。
入り口右には南向きに二基、西向きに五基の石塔が並んでいた。
入り口に近く地蔵菩薩坐像
享保20(1735)大乗妙典六十六部供養とあり
脇には吉野原邑
願主 覚心と刻まれていた。
その奥に大乗妙典六十六部供養塔
安永8(1779)吉野原邑行者 即道と刻まれる。
西向きに並ぶ石塔群、前列右 百万遍供養塔
明和5(1768)上部に地蔵菩薩坐像
下部の両脇に右川ごへ
左江戸とあり、道標でもある。
左隣に馬頭観音立像
元禄11(1698)慈悲相六臂 合唱している横顔が優しげだ。
丸彫で台もなく地面に直接立っているように見える。土の下に埋まっている
部分があるのだろう。年代と銘文は像の背中に彫られていた。
その後ろに個人の墓石があり、そのまた後ろに隠れて立っているのは
馬頭観音塔
風化が激しく馬頭観の文字以外は読み取れない。
奥に進んで無縁仏が並び、さらにその奥に歴代住職の墓石が立っている。
脇に立っているのは馬頭観音塔
文政6(1823)台の中央に大きく講中とある。
その側面に東西南北、地名が刻まれているがくずし字で読めなかった。
大宮卸売市場東食堂の駐車場 北区吉野町2
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大宮卸売市場の東、産業道路東側にある食堂の駐車場に庚申塔が立っていた。
庚申塔
宝暦13(1763)小堂にある説明板には「吉野原庚申塔」と書かれている。
下部に可愛く三猿が彫られていた。施主
講中26人
不動堂 北区吉野町2
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中山道吉野町二丁目交差点から西に進み、つつじヶ丘公園を越えて次の信号を
左折するとすぐ右手に不動堂が見えてくる。大きな木の近くに立っていたのは
馬頭観音塔
文政5(1822)の文字塔である。
北信倉庫角 北区吉野町2
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不動堂を出て北へ向かう。上尾市との市境にぶつかる手前の倉庫の角に
庚申塔が立っていた。
庚申塔
文政7(1824)正面に大きく庚申塔と彫られ、側面には 右いはつき
左はらいち
と刻まれていた。脇には吉野原村講中の文字も見える。